ハナとの別れ:持ちつ持たれつ育んだ絆

文と写真:尾形聡子

ついに別れのときが来てしまった。できることならずっと一緒にいたかった。けれど、そんな願いは叶うはずもない。9月7日新月の夜、ハナは17歳と5ヶ月でその生涯を閉じた。30分くらいかけてゆっくりゆっくりと呼吸が止まっていった。自然死に立ち会うのは初めてだったけれど、穏やかな最期だったと思う。

ハナはシニアに差し掛かる前後に2度頸椎ヘルニアを発症した。幸いにも3度目は経験せずに済んだが、歳を重ねるにつれてあちこち体に不具合が出てきた。慢性化してしまった膀胱炎、心雑音、そして一番私を悩ませたのは乳腺腫瘍だった。数年前に発見した小さなしこり。気づいた時点ですでにスパニッシュ・ウォーター・ドッグの寿命とされる年齢になっていた。

寿命が訪れるのが先か、腫瘍が大きくなって皮膚が裂けるのが先か…

外科的手術が成功しても再発しないとは限らない。術後すぐには普通に散歩ができない。それにより体力が奪われてしまい、年齢的に元の状態に戻ることは厳しくなるはずだ。老化も加速するだろう。術後、病院に泊まるというストレスも、ハナにかけたくなかった。何よりも、いつもどおりの生活を1日でも長く送れることを最優先にしたいという気持ちがあった。

最終的に腫瘍は私の拳より一回りくらいの大きさまでになったが、腹部という皮膚が伸びやすい場所にできたのが不幸中の幸いで、タロウのときのように破裂することはなかった。もし途中で腫瘍部分の皮膚が裂けてしまったら、もちろん手術をしていたはずだ。だとすれば、そうなる可能性があるならなるべく早くに手術をしておいた方がいいのでは?という考えもある。

どの対処を選ぶかに正解があるのかどうかは分からない。犬の年齢と健康状態、症状の程度、治療の体への負担。飼い主がどれだけ時間とお金を割けるかという問題もある。このようなことすべてを引っくるめ、ハナのことを一番よく知る人間である私が、老い先はそんなに長くないだろう彼女にとって一番いいと考え選んだのは、経過観察だった。

かかりつけの先生と不安がなくなるまで話をすることもとても重要だ。ここ数年は慢性の膀胱炎もあり、ほぼ毎月1回は診察にいっていた。その度に、先生はハナの腫瘍の状態や心臓音などをチェックし、現状を伝えてくれ、私が選んだ道を一緒に確認してくれた。ともすると、ふとした瞬間に「本当にこれでいいのかな」と思うこともないわけではなかったから、先生が毎回丁寧に私の気持ちに寄り添ってくれることはとても心強かった。

立てなくなる前の1週間ほどで、ハナの老化は急激に進み、歩くのがやっとの状態になった。日曜には自力で立っていられなくなり、月曜には完全に寝たきりに。火曜になって呼吸が浅くなり、水もほとんど口にできなくなった。午後には意識が朦朧としはじめ、日付が変わる前、大潮の干潮に導かれていくかのように息をひきとった。

亡くなった日の火曜の朝、前日とは明らかに呼吸の状態が違うハナの姿をみながら、いつ死が訪れるかわからないことに強い恐怖を覚えた。呼びかけてもほとんど反応しなくなったハナにとって、この状態は苦痛なのか否か?答えは出せなかった。もしこの状態が長く続くのなら安楽死を考えた方がいいのかもしれないとも思った。でもそれをいつにしたらいいのかまったく分からなかった。安楽死が社会的に広く受け入れられている海外において、老衰の場合、完全に立てなくなった犬に安楽死を行うタイミングはどうやって見計らっているのだろう…。


最初からタロウとハナは本当に仲がよかった。そんな彼らの姿を見るのも、この上ない幸せだった。

タロハナのいなくなった部屋はとてつもなく空虚で寂しい。長年一緒に暮らした空間から圧倒的な何かが失われてしまった。目を覚ませばすぐそこに彼らがいてくれたら…私が起きるのを今か今かと待ち構えていた日々を思い出す。私たちは毎朝必ず「再会」していたのだ。

「おはよう」の再会
文と写真:尾形聡子 タロウとハナと暮らしてきてずっと感じているのは、「朝は再会のとき」ということ。再会という言葉の本来の意味のごとく、長く離れ離れに…【続きを読む】

毎日の繰り返しの中にささやかな喜びはあちこちにあって、そこには小さな幸せが隠れている。それをお互いに感じ、共有しながら絆を深め合い、日々の生活が心豊かなものとなっていく。

犬たちの深い寝息を聞きながら眠りについたり
家に帰ると必ずおもちゃをくわえて迎えにきてくれたり
そろそろ散歩の時間じゃない?とチラチラ視線を向けてきたり

お互いに大好きで大切で安心できる存在だったからこそ、平穏な安らぎがもたらされていた。

振り返ってみれば、私たちは持ちつ持たれつの関係だったと思う。タロハナがいなければ、彼らと生活を送っていなければ、今の私は絶対になかった。人生を豊かにしてくれただけでなく、いっぱい成長させてくれた。どれだけ自分は彼らに頼っていたのだろうかと今更ながら思い知らされている。

2017年、犬曰くを始めてからずっと続けてきた下町シリーズ。タロウとハナがいなくなった今、これで終了にしようかと思った。けれど彼らと私はこれからもずっと一心同体だ。きっと私の中にいる彼らがアレコレ言ってくるに違いない。

「書いて!世の中の犬たちや飼い主さんたちがもっと幸せになれるように」

そんな時にはまた、彼らの力を借りながら、下町シリーズとして言葉に綴ってみたいと思う。

ふとした瞬間に皆さんが下町ブログの記事を通じてタロウやハナを思い出してくれることがあるなら、これ以上嬉しいことはない。

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