犬種という文化遺産を守る

文と写真:藤田りか子

クランバースパニエルは、ショードッグとしては、重く作られてしまった。そのために不健全な個体も多い。一方でフィールドで活躍するスリムで健康的な、本来の姿を持つクランバースパニエルは、数が減ってしまった。今、その保存にイギリスの愛好家たちは力を注ぎはじめている。

先日スウェーデンの西部にあるノルデンズ・アークという動物公園を訪れた。ここには、ライオンやキリンなどスター動物はいない。主に絶滅の危機にある種を扱っているのがその特徴。種を守り、遺伝子を保存し、そしてその研究を行うのが公園の目的。ノルデンズ・アークというのは「北のノアの箱舟」という意味。動物たちの救世主というわけだ。

面白いのは、動物園に家畜コーナーもあって、絶滅に近いスウェーデン原産の家畜、つまり、牛、馬、豚も保存されていること。絶滅に瀕した野生動物を守る、という概念なら理解しやすい。しかし家畜までも?と驚かれるだろう。いや、世界中には様々な土着家畜がいるもので、生理的にも、行動的にも原始さをとどめているものだ。少量であまり栄養のない草でも生きていけたり、病気に強かったりと、頑丈なタイプが多い。

それが、今は生産性オンリー(ミルクがどれだけ取れるか、肉がどれだけとれるか、いかに早く成長するか)が選択の基準となっているため、その目的にかなった一部の家畜ばかりが台頭している。古いタイプの牛、豚は皆外国種に追いやられてしまった。それで、ネイティブの家畜は行き場を失い、絶滅に瀕している。

ノルデンズ・アークで飼われている希少豚種、スウェーデン原産のリンデレーズ豚。白地にブチ柄が特徴だ。

ノルデンズ・アークで飼われているリンデレーズ豚は、スウェーデンの南部を原産地とするのだが、現在商業的家畜として飼われていることはない。その純血遺伝子を守るために遺伝子バンクに登録されている。動物の持つ多様性は、いつ役立つときがあるかわからない。保存の価値はそれだけではなく、古い家畜とは、その土地の自然と文化とともに育ったわけだから、生態学的にもそして歴史文化的にも非常にユニークな動物でもある。

同じことが多くの犬種にも当てはまる。犬種は現在800種以上とも言われているが、それはその国、土地、気候にあった犬が、おのおのの地方に、あるいは活躍分野に存在することに由来する。

鳥猟犬を例にとろう。同じガンドッグでも、ドイツを原産とするワイマラナーとイギリスのセターの違いとは、彼らの鳥を探す際の捜索範囲の広さにある(注:他にもまだ違いがたくさんある。ワイマラナーは獣猟にも使われる)。高原を猟場としてきたセターは、ギャロップで走り回り、空気中のにおいを拾う。そして捜索範囲が広い。

一方、ドイツにはそこまで広い猟場はなく、森や茂みが鳥猟犬の活躍舞台。それでワイマラナーはセターほど遠くに行かないし、土地にあった捜索方法を取る。さらに鼻が地につきやすい。こんな風に、犬の持つ一つ一つの特徴は、その土地の狩猟文化の背景までも語ってくれる。

犬を含め家畜動物とは、人との係わり合いの中で作られた。と考えると、犬種というカテゴリーは、その土地、その時代のひとつの文化遺産ともみなすことができるのだ。

先日、ベルギーの大きなインターナショナルショーでベストインショーを勝ち取ったワイマラナー。審査員曰く「この犬に賞をあげたかったのは、姿もいいけれど、フィールドでもとてもいい成績をあげている犬だからなんだ」。犬種とは、姿形だけがすべてではない。中身もともなってこそ!

何故こんな話をしているのかというと、欧米では、健全性を無視したドッグショーだけでの勝ち負けに基づく繁殖が過激になりつつあり、BBCなどは、あるドキュメンタリー番組を通してイギリスのケネルクラブをもたたき始めたから。それを受けて世界中が、ドッグショーを疑問視しはじめ、さらには血統種とはけしからん、という風潮すら徐々に出来つつあるから。動物愛護団体グループの中には、血統犬種廃絶!などと謳っているところもある。

いや、違う。犬種の意味を皆取り違えている。犬種とは本来そういうものではないはずだ。犬種を絶やしてはいけない。エキセントリックな見かけを持つ犬の一カテゴリーが犬種の定義ではない。おのおののニッチを持つ、文化という生態系で生きてきた貴重な動物だ。だから文化遺産なのだ。どうも、世界全体が犬種とは何か、その根本にあるものを誤解しているか、あるいは忘れつつあるように思える。

(本記事はdog actuallyにて2009年1月21日に初出したものを一部修正して公開しています)