タロウとの別れ(1):安楽死を決意するも

文と写真:尾形聡子


16歳の誕生日の朝。斜頸がかなり進んで真っ直ぐ座ることもできなくなっていた。

1月30日に16歳を迎えたタロウ。

誕生日を迎えられたのはもちろん嬉しかったが、同時に辛さも感じ始めていた。この4日間、横になるとすぐに呼吸が苦しくなり、部屋の中をウロウロしてほとんどの時間を立ったまま、眠れずに過ごす状態になっていた。

「このままタロウは苦しみ続けてしまうのだろうか…」

昨年9月末、脇腹にあったほくろが数カ月で巨大化してしまったため手術を受けることにした。メラノーマだった。良性だったほくろがいつしか悪性のものに変化してしまっていた。脇腹にできた巨大な塊は手術できれいに取り除くことができたものの、タロウにはまだ深刻な問題が残っていた。呼吸の問題だ。

息切れをするというような心臓疾患的な症状ではなく、なにやら鼻の奥にできているかも?というようなわずかな違和感が始まりだった。右の鼻の穴だけから鼻水をたらすことも増えていた。今思えばすでに鼻の奥にメラノーマが転移していたと考えるのが妥当だと思うが、その正体は最期まで分からないままだった。

手術をしてから一度大きく体調を崩すも12月に入ってから復調し、楽しく散歩ができるまでにもなった。無事に年を越すことができたが、鼻の奥にあるだろう何かは着実にタロウの体をむしばんでいた。鼻水にはうっすらと血が混ざることが多くなり、一度、明らかに鼻血といえる鮮血を出したこともあった。どうにかして鼻水を吸引できないか、赤ちゃんの鼻吸い器は使えないものかと獣医さんに相談したが、犬の鼻の構造上、残念ながら無理だと言われた。鼻をかむことを知らない犬をとても可哀そうに思った。

誕生日の1か月くらい前の年末、同じ神社にて。斜頸もまだそんなに気にならなかったころ。復調してくれたことがどれだけ嬉しかったか…。

1月の中旬になるとタロウの呼吸が明らかに悪化した。呼吸をするときに大きな音が鳴るようになってきてしまったのだ。ダースベーダーのような音と言えば想像してもらいやすいのではないかと思う。そうこうしているうちにストレス症状があらわれ始めた。ベッドや座布団などをイライラした様子で鼻でつついたりひっくり返したりするようになった。鼻の奥にあるだろう何かに強い違和感を抱き始めたためだと思う。でも、痛みがあるような感じではなかった。

1月の下旬には横になって眠ると呼吸が苦しくなってしまう状態になり、私がゆっくり横にならせて撫でていても、あっという間に立ち上がってしまう。ゆっくり眠ることがまったくできない日々が始まってしまった。

「もうこれ以上、タロウを苦しみ続けさせることはできない」

眠れなくなって数日後から、あまりの眠さに立ったままウトウトしては、力が抜けて脚が折れ、ばたりと床に倒れてしまい、びっくりして立ち上がるのを繰り返すようになった。そして、自分のそんな状態をどうしていいのかわからずに、寄りかかれる場所を探してさまよい、ベッドや座布団にストレスをぶつける。そんなことを24時間くり返す姿を見て、安楽死を考え始めた。

仮に鼻の奥に腫瘍があるとしても、外科的に取り除くことは不可能な場所だと聞いていた。もしもそれが腫瘍で、積極的に治療をするならば、抗がん剤や放射線などを使うしか道はなかった。けれど、年齢も年齢、そのような治療は受けないと決めた私の意をくんでくれ、獣医さんはあの手この手を使って少しでもタロウの症状を緩和させようと尽力してくれた。

鼻の奥の何かは食べ物ばかりか水を飲むのも邪魔し始めていたようで、少しずつ落ちていた食欲もそこへきてかなり減退した。安楽死を決意した。そして、獣医さんにメッセージを書いた。

横になって眠れない状態が10日を超え、QOLが明らかに急激に低下してきました。眠れないことや鼻の奥の異物感から相当なストレスを感じているようで、イライラがかなり募っています。鼻の通りが悪いためか、食べ物だけでなく水を飲むのにも影響が出てきているように思います。呼吸の問題がほかの部分にも及んできたことをひしひしと感じています。口呼吸にはなっていないものの呼吸音はさらにひどくなり、たびたび息が詰まって苦しそうな様子を見せたり、イライラウロウロしながら、それでも眠すぎて立ちながら寝落ちしてしまうのを繰り返す姿を見続け、タロウがタロウでいられるうちに、これまでの生活で築いてきたQOLが少しでも残っているうちに、安楽死をしてあげたいと思うようになりました。タロウだけでなく、残されることになるハナにもこのところよくない影響が出てきていると感じますし、私自身も寝不足で、外出中に呼吸困難に陥ったらどうしようという不安を抱えての日々です。皆のQOLが下がりきってしまわないようにしたい、という気持ちもあります。

安楽死をするかどうかに直面したとき、法律もしくは科学的なものに裏付けされた明確な基準があって欲しいと強く感じた。自分の判断が今でいいのかどうか、とにかく頼れる客観的な何かが欲しかった。しかし、私にとっては幸い獣医さんからの返事がそれとなり、決意を固めることができた。

タロウの件、今の状況を考えると私の中でのすべての条件がそろっているように思えます。①治ることのない病気、本犬は相当苦しい。②治療はしたが、効果もみられない、そしてこれ以上の良化は望めない。③ご家族も一緒に苦しい。時に体調を崩す。この3つのことと、その飼い主さんと私がどれだけ話をし、理解し合えたか、によって、ときに安楽死を選択すること、選択せざるを得ないことがあります。今までの楽しい思い出が、最期、苦しんでいる姿で終わることをよしとしない場合です。

信頼できる獣医さんでよかった。心の底からそう思った。

このメッセージをもらった翌日安楽死をお願いし、診療が終わってからにしましょうということになった。日中は落ち着かず、それは今までに感じたことのない、えも言われぬ苦しみだった。ただし最後の散歩へと外にタロウを連れ出しその歩く姿を見たとたん、私の決意はあっけなく崩れてしまった。

家に戻るとすぐに獣医さんにメッセージを送った。

「散歩に行ってタロウが歩いている様子を見て、もう少し待ってみようと思ってしまいました。たくさん考えて出した結論なので後悔はありませんが、まだ何かが違う感じがあるというか、勇気が出ないというか、そのような状態です」

 

【関連記事】

タロウとの別れ(2):決断のとき
文と写真:尾形聡子 タロウ、生まれてはじめての雪。水だけでなく雪も最初から大好きだった。 安楽死の決意が崩れた金曜の夜、10日以上ほとんど眠れていなか…【続きを読む】