犬の毛色研究最前線:E遺伝子座の最新情報

文:尾形聡子


[photo from WikiMedia] イングリッシュ・コッカー・スパニエルの「セーブル」と呼ばれる毛色。

犬の毛色決定に関わることがわかっている遺伝子は現在15個あります。これらの遺伝子のうち、3つは全身の基本色を作る遺伝子として知られています(A遺伝子座、K遺伝子座、E遺伝子座)。そのほかはメラニン色素を希釈したり、E遺伝子座の影響するメラニンの濃淡に影響をしたり、白斑や小さな有色斑を作ったりするもので、これらの遺伝子の働きがすべて合わさり、それぞれの犬の毛色を形成しています。

以下の図はメラニン色素を作り出す細胞とそれに関わる物質を簡略化して示したものです。


[image from Animal Genetics,fig2を改変]

今回紹介する研究の主役はE遺伝子座のMC1Rという遺伝子で、メラニン細胞の細胞膜上に受容体を作ります(図のピンクマーカーで塗った部分)。体のどの部分にユーメラニン(黒〜茶色)の毛色を発現させるか、あるいはフェオメラニン(赤〜黄色)にするかの決定に関わる遺伝子です。A遺伝子座のASIP遺伝子と結合すればcAMP(細胞内情報伝達物質のひとつ)活性が下がるためフェオメラニン合成を促進します。そしてK遺伝子座CBD103遺伝子の変異型タイプはASIP遺伝子のMC1Rへの結合を阻害し、自らが結合することでcAMP活性を高め、ユーメラニンの産生を促進させます。

これまでにわかっているE遺伝子座の対立遺伝子

これは、犬におけるA、K、E遺伝子座の基本的な色素形成メカニズムになりますが、MC1Rが野生型(遺伝子変異がない状態)ではない場合、少々事情が異なってきます。MC1Rにはいくつかの変異型(対立遺伝子)が存在することがわかっていて、それぞれの変異型は優性・劣性の関係にあります。これまで考えられていた対立遺伝子の関係性は以下のとおりで、上から優性の順番となります。

EM>EG>E>eA>e

EM(ユーメラニンのマスク)
EG(アフガン・ハウンドやサルーキーのドミノやグリズル)
E(野生型:ユーメラニンを全身に拡張)
eA(古代レッド)
e(劣性イエロー、ユーメラニンの毛色は完全になし)*E以外はすべて変異型。eには3タイプの変異があるが、すべて全身がフェオメラニンの表現型となる。

E遺伝子座、そして先に述べたA遺伝子座、K遺伝子座、E遺伝子座との関係について詳しくは「E遺伝子座の新しい対立遺伝子〜アラスカン・マラミュートや北欧系スピッツなど35犬種に存在」を参照いただくとしまして、今回は、イングリッシュ・コッカー・スパニエル(以下、Eコッカー)の「セーブル」と呼ばれる毛色に関係するE遺伝子座における変異が新たに同定され、E遺伝子座の対立遺伝子の優劣関係の変更が提示されたことを紹介したいと思います。ちなみにEコッカーはさまざまな毛色パターンを持ちますが、セーブルについては現在スタンダードカラーとして認められていないそうです(JKCのサイト)。

セーブルという毛色は犬種によって異なる場合も

犬の毛色の呼び方で厄介なのが、同じ呼び方をする毛色でも犬種によって表現型(見え方)が違っていたり、同じように見えても遺伝背景が違ったりすることです。

通常のセーブルと呼ばれる毛色はA、K、Eの遺伝子座のうちA遺伝子座の遺伝子型が基本色としてあらわれているもので、遺伝的にはシェーデッドイエロー(SYの表現型になります。身近なところではシェルティのセーブルや、ポメラニアンのオレンジセーブル、ミニチュアダックスのシェーデッドクリームやシェーデッドレッドなどがここに含まれます。基本的な毛色はクリームからレッドで、毛先に黒や茶色などの濃い色の着色があり、濃い色の割合は個体によって差があります。


[photo by Japono] セーブルのシェルティ。

一方でEコッカーのセーブルも一般的なセーブルと同様にA、K、Eの遺伝子座のうちA遺伝子座の遺伝子型が基本色としてあらわれるのですが、遺伝子型はブラックバック(BBになります。この遺伝子型に含まれる表現型は、黒柴や、バーニーズ・マウンテン・ドッグのようなトライカラー、ブラック&タン、チョコ&タンなど全般です。ただし、EコッカーはそこにプラスしてE遺伝子座の対立遺伝子の働きが関与するために、これらとは少々違う毛色を呈します。

ドミノやグリズル(EG)そして古代レッドに(eA遺伝的に酷似しているEコッカーのセーブル

Eコッカーと同様に、一般的なセーブルではないながらもセーブルという名の毛色を持つのがボルゾイです。同系統の毛色を、アフガン・ハウンドではドミノ、サルーキーではグリズルと呼びます。毛色の名前は昔からの呼び名がそのまま使われているため、遺伝背景から分類できるようになった今となっては、本当に厄介で混乱させられます。ですが、残念ながらこればかりはもう、覚えていくことで対応するしか方法がありません…。

