文:尾形聡子
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犬に限らず多くの動物は声を使ってメッセージを送ったりコミュニケーションをとったりします。犬は家畜化により祖先のオオカミより多くの声のレパートリーを獲得し、オオカミよりも発声することが多いと言われていますが、もちろん共通しているものもあります。そのひとつが唸り声です。
基本的に犬が唸り声を上げるのは、何かに対して脅威を感じ、自分に近づかないでと警告を発するためです。あるいは隠したオヤツや骨などを守るために近づくなというメッセージとして使うこともありますし、爪切りなど嫌なことをされると勘付いたときなどに唸ることもあります。一方、引っ張りっこ遊びなど、遊びの最中に興奮してくると唸り声がもれてくることもあります。これらの2タイプの唸り声は同じ唸り声にくくられるものの、明らかに音の構造が異なっていることが2010年の研究により示されています。
その研究を行ったのは、世界の動物行動学研究を牽引しているハンガリーのエトベシュ大学。犬のボーカルコミュニケーションについての研究を20年にもわたって続けています。数々の犬のボーカルコミュニケーション研究において、犬は犬の唸り声を聞いただけで相手の犬の体の大きさを推測していることや(以下、藤田りか子さんの記事リンクを参照)、人も犬の唸り声を聞いて犬の体の大きさを推測していることが示されています。
犬の唸り声は相手にメッセージを送るだけでなく、発声している犬自身の情報も伝えていることになるのですが、脅威を持った相手に対して、あるいは、資源の防御のために近づくなと警告する際、自らをより「大きな体をしている」かのように思わせる唸り声を出す可能性があります。唸り声だけを聞いた場合、実際よりも大きな体をしていると相手に想像させることができれば、相手を追い払ったり、資源を守ったりしやすくなると考えられるからです。
犬は状況に応じ、相手を欺くともいえる唸り声を発しているのか、さらに人は犬のそのような唸り声からも犬の大きさを推測できるのかどうかを検証した、エトベシュ大学の新しい研究を紹介したいと思います。
音声の要素
その前に、声を含む音の違いは、何により生じるのかを簡単にまとめておきましょう。音声は「音程」と「音色」の二つの要素によって決定されます。
「音程」は「ピッチ」とも呼ばれ、音の周波数により音が高いか低いかを決めています。音声にはさまざまな周波数が含まれていますが、唸り声のピッチはその中で一番周波数の低い基本周波数に大きく影響されます。
「音色」はさまざまな周波数の組み合わせにより決定されるもので、「基音」にくわえて「倍音」の入り方により音色も異なってきます。たとえば、同じ基音となる「ド」の音をトランペットやピアノなど違う楽器で鳴らしたときに、楽器によって特徴のある音になるのは倍音の響き方が違うためです。その倍音の中で強い周波数帯域を持つものを「フォルマント」と言い、唸り声のタイプによってフォルマントの周波数が異なることが、前述した2010年の先行研究で示されています。
音声を構成するこれら二つの要素にくわえ、唸り声では「持続時間」、すなわち発声しつづけている時間の長さが、唸り声から相手に伝えられるメッセージに影響を及ぼすと考えられています。犬の唸り声は音程が低く持続時間が長いほど、より脅威的なメッセージとして相手が感じることがわかっています。つまり、攻撃的に聞こえるとかどうかは「音程」と「持続時間」に左右されるということです。
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犬は唸り声を使い分けているか、人はそれを聞き分けられるか
研究者らは、同研究室が行った2016年の先行研究にて使用された犬の唸り声の録音から選択された、22犬種と雑種の56頭の犬の唸り声を今回の研究で使用しました。犬の唸り声の録音は、犬にとって見知らぬ人(男性あるいは女性2人、それぞれ体の大きい人と小さい人)が犬を見つめながら近づいてくるという軽度のストレスをかける状態をつくり、その際に犬が発声したものです。56頭の犬はもれなく体のサイズもさまざまでしたので、唸り声もそれぞれに異なっていますが、より強く脅威を感じた場合に犬はより大きな声で唸るだろうと研究者らは予測します。
使用された215の唸り声の中から2つを組みにして(違う犬との唸り声のペア、あるいは、同じ犬が別の人に対して発した唸り声のペア)、唸り声のペアを聞いた参加者が、どちらの唸り声の犬の方が体が大きいかを回答するというオンラインアンケート調査を実施しました。
オンラインアンケートに参加したのは311名(男性77、女性234)。参加者は2つの唸り声を聞いて体の大きさを予想する、というのを45組分回答しました。45組の唸り声のうち30組は同じ犬の別の状況での唸り声の組み合わせ、残り15組は違う犬の唸り声の組み合わせになっており、これらがランダムに提示される仕組みになっていました。
アンケート回答を解析した結果、唸り声の組みが異なる犬から発せられたものの場合には、人はどちらの犬が大きいかを的確に判断していて、唸り声の3要素(低い音程、低音域に多く見られるフォルマント周波数、長い時間続く唸り声)を体の大きさの判断と関連づけていることが示されました。
しかし、研究者の予測に反して、同一の犬の唸り声において、唸り声をあげる対象が女性の場合の方が男性のときよりもより大きな犬だと回答する傾向にあることがわかりました。唸り声を出す対象が両方とも女性、あるいは男性だった場合には、体の大きな方の人に対する唸り声の方が大きい犬だと回答されていたこともわかりました。
さらに、犬は男性に対して唸るときと女性に対してのときとでは、唸り声のパラメータを変化させていました。女性に対して発する唸り声の場合、唸っている時間が長くなるほど大きな犬と認識される傾向がありましたが、男性に対しての唸り声の場合にはフォルマントの分散がより顕著なほど大きな犬だと回答される傾向にありました。
これらの結果より研究者らは、犬は脅威の対象となる人間の体の大きさや性別に応じて唸り声を変化させている可能性があると結論しています。
ちなみに、体の大きな方の男性に対して最も脅威的な唸り声を出すだろうと予測していた研究者らは、女性への唸り声に対する印象の方がより大きい犬だと感じる結果になったことに対し、女性の方が犬の感情的なシグナルに敏感であることを犬は過去の経験から学んでおり、強く威嚇すればより簡単に撃退できると予測していたためではないかと考察していました。
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人が犬の唸り声を聞いて体の大きさを推測する能力は、何歳ごろからついてくるものなのかが気になるところです。唸り声は「今から攻撃します」ではなく、その多くは「私から離れてください」のメッセージを出しているということを若いうちから知っておけば、幼い子どもに多い咬傷事故の予防にも繋げていけると思います。もちろん、ボディランゲージへの理解も大切です。
犬は相手によって唸り声の音程や音色、発声時間の長さなどを変化させているのは予想できることでしたが、人の性別によっても変えているのには驚きました。唸り声を上げる状況のときだけでなく、普通の日常生活のさまざまな場面においても、犬は声で人に意思表示するときに声色を変えているのかもしれない、などと想像するものです。
【参考文献】
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