病気を嗅ぎ分ける犬の能力

文:尾形聡子


[photo by @USArmy] 地雷探知犬。

犬はにおいの世界の住人ということを、犬曰くの読者の皆さんはすでによくご存知ですよね。

そう、犬は人には想像できないようなにおいを嗅ぎ、そこから外部情報を得ることができる感覚を備えている生き物です。優れた嗅覚を活かして、犬はさまざまなにおいを探知する仕事をしています。自然災害の際に活躍してくれる災害救助犬、犯人の足跡追跡をする警察犬、空港で働く麻薬探知犬、そのほかにも野生動物の糞のにおいを嗅ぎ分けたり、トリュフを探したり…などなど、枚挙にいとまがないほど、多方面でその力を発揮してくれています。

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犬はさまざまな病気をにおいで検出できる

犬は私たちの病気のにおいも嗅ぎ分けることができます。最近ではコロナ探知犬がいい例ですが、さまざまな病気のにおいを検出できることが知られています。嗅覚を使った検出のため、被験者にとっては非侵襲的な方法で病気の診断ができるのがその特徴のひとつと言えるでしょう。犬の病気検出能力はなにも人に発症するものに限りません。たとえば先日発表されたアメリカのテキサスA&M大学発のパイロット研究では、牛呼吸器病(Bovine respiratory disease:BRD)を検出できることが示されています。

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BDRは環境要因となる寒暖の変化のほか、離乳や移動及び群編成、過密状態での飼育や換気不足等の強いストレスがかかり、免疫力が低下した牛がウイルスや細菌、マイコプラズマなどに複合感染し、症状が重篤化する呼吸器疾患です。各種抗生剤による治療にもかかわらず死亡するなど、生産性低下の原因にもなり、経済的な損失が極めて大きい病気のひとつとなっています(熊本県のホームページより)。一般的に、草食動物など捕食されるニッチにいる動物は病気や怪我を負っても症状を表に出さない傾向を持ちます。そのため診断が難しく、発症を見逃して治療しないままでいると牛の福祉が損なわれる可能性があるのです。

人の医療分野では犬の嗅覚に頼るアナログな方法よりも、最先端の機器や技術を駆使した方がよりよい診断につながる場合があります。しかし動物や植物を対象とする場合、なかなか人のそれと同様に検査ができる状況にないため、犬の嗅覚によるスクリーニングは非常に価値があるものと考えられています。


[photo by U.S. Department of Agriculture] 植物の病気を探知するトレーニング中。

30年前から始まった、犬の病気検出能力についての研究

犬の嗅覚による人の病気検出について初めて事例が報告されたのは1989年のことです。世界的評価のもっとも高い医学雑誌のひとつ、Lancet誌に掲載されました。飼い主の脚にできた病変を執拗に犬が嗅ぎ続け、のちにメラノーマと診断されたという内容でした。同様な報告の二例目は10年以上経った2001年、それを皮切りに犬の病気検出能力についての数々の研究が世界的に行われるようになりました。そのころ日本でも、がん探知犬の黒ラブのマリーンがマスコミに大きく取り上げられていたのを覚えている方もいるのではないでしょうか。

これまでの先行研究ではさまざまな病気の検出の試みが行われてきましたが、どのような病気でも犬の嗅ぎ分け精度が高いわけではないことが示されています。たとえばがんでも肺がんや乳がんの検出はほぼ完璧である一方で、ほかのがんではそれほど高い正確性を得られていません。時には偶然の確率(50%)より低い正解率の場合もあるとのこと。さらに、実験室以外の場所での病気検出能力についての研究はほとんど行われておらず、犬がどのような条件下で病気を検出できるのか、その限界についても不明な状況です。