さて、サイトハウンドに見られるこの系統の毛色はE遺伝子座のなかの対立遺伝子EGによるものであることがわかっています。これと同様のパターンを見せるのが古代レッド(eA)の対立遺伝子です。古代レッド(eA)については「E遺伝子座の新しい対立遺伝子〜アラスカン・マラミュートや北欧系スピッツなど35犬種に存在」にて詳しく説明していますが、想像していたよりも多くの犬種に存在している対立遺伝子であることがわかっています。

そしてEコッカーのセーブルの個体について、今回の研究からE遺伝子座のMC1R遺伝子に新たな変異があることが同定され、その対立遺伝子は「eH」と名付けらました。なぜEHと表記されないかというと、それはeAと同じ理由になります。通常、対立遺伝子は優性のものを大文字で、劣性のものを小文字で表記するというルールがあるためです。eAにおいても、そして新たに同定されたeHにおいても、E遺伝子座においてEあるいはEMの対立遺伝子をひとつでも持つと逆富士額のような特徴的な毛色にはならないことがわかったためです。さらに、これらの対立遺伝子に対するK遺伝子座の遺伝子型とA遺伝子座の遺伝子型の影響も共通していました。


[image by Animal genetics fig1] 上段がセーブル「eH」の影響を受けたEコッカーの毛色。下段は「eH」の対立遺伝子を持たない個体の毛色。

E遺伝子座において、e(劣性イエロー)以外の対立遺伝子においては、K遺伝子座の遺伝子型とA遺伝子座の遺伝子型の影響が毛色にあらわれます。つまり、3つの遺伝子間の関係は、e を除いたE遺伝子座よりもK遺伝子座とA遺伝子座のほうが上位(エピスタティック)ということになります。さらに通常、K遺伝子座の対立遺伝子KBあるいはkbrはA遺伝子座よりも上位にあり、kyのときにのみA遺伝子座の遺伝子型の毛色をあらわします。遺伝子内の対立遺伝子のみならず、このように、毛色に関わる遺伝子は遺伝子どうしの関係性があり、強く形質に影響するほうをエピスタシス(上位性)、別の遺伝子に隠されてしまうほうをハイポスタシス(下位性)というふうに呼びます。

eAやeHは、K遺伝子座の遺伝子型がいずれであろうとA遺伝子座の遺伝子型の毛色が主となりユーメラニンとフェオメラニンの両方を産生し、そこにeAあるいはeHが部分的に毛色に影響を及ぼしていると考えられます。

さらに、研究者らはサルーキーとポーリッシュ・グレイハウンドのE・K・Aの遺伝子型と毛色との関係を調べ直しました。


[image by Animal genetics fig2] サルーキーとポーリッシュ・グレイハウンドのEG対立遺伝子とK・Aの遺伝子型の関係と毛色への影響。

最初にEG対立遺伝子が発見された2010年の研究では、EGはEよりも優性で、A遺伝子座の対立遺伝子がat/at(現在のBB/BB)である場合にのみ発現すると考えられていました。しかし今回の研究から、EG対立遺伝子は古代レッド(eA)やコッカーセーブル(eH)と同様に、EあるいはEM対立遺伝子を持たない場合に、K遺伝子座とA遺伝子座の遺伝子型による毛色に影響を与えていることが示されました。そこで、研究者らはこれまでの「EG」という対立遺伝子表記を「eG」とし、eA/eH/eG の対立遺伝子はE(野生型)の機能低下型変異であると考え(e対立遺伝子は機能喪失型変異)、E遺伝子座の優性ヒエラルキーを以下のように修正することを提唱しています。

EM > E > eA/eH/eG > e

EM(ユーメラニンのマスク)
E(野生型:ユーメラニンを全身に拡張)
eA(古代レッド)/ eH(コッカーセーブル)/ eG(アフガン・ハウンドやサルーキーのドミノやグリズル)←この3つの対立遺伝子間の優劣は現時点では不明
e(劣性イエロー、ユーメラニンの毛色は完全になし)

ちなみに今回のeG対立遺伝子解析から、eG対立遺伝子を持つ犬種はサルーキー、アフガン・ハウンド、ボルゾイ、ボーリッシュ・グレイハウンドに加えて、セントラル・アジア・シェパード・ドッグ、クレタン・ハウンド、コーカシアン・シェパード・ドッグ、チベタン・マスティフ、シルケン・ウインドハウンド、アラスカン・ハスキーの6犬種および雑種犬でも発見されました。


[Image by ragnahellberg from Pixabay] ボルゾイはeG対立遺伝子を持つ頻度が一番高い(50%)犬種であることが今回の研究で示された。

遺伝学者のClarence Little博士が「The Inheritance of Coat Colour in Dogs」という犬の毛色遺伝についての著書を発表したのが1957年。ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見して間もないころでした。それから半世紀以上が過ぎて博士が想定していた毛色遺伝子の多くが突き止められ、さらに細かな対立遺伝子が明らかにされています。

わかればわかるほど毛色を作る遺伝背景は複雑になっていきますが、ひとつの毛色を作り出す遺伝子の働きや関係性を知ることができるのは、今の時代に生きているからこそ。犬の毛色遺伝学の偉大な礎を作ってくれた博士が今現在生きていたら、どんなふうに今の毛色遺伝子研究を見るのでしょう。

【参考文献】

Canine coat color E locus updates: Identification of a new MC1R variant causing ‘sable’ coat color in English Cocker Spaniels and a proposed update to the E locus dominance hierarchy. Animal genetics, 2024

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