文:尾形聡子

[photo by J.A.]
「うちの子、ちょっとビビりで……」
犬と暮らしていると、こんな言葉を耳にすることがあります。
見知らぬ人や他の犬を避ける、動物病院に入れない、ツルツルした床で固まる、雷を怖がる。あるいは逆に、怖さゆえに吠えつづけたり、過剰に興奮したりすることもあるでしょう。
もちろん、恐怖そのものは悪い感情ではなく、危険から身を守るために必要な、ごく自然な反応です。しかし近年、犬の恐怖や不安は、単なる性格の問題ではなく、犬の福祉そのものに深く関わる問題として考えられるようになってきました。
実際、フィンランドのヘルシンキ大学の研究チームは「過度な恐怖は、犬の福祉を脅かすもっとも深刻な問題のひとつ」と指摘し、2016年から犬の恐怖や不安についての研究を続けています。

今回紹介するアメリカのテキサスA&M大学の研究では、アメリカで続けられている大規模な長期研究「Dog Aging Project」に参加した43,517頭もの犬を対象に、「犬はどれくらい恐怖や不安を抱えているのか」が調べられました。
その結果からは、多くの犬が、日常のなかで何らかの不安や恐怖を経験しながら暮らしている様子が見えてきました。調査対象となった犬のうち、91%が、日常の何らかの場面で軽度以上の恐怖・不安反応を示していたのです。ただしそれは、「ほとんどの犬が重度の問題を抱えている」という意味ではありません。生物として正常な恐怖・不安反応も含まれており、強い恐怖反応を示す犬は一部でした。
恐怖は併存する傾向がある
研究では、飼い主に対して、犬がどのような場面で恐怖や不安を示しているかが質問されました。対象となったのは、見知らぬ人、見知らぬ犬、大きな音、新しい状況、そしてグルーミングや爪切りなど、犬が日常で遭遇しやすい9つの場面です。飼い主は、恐怖の程度を0(恐怖・不安なし)から4(重度)の五段階評価をするよう求められました。
その結果、もっとも多く見られたのは「見知らぬ犬」に対する恐怖・不安でした。調査対象となった犬の47.4%が、見知らぬ犬に対して何らかの恐怖・不安反応を示していました。続いて多かったのは、グルーミング(33%)、大きな音や新しい状況、見慣れない物体など、環境に関わる不安・恐怖(25.5%)、見知らぬ人(22.3%)でした。
これらの多くに共通しているのが、「予測しにくさ」や「未知性」です。いきなり知らない犬が近づいてきたり、爆音が鳴り響いたり、慣れない滑りやすい床の上に立たされたり、というようなことです。一方で、動物病院や爪切りのように、日常のなかで繰り返される経験では、「また嫌なことが起きるかもしれない」という学習による予測そのものが、不安や恐怖につながる場合もあります。
そしてもうひとつ重要なのは、多くの犬が、特定の何かをひとつだけ怖がっているわけではなく、複数のものに対して恐怖を抱えていたことです。
大きな音を怖がる犬は、見知らぬ状況にも不安を示しやすく、見知らぬ人や犬への恐怖とも重なりやすいことがこれまでの研究でも繰り返し報告されています。前出の2016年のヘルシンキ大学の研究でも、怖がりな犬は、そうでない犬と比べて、大きな音だけでなく、見知らぬ人や犬、新しい場所への恐怖、さらには分離不安傾向や攻撃性も高いことが示されていました。

とりわけ、音への過敏性や恐怖については他の種類の音への恐怖とも関連性があると言われています。恐怖を抱きやすい音として、雷、花火、銃声がありますが、これらには非常に高い割合で併せ持っている個体が多いのです。

つまり「ビビり」は単なる性格特性のひとつというより、不安やストレスに対する感じやすさ全体に関わるものなのかもしれません。ただし、「怖がっている犬」と聞いたときに、多くの人が思い浮かべるイメージは、実際の犬の姿とは少し違うかもしれません。

