タロウとの別れ(3):タロウ亡き後のハナ

文と写真:尾形聡子


ハナがやってきて2日後。この時からすでに、ハナはタロウの存在に頼っていたのだと思う。

タロウとの別れについて、これまで2回にわたって書いてきた。今回はタロウ亡き後のハナの様子についてお伝えしたいと思う。

タロウ亡き後のハナの様子について

今年に入ってから、同居している仲間を失った後の犬は何を感じるのか、という内容のブログを書いた。

同居犬の安否を、はたして犬は気遣うのだろうか?
文と写真:尾形聡子 タロウの急激に巨大化してしまったほくろからの出血に気がつき獣医に駆けつけたら、その日の夜に急遽手術となった。彼を病院へ預け、帰り…【続きを読む】

そこでは、

ハナはタロウ自身の心配を多少はしていたのかもしれないが、やはり人から受けた異様なムードにおびえたことが大きかっただろう。さらに、ハナは自分自身が一人きりになるかもしれないことを案じたに違いないと思った。トラの威を借るキツネではないが、ハナにとってタロウの存在は自分が自由に行動するために安心な存在でもあるからだ。人間の私に欠けているところを、ハナは大きくタロウに依存してきていた。

離れている時間が短かったせいか、居場所のにおいを嗅ぐ行動はハナには見られなかったが、ハナは人から受けたストレスプラス、もしかしたらもしかしてタロウが永遠にいなくなること=死のようなもの?をイメージして自ら強いストレスを招いていたのかもしれない。

と考察していたのだが、実際にタロウが亡くなった後のハナの様子がどうであったか、ここに記したい。

タロウが亡くなる前1週間ほど、私の意識は相当タロウに向けられていたのだろう。普段タロウが寝ているベッドにハナがたまに寝てしまうようになった。そうなるとそうなるで、タロウは自分の居場所が取られてしまったと戸惑っていた。横になると苦しくて起きてしまうというのに。とはいえ少しでも休みたいときに休めるよう、そんなときに私はハナを無理やりベッドからどかしていた。

タロウとの別れに際して、獣医さんが家にやってきた。獣医さんの自宅訪問は初めてのことだった。その時点でハナは普段とまったく違うことが起きていると感じたに違いない。タロウが処置を受けている間は自分のベッドで横になり、ジッとしていた。様子を見ていたかどうかは記憶に残っていない。タロウが亡くなりベッドに横たわらせるも、ハナは引き続き自分のベッドの方でジッとしていた。夕方散歩に出るときにタロウが来なくても、別段気にしている様子はなかった。が、外に出るとすぐに下痢をした。

夜はお通夜をしてお線香をたいたら、初めての香りにお線香に何度も近づいてきたが、そのすぐ隣で横たわってるタロウのことを視界に入れようともしていないように見えた。ちらっとタロウのにおいを嗅いだようにも見えた瞬間も一度だけあったが、それきりで、私が見ている限りタロウの様子をきちんと確認しないままにハナは眠りについた。

翌朝早く目が覚めると、ハナは下痢まみれになっていた。そして、タロウにかけていた毛布に何か所か下痢がつき、上に置いていた花が乱れているのに気づいた。ハナは私が寝ている間にタロウの様子を確認しに行ったようだ。少なくともタロウの体の上に足を乗せただろうことは確実だった。

ブログで紹介した研究では、もっともよくみられた行動として「先立った同居犬・猫が好んで寝たり休んだりしていた場所をたえずチェックしていた」と挙げられていたが、ハナは決して頻繁にはその行動をとらなかった。また、食餌の量が減ることもなければ、寝て過ごす時間もとりたてて増えていない。飼い主である私に親和的な行動をより示すようになることもなく、下痢を除いては、おしなべてこれまでとは大きく変わらない様子だった。

あっという間に1週間が過ぎ、少しずつタロウがいない現実を受け入れてきたためか、私よりも長い時間いつも一緒にいたタロウがいなくなってあらゆることに張り合いがでないのか、少し元気がないような状況は続いているけれど。

とはいえ、ハナが強烈なストレスを感じていたことは下痢という形であらわれた。やはり、何かしら恐怖のようなものを感じていたのではないかと思う。目の前に動かないタロウがいて、それを人が思う「死」と理解しているかといえば、決してそうではないとも思うし、人が感じるのと同じような死別の悲しみは感じていないと思うが、私がタロウにもう一度会えるなら会いたいと思う気持と似たような感覚はハナにあるように思う。不安と寂しさが入り混じったような感情なのだろうか。きっとタロウに会いたいと思っていると思うが、どんなに想像しようとも、実際のところは分からない…。

めったにくっついて寝ることはなかったけれど…とってもいいコンビだったと思う。ハナは私よりもずっと長い時間をタロウと一緒に過ごしていた。ハナ、タロウが安心できる存在でいてくれて、本当によかったね。

タロウあってのハナで、ハナあってのタロウだった。そして、タロウあっての私でハナあっての私、タロハナあっての私だった。長い年月をかけてゆっくりと築いてきたその関係は、一旦終わることになる。けれど、皆での生活で培ったものがなくなってしまったわけではない。ハナの中にも私の中にもタロウは永遠にいる。

これからは少し違う形でハナとの二人きりの生活が始まる。タロウがきっと残してくれたのだろう言葉を胸に、今、これからを生きていきたいと思っている。

ハナと一緒に今の生活を楽しんでね

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