犬の嗅覚探知の対象疾患は生物種を問わず年々広がりを見せていますが、情報が不足している部分もあります。前出の牛のBDR検出研究をしているテキサスA&M大学の研究者らは犬の病気検出能力についての理解を深めることは、人のみならず動物や植物の病気を検出・診断するための有望な戦略であるとし、犬の病気検出に関する科学的知見を評価し、検出の成功に影響を与える要因を見つけ出すために、これまでの研究を横断的に解析しました。

おおむね犬の病気検出は成功

研究者らは3つの研究データベースにおいて犬の嗅覚探知についての研究を検索し、ヒットした2,019件の研究をスクリーニングし、最終的に58件の研究について解析を行いました。その結果、半数以上の研究(33件、57%)はヨーロッパからのもので、延べ頭数として192頭の犬がテストに参加していました。その中で一番多かった犬種はラブラドール・レトリーバー(27頭、14%)で、各研究に参加した頭数の中央値は2頭でした。

ひとつの論文の中で複数の疾患や複数の条件下で検査テストをしている場合があるため、それぞれを分けて105のサブ研究について調べたところ、検出対象とされた病気で多かったものは肺がん(22%)と前立腺がん(13%)、テストサンプルは尿(26%)および呼気(14%)の使用が一般的でした。また1回あたりの使用サンプル数の中央値は6で、多くはラインアップ(45%)によってサンプルを提示していました。


前立腺がんの探知を行う犬。カルーセルによって提示されたサンプルを嗅ぎ分けている。

検出成功の主な尺度は、感度(実際にその病気に罹患している人の中で、検査で陽性になった人の割合)や特異度(その病気に罹患していない人の中で、検査で陰性になった人の割合)でしたが、いずれを報告しているかにかかわらず、調べた研究における犬のにおい検出は高いレベルで成功していました。ただし、場合によっては研究デザインが成功率に影響を与えた可能性があるとしています。

これらのことから研究者らは、犬には嗅覚によって病気を発見する能力があり、有望な方法と考えられると言っています。ただし、トレーニング方法やテスト方法、結果の報告の方法は研究によって異なり一貫性がないため、比較をするには限界があるとし、犬による病気のスクリーニングを広く普及させるには実現できる条件下で犬の検出精度を評価するような研究が今後必要になってくると結論していました。


[photo from wikimedia] 米国農務省(USDA)動植物衛生検査局(APHIS)野生生物サービス(WS)で働くヘビ探知犬。グアム島にてブラウンツリーヘビ(ミナミオオガシラ)と呼ばれる蛇を探している。このヘビはグアム島へ侵入し、現地の生態系を壊滅的なまでに破壊し尽くした侵略的外来種だそうだ。

健康状態も感情状態も嗅げる犬

犬がさまざまな病気を判別できるのは、特定の病気の組織から発せられる揮発性有機化合物のにおいを嗅げるためと考えられています。なので、「この病気のにおい」の特異性があるほど犬の嗅ぎ分け成功率は高まり、逆に、成功率が低い病気はにおいの特徴が薄いのかもしれません。いずれにしても、さまざまな動植物の病気を発見してくれる犬の能力にあやかれることに感謝したいものです。

そして犬は健康状態だけでなく人の感情状態のにおいも嗅げることが研究によって明らかにされています。特に、広く生物に関係してくるストレスのにおいについての嗅ぎ分けは、どのような犬でもできる可能性があることが示されています(詳しくは以下の記事を参照ください)。

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文:尾形聡子 犬は人の感情状態を、表情や言葉のトーン、そしてにおいからもキャッチしていることが、近年の研究により示唆されています。とりわけ優れた嗅…【続きを読む】

私たち人間はにおいの微妙な変化を感じ取ることはできませんが、犬はそれを素早くキャッチすることができます。顔に出さずとも、声に出さずとも、犬にはある意味本心がすぐにバレてしまうわけです。気持ちと行動が一貫して安定していられることも、犬との関係性を強めるために大切なことかもしれないなとあらためて感じています。

【参考文献】

Canine olfaction as a disease detection technology: A systematic review. Applied Animal Behaviour Science. Volume 253, 105664, 2022

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