[photo by Alberto]
恐怖を感じたときに出す行動はさまざま
犬の恐怖反応というと、部屋の隅で震えたり、しっぽを丸めて逃げたりする、というような姿を想像しやすいものです。しかし実際には、恐怖や不安は、もっとさまざまなかたちで表現されています。たとえば、見知らぬ犬が怖いと思ったとき、自分から距離を取ろうとして逃げる犬もいれば、吠えたり唸ったりしながら相手に向かっていく犬もいます。あるいは、固まって動けなくなる犬もいます。
実際に、犬の攻撃行動には恐怖や不安が背景に存在しているケースが少なくありません。見知らぬ犬に激しく吠える、来客時に威嚇する、動物病院で口が出る、というような行動も、「こわいから近づかないでほしい」という表現として現れている場合があります。
一方で、「人懐っこい」と感じられる行動のなかにも、不安が関係しているケースがあります。たとえば、やたらと飛びついてくる、過剰に興奮しながら挨拶をする、相手との距離感が極端に近い、などです。このような行動は、社会的不安の高さや、相手をなだめようとする行動と関連している可能性も考えられます。
つまり、犬の恐怖や不安にはさまざまな形があるということです。そして難しいのは、同じ犬であっても、状況によって反応が変わることです。ある場面では逃げるのに、別の場面では吠える。知らない人は怖がるのに、見知らぬ犬には強く出る。あるいは、昨日は平気だったのに、今日は極端に怖がる、など。
私たちが見ているのは、犬の「感情そのもの」ではなく、あくまで、その時に犬が示した行動です。だからこそ、「吠えているから強気」「逃げるから弱い」と単純に解釈できることばかりではないのです。
犬の感情を人が評価するときには、背景や文脈に依存しがちなこと、さらには自分のそのときの感情にも影響される可能性があることについては、以下の記事をご一読ください。



[photo by Sandra]
恐怖や不安の感じやすさは遺伝も環境も影響する
では、このような「ビビり」は、どのように形成されるのでしょうか。よく議論になるのが、「生まれつきなのか、それとも育て方なのか」という問題です。しかし現在では、多くの研究者が、その両方が関係していると考えています。
たとえば遺伝的な影響が比較的強いと考えられているもののひとつが、前述した音への恐怖です。スタンダード・プードルを対象とした研究ですが、雷、花火、銃声などへの恐怖は併存しやすく、特定の遺伝領域との関連も見つかっています。また、見知らぬ人への恐怖についても、グレート・デーンやジャーマン・シェパードなどで遺伝的背景が示唆されています。

一方で、環境要因も恐怖や不安の強さに影響を及ぼします。ヘルシンキ大学の研究では、社会化期の経験が乏しいこと、トレーニングやアクティビティへの参加が少ないこと、刺激の多い都市環境で暮らしていることなども、恐怖や不安と関連していることが示されました。


人から見ると「そんなこと?」と思える刺激でも、犬にとっては強い不安や恐怖につながっている場合があります。そしてその背景には、遺伝、過去の経験、その日の体調や覚醒状態、さらには周囲の環境まで、さまざまな要素が複雑に関わっているかもしれません。
安全の合図を意識して
ただし、「怖がりやすさ」に遺伝や幼少期の経験が関わっているからといって、それだけですべてが決まってしまうわけではありません。たとえ子犬時代に十分な社会化経験を積めなかった犬であっても、あるいは過去の怖い経験によって強い不安を抱えるようになった犬であっても、その後の経験や環境によって変化していく可能性はあります。
近年では、慢性的なストレスや幼少期の逆境経験が、長期的に犬のストレス反応や行動傾向に影響を与える可能性も指摘されています。一方で、その後の生活環境や、飼い主との関わりによって変化が起こりうる可能性について、北條さんが以下の記事の中で考察しています。

重要なのは、「怖がらせないこと」だけではなく、犬が「回復できる」経験を積み重ねていくことなのかもしれません。たとえば、怖いものを見つけたとき、無理に近づけたり、「大丈夫、大丈夫!」と過剰に励ましたりするのではなく、犬自身が状況を観察し、自分のペースで確かめられる余地を残すこと。あるいは、飼い主自身が落ち着いて振る舞い、「この状況は危険ではない」と犬が感じられるような空気を作ることです。
藤田りか子さんは以下の記事の中で、犬が「安全・安心」を感じられる状態は、単に声がけをするだけでは成立しないと述べています。犬は、飼い主の緊張や不安定さにも敏感に反応している可能性があるからです。

犬がどのような世界を「危険」と感じ、どのような状況で安心できるのか。そして、どのような関わりが「安全の合図」になるのか。そのような視点から犬の行動を見つめなおすことは、犬がよりよく暮らしていくために、とても大切なことなのかもしれません。
【参考文献】
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