スウェーデンの狩猟における持続可能性:ハンターの話を聞いて考えたこと

文:金森万里子
写真:藤田りか子

日本では狩猟を身近に感じる人は少数派かもしれませんが、世界中では狩猟を行っている人はたくさんいます。例えば低所得国の中には、人口増加とともに狩猟数も増え、動物を獲りすぎた結果、生態系のバランスが崩れたり稀少種が絶滅に瀕したりといった問題が生じている地域もあります。野生動物の個体数が増えたり減ったりしすぎないようコントロールするうえで、狩猟のあり方は大きな意味を持ちます。生態学分野では、北欧の狩猟は持続可能性が高いことが有名だと聞きました。そこで今回は、スウェーデン・ヴェルムランド県のハンター、カッレさんにお話を聞きながら、考えたことをまとめてみたいと思います。

個体数管理はどのようなプロセスで行われるか?

まず、スウェーデンではどのように狩猟がコントロールされているか、制度面から見てみましょう。

スウェーデンで狩猟をするには、狩猟権を手に入れる必要があります。そのためには、その地域の狩猟コミュニティと信頼関係を築いてメンバーに入れてもらうか、またはゲストとして権利を借りる必要があります。前者では当然、狩猟のルールやマナーを熟知している人でなければ仲間に入れてもらえないでしょうし、後者の場合も、狩猟コミュニティからしっかり監視されていることが想像できます。なお、ゲストとして参加する場合は「おもてなし」のような感じらしくて、服装もイギリスの貴族風狩猟のような感じになるのだとか。(普通は、スウェーデンでは実用的で素朴な狩猟服が好まれます)

ところで一般的に、ある地域に生息している動物の種類や数は、個体数管理の前提となるとても大事な情報ですが、それを調べるのは結構大変です。すべての動物を数えることはできないので、何らかの手法を使って予測することになります。この予測が正しいのか・正しくないのかという議論が、特に様々な利害関係に巻き込まれる動物種に関しては、起こりやすくなります。


企業が狩猟地を所有していることも多く、そこでクライアントへの「接待猟」も開催される。仕留めた獲物は最後に並べて(スウェーデンではこれをパレードと呼んでいる)火を焚き狩猟の神様に感謝をして弔いを行う。

スウェーデンでは、狩猟者自身が個体数推定のためのデータ収集に関わる構造になっています。ハンターは、自分が狩猟を行う土地を歩いて、特定の動物種の糞の数や見かけた動物数を報告する義務があるそうです。それらのデータがスウェーデン狩猟協会(Svenska Jägareförbundet 英語名: Swedish Association for Hunting and Wildlife Management)に集められ、政府を通して、地域ごとに狩猟してよい動物の数(雌雄や大人・子どもなどの内訳も)が決定されます。狩猟協会は政府から実際の狩猟管理を委託されている機関で、大学の研究者ともコラボレーションしています。

このように、狩猟してよい動物の数を決めるプロセスに狩猟者自身が関わることで、プロセスの透明性が高まり、定められた数字に狩猟者自身が納得しやすいのではないかなと思いました。ただ逆にいじわるな見方をすれば、狩猟者は利害関係者なので、誰かが自分の利益(多く狩猟したい)のために、実際より多く個体数が見積もられるよう嘘の報告をする可能性もあるのかも・・・と思いました。

ただ、カッレさんに、だれかが嘘の報告をする可能性はないか?と聞いてみたところ、あまり想像ができないとのことでした。きっとスウェーデンのハンターはかなり高いレベルの信頼関係で成り立っているのだろうなと思いました。もし仮に誰かがある地域で嘘の報告を行ったとしても、となりの地域と数字がかけ離れていたらすぐわかるだろうとのこと。

捕獲してよい数は、動物種ごとに異なります。例えばノロジカはスウェーデンでは十分数が多いと考えられていて、現在、制限はないそうです。しかしヘラジカ、オオカミ、クマなどは捕獲数が決まっています。捕獲数は推定された個体数だけで決められるわけではなく、そこには、狩猟者がどのくらい狩猟をするか、つまり生態系のバランスにおいてどのくらい人間が影響力を発揮するかなどの要因も入ってきます。例えば捕食動物であるオオカミが減るとシカが増えると予想されますが、この増えたシカをその分人間が狩猟するのであれば、シカは増えすぎずバランスが保たれる、というようなイメージです。(なお、日本ではシカが増えすぎて森への被害が甚大で問題になっています)

以前エルミア・ゲームフェアに参加したときスウェーデン狩猟協会のブースを見学したところ、オオカミの管理方針について議論が白熱していました。狩猟協会は政府が決めた数よりももっと取るべきだと主張していて、オオカミによる被害の現状について大学とコラボして報告したりもしているようでした。オオカミがいると安心して森に入れない、狩猟犬が被害を受ける、などという感じでかなり嫌われているのだとか。


スウェーデンの自然管理局から出ている「オオカミの人口マネジメント」という冊子

狩猟者自身は持続可能性についてどのように考えているか?

つぎに、狩猟者自身が持続可能性についてどのように考えているか、心理面にも注目してみましょう。

スウェーデン・ヴェルムランド県のハンター、カッレさんに、狩猟の持続可能性についてどのように考えているかお聞きしたところ・・・きょとんとした様子で

「(狩猟者が持続可能性について配慮することは)当たり前のこと」

というお答えでした。誰かが獲りすぎてしまうと、動物の数の回復が追い付かなくなり、結局いつか狩猟ができなくなってしまいます。当たり前といえば当たり前のことのはずですが、日本の狩猟者の友人からは「野外ではたとえ決まりを破っても発覚しづらいから、犯罪まがいのことがおこりやすい」と聞いていたので、なんだか拍子抜けしてしまいました。たしかに、以前の記事で紹介したように、スウェーデンの伝統的なヘラジカハントを見学した際も、あらかじめ定められた捕獲数を守る節制の効いた狩猟を行っている印象を受けました。

カッレさんが繰り返し語ってくれた以下の言葉が、狩猟のポリシーをよく表しています。

Hunting is not about shooting, but about hunting.
狩猟とは射撃のことではない、狩猟のことだ。


スウェーデンの狩猟文化についてカッレ・オルソンさんからお話を伺った。犬曰く著者の藤田りか子さんのパートナーでもある。

大事なのは、銃弾を的に当てる行為ではなくて、どうやって狩猟するかということ。狩猟するには、動物の気持ちや行動を想像し、動物と知恵比べをすることが必要になる。射撃は狩猟に含まれる一要素に過ぎない。そういう意味だそうです。カッレさんは、YouTubeで見かけた、イギリスで撮影されたカモを大量に撃ち落とす動画に強い懸念を示していました。動物を命として扱っていない。そう感じたそうです。

ワイルドライフ・マネジメントを適切に行えるかどうかに関わるのは、狩猟者が捕獲数の決まりを守れるかどうかということだけではありません。どういう狩猟をしたいか、どういう狩猟者でありたいかといった、狩猟者目線の要因が深く関わっています。狩猟者の間で、こうした倫理観が共有されることも、狩猟の持続可能性において大切なのではないでしょうか。

狩猟文化としての持続性

スウェーデンの狩猟では、様々な場面で「動物の苦痛に対する配慮」が重視されます。動物の苦痛に対する配慮は、一見、狩猟の効率性や生産性にはあまり関係ないように感じられるかもしれません。なぜこのような特徴があると思うか、カッレさんに聞いてみたところ、これはスウェーデンの文化なのかもしれないとのこと。北欧の国々においても実態が異なっていて、例えばデンマークでは、手負いの獲物が他の人の管轄する猟区に逃げて行ってしまったとき、もうその獲物を仕留めることはできないのに対し、スウェーデンでは獲物の速やかな安楽殺を行うため猟区をまたぐことは問題ないそうです。

スウェーデンの狩猟免許の教本では、動物に対する配慮について豊富に紹介されています。そういえば、スウェーデン狩猟協会の方から「動物へ配慮する倫理観がすべての土台になっていて、狩猟におけるあらゆる側面で重要視されている」というお話を聞いたことがあります。


狩猟免許の教本。狩猟協会のWebサイトでの紹介には、「未来のハンターが知るべき、狩猟、倫理、動物、生態系、ワイルドライフ・マネジメント、武器、射撃について盛り込まれています」とある。なんと倫理は2番目に位置付けられている!

また、狩猟者の教育システムという点では、教本や動画資料だけでなく、様々な教育コースがあって学びの場が開かれているそうです。日本の友人から、狩猟の教育が弟子入り制度のような形で、女性ハンターが教えてくれる人を探すのに苦労することを聞いていますが(森で2人きりになることを嫌がられる、山の神様が女性を嫌がるといった理由で断られるなど)、スウェーデンではその悩みはない様子。

さらに、長期的に生態系を守るうえで大事なきまり(狩猟してよい数、動物種、方法・・)が守られるには、人々が節制しあい、協調することが必要になってきます。狩猟協会の活動が活発なことや、狩猟者間の信頼のレベルが高そうなことから、おそらくスウェーデンの狩猟者間のつながりは豊かなのだろうなと想像しています。なお、協調的な行動を促進するような人々のつながり・絆のことを、学術的には「ソーシャル・キャピタル」と呼ぶことがあります。このあたりは私の研究分野にも深く関わることなので、今後チャンスがあれば調査してみたいところです。


文:金森万里子

医学博士、公衆衛生学修士、獣医師。 道内で牛の臨床獣医師として勤務した経験を活かし、牛から人へ視点を変えて、社会のあり方と健康の関係について研究を行っている。専門は社会疫学・公衆衛生学。現在はストックホルム大学で研究を行っており、人も動物もどちらも幸せになれる社会とはどんなものか、追究したいと思っている。

Webサイト: http://mariko-kanamori.moo.jp

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