文と写真:五十嵐廣幸
藤田りか子さんの記事、「希望する飼い主さんだけついてこい、これが犬の外トイレトレーニング!」はオーストラリアで暮らす私にとって全てにおいて納得ができた。
ただし室内に排泄場所も持つ日本の飼い主さんからは以下のような意見を聞く。
・老犬になった時や病気になった時に犬が外に行くのが大変になるから
・雨の日は排泄のために外に出たくない。犬が濡れたり汚れたりするから
・就寝中など、犬の排泄のためにわざわざ外に出すのが面倒くさい
・犬が留守番中は室内でさせるから
上記に対して私なりの考えを書いてみよう。
老犬になった時や病気になった時に犬が外に行くのが大変になるから
オーストラリアでは子犬や若犬の時から老後を心配して室内を排泄場所にすることはまずないため、犬が室内で排泄をしてしまったときには、どこか体の具合が悪いのかと心配するものだ。
知り合いが飼っていたトイプードルは19歳と長生きだった。その犬はゆっくりではあったが、自分の足で歩いて庭に向い排泄を済ませていた。オーストラリアでは排泄や食事など行動を独りでできることが「犬として生きている」と考える。年老いてそれらが出来なくなった際、飼い主は安楽死を選択することがほとんどだ。
日本では自力で排泄ができなくなった犬にオムツをつける飼い主もいる。オムツを履かせられたまま排泄をすれば当然お尻は汚れてしまう。いくら寝たきりとはいえ自らの排泄物にまみれることを彼らは望んでいるだろうか。そのオムツは一体誰のためのもの?
排泄だけでなく、起き上がることも、そして餌を食べることも自力でできない犬が、オムツをつけられて床の上で毎日横になっている。そんな場面を見ると、動物の死ぬ権利さえも人間が邪魔しているよう思えてならない。日本の老犬介護への疑問は「飼い主の自己満足に陥らないよう…過剰な老犬介護について私が思うこと」でも意見を述べているのでそちらも合わせて読んでいただきたい。
雨の日は排泄のために外に出たくない。犬が濡れたり汚れたりするから
日本では雨に濡れることを極端に嫌がる人が多い。その影響もあってか雨が降るとパニックになる犬もいるほどだ。これは飼い主が犬を雨に慣らそうとしなかったことも原因ではないかと思う。そう考えれば、雨の中での排泄を嫌うのは犬ではなく飼い主と言えよう。
「雨で濡れた犬を乾かすのは面倒」「部屋が濡れたり汚れたりするのが嫌だ」
だから雨の日は部屋で排泄をしてほしいということだろう。濡れた犬によって部屋が汚れることは好まないのに、トイレシートが敷いてあるというだけで、室内のウンコやオシッコはさほど気にしないのはとても不思議だ。
雨が降っても犬たちとの散歩はかかせない。犬たちも慣れたもので、雨だからといって散歩の拒否などしない。
4年前に愛犬アリーの足の手術をすると決めた時、術後に室内で排泄ができるかどうか、前もって試したことがあった。理由はただ一つ。雨の日、排泄のために庭に出て包帯を濡らしたくなかったから。濡れた包帯は傷口に悪い。室内排泄場所を少しでも庭に近い環境にしてみようと色々考えた末、洗濯機の横に本物の芝生を敷いてみた。普段室内で排泄することのない彼女はやはりそこで排泄する気配を見せなかった。
術後はアリーを定期的に抱き上げて庭に降ろした。彼女は痛む足を庇いながら自分が排泄したい場所に進み、ゆっくりと腰を落としてオシッコをした。排泄が終わると「もう痛くて歩けません」と言わんばかりに私を見上げた。雨の日や地面が濡れている日には「ウンコしたいから外に出して」と急かす彼女の足に使い終わった点滴の容器を靴下のようにして履かせた。
そのような排泄のサポートをするのは手間がかかるものだ。しかし足を怪我していようとも、彼女は外での排泄を望んだ。限界まで我慢させれば洗濯機の横に敷いた芝生の上にオシッコをしたかもしれない。しかし家という巣穴を汚すまいとする動物の本能的な行動を曲げてまで、室内で排泄をさせるのは、彼女の犬としての尊厳を傷つけてしまうようにも思えた。
就寝中など、犬の排泄のためにわざわざ外に出すのが面倒くさい
小型犬を預かった時、家の中でオシッコをしないようにと数時間おきに外に連れだした。深夜でも寝ている犬をわざわざ起こして庭でオシッコをさせた。東京からオーストラリアに来たその犬は、排泄はトイレシートを敷いた部屋の中でするように育てられていた。だからか、庭に連れて行くと「なんで私は外に出されたのでしょうか?」という顔をして芝生の上に立ち尽くしていただけだった。
「トイレは散歩前に家で済ませましょう」という東京都のルールを守らされていたその犬は散歩の時にまったくオシッコをしなかった。それどころかオス犬なのににおいを嗅ぐことさえしない。人間の都合により外で排泄する権利を奪われてしまった犬の行動を目の当たりにして、その犬はまるでアイボ(犬のロボット)のように見えた。
しかし今ではその小型犬も、排泄したいときには自分でドア前に座るなどして知らせることができる。私が就寝中には、ベッドに上がってきて「オシッコです。外に出してください」と前足で私の顔に触れて知らせてくれるようになった。
東京から来たこの小型犬は、東京都のルールをオーストラリアでも頑なに守った。しかし、私としばらく暮らすうちにこの通り「犬らしさ」を取り戻すことができた。散歩中にチーッ。
“夜は犬の排泄なんかで起こされず眠りたい。だから室内に敷いたトイレシートの上で排泄をさせればいい” という意見もわからなくもないが、だからといって動物本来の行動を変えるまでして人間の都合を優先すべきなのか、疑問である。
犬が留守番中は室内でさせるから
仕事などで長時間、家を留守にするときはアリーをドッグデイケアで過ごさせている。デイケアでの排泄時は、自由に部屋と外とを行き来できるドギードアを使って庭に行く。
誰もいない室内で犬を長時間留守番させるならば、犬の排泄場所が室内になるのは仕方がない。我慢の限界がくれば彼らはどこかで排泄をしなければならないからだ。しかしそもそも犬を6時間以上も留守番させること自体が、動物福祉に反していると思うのだが…。
「トイレは散歩前に家ですませましょう」という規則がある国、もしかして先進国では日本だけ?東京都の犬を散歩する時のルールはこちらを参考に。
水族館の狭い水槽の中で飼われているイルカや、満足に飛ぶことも許されない籠の中の鳥に対しては、その不自由さや不条理さを理解できる人は多い。しかし、私たちの最も身近な動物である犬の「排泄」となると、一気に人の態度は変わる。人間の都合ばかりが優先され、動物の権利は蔑ろにされる。
日本は犬のトレーニング方法、里親譲渡のシステム、飼い方など海外の動物先進国を見習おうという動きがとても強い。しかしいくらそれらを真似しても、日本の犬の排泄事情はこの通りだ。動物福祉のバランスがとれていない。
たかが犬の排泄だと思うなかれ、その排泄にも大事な動物福祉がかかわっているのだ。