犬たちの最期を考えて思うこと

文と写真:尾形聡子

『おやすみ、リリー』という本を読んだ。去年のGWの頃だったと思う。

中年独身のゲイの男性と12歳のダックスフント、リリーの二人暮らしの中で、リリーに腫瘍ができ、あらがうことのできない“別れのとき”が訪れる話である。

物語は、現実の世界と主人公が妄想する世界を行きつ戻りつしながら進んでいく。主人公の中年男性は、リリーに突如として襲いかかった病気をまったく受け入れることができず、もがき、苦しみ、現実を否定し、拒絶し、逃避しまくる。あらゆる手を尽くして腫瘍ができた事実を排除しようとするも、最後には主人公は現実を受けとめ、お互いのために人の手によりリリーを見送ることを決めるのだった。そうしてようやく愛犬リリーとの別れを受け入れた主人公は、新たな人生の一歩を踏み出していくといった内容だ。

こんなにも泣きながら読んだ本は人生で初めてではないかと思う。いま現在、老犬と暮らす自分自身の状況と重なることもあり、主人公の苦しみや葛藤が強く響いてきたからかもしれない。これを書いている今も、思い出し涙が溢れ出てくるほどだ。

時間のあるときにでも、ぜひ手に取ってみて欲しい一冊である。

私自身、犬たちが12歳を過ぎたころから“別れのとき”が来るのを具体的に考えることが増えてきた。これまでにも何度か犬との別れを経験してきたけれど、決して慣れることができるようなものではない。特に、タロハナは私が自分で選んで暮らし始めた初めての犬でもある。いくら事前に考えていようとも、きっと慌てふためくだろうし、自分がどうなるのかまったく想像がつかない。

とはいえ1年半くらい前、自分の中で決めたことがある。ハナの目の上にできた膨らみが悪性であることが判ったときだ。幸いその腫瘍は皮膚の表面にできていて、血流などにのってほかの場所に転移するタイプのものではなかったし、急激に大きくなっているわけでもなかった。そもそも、ハナ自身が気にしている様子がまったくない。ただ、場所が場所なだけに、もし外科的な処置をするなら全身麻酔が必要になると獣医師から言われた。

“ハナが痛がったりきわめて不快な様子を見せたりしない限りは手術しないことにする。老い先が短いことや全身麻酔のリスク、腫瘍の種類を考えてもそうだが、なによりも、入院することがハナにとって最も嫌な出来事になる”

脾臓肥大が疑われているタロウにも、なるべく入院の道は避けようと思っている。すべてが良きに取り計らえることなんてまずないだろう。このように決めたからといって、それが変わらない確信などないが、何かが突然起きたときに、少なくとも一から迷ったり悩んだりすることはないと思う。

そしてもうひとつ。

“あまりに苦しくて痛い、どうにもならない状態になったときには、安楽死も選択肢のひとつとして考えよう”

そう、決心した。残念ではあるが、物理的に私が犬たちにできることは限られている。そして犬がどういう状態であるかをしっかり受け止め、今を生きる犬にそのような苦しみを与え続けないようにすることも、飼い主の責任と考えているからだ。もちろんかかりつけの獣医師と相談しての上ではあるが、なんとなく、それが必要なときが分かるような気がしている。これまでに培ってきた阿吽の呼吸に、お互いに耳を澄ましてみようと思っている。

「死を免れるための努力に一生を懸けたら、生きることを楽しむ時間がなくなるよ」
(『おやすみ、リリー』より)

アレコレ考えてみて、どの道を選んだからって、別れが悲しくないことなんて絶対にない。それよりもリリーは、今を生きていることを楽しんで、と小説の中で言っている。そして、中年独身のゲイの男性はリリーにこう語っていた。

「いつまでも大好きだよ。これからも、ぼくが死んでからも」
(『おやすみ、リリー』より)

犬と暮らすとは、こういうことでもあると思う。犬は人の気持ちをとても豊かにしてくれる。人と犬の間で育まれる純粋な愛、信頼関係は世界中どこでも誰にとっても普遍的なものだ。犬たちの心にも自分の心にも、もっと耳を傾けて、1日1日を楽しんで過ごしていきたいと思っている。

【紹介図書】