文:尾形聡子
[photo by Happy monkey]
顔を見ずとも声を聞いただけで誰が喋っているのか、あるいは歌っているのかがわかる、というようなことは日常生活で普通にあることですよね。声を聞き分けられるのは脳の中で特定の人の声を自然に覚えることができるためです。では愛犬の声はどうでしょう?多頭飼育をしていても、一頭一頭はっきりと聞き分けられる人も多いのではないかと思いますが、もし愛犬の声がスマホのスピーカー越しに聞こえてきたら?普段聞いている声とは違ってなんだかわかりにくい、そんなふうに感じたことはないでしょうか。
生の声かあるいは何かを通した声かによって聞こえ方に違いが生ずるのは、電話やネット通話などにおいては聞こえてくる音の周波数が制限さていたり音声データが圧縮処理されて音声情報の一部が削除されたりすることがあるためです。聞こえ方というのは面白いもので、たとえば、同じ音楽の音源データを流しても、それがどのようなスピーカーから流れてくるか、あるいはイヤフォンがどのような設計や設定になっているかによって聞こえ方が違ってきます。
しかし人においては騒音の中や音質が低下している音声であっても、かなり正確に言葉を認識できる能力を持っています。それでも音質があまりにも低下すれば聞き取りにくくなることは避けられません。犬の場合はどうかといえば、ある程度の騒音や音質の低下であれば自分の名前を聞き分けられることがわかっています。
加えて、最近流行しているサウンドボードボタン(トーキングボタン、コミュニケーションボタン)などと呼ばれている、飼い主の声を録音できる押しボタンがありますが、それを使って犬と会話をする動画をSNS上で見かけたことがある方も少なくないと思います。「サウンドボードボタンで犬と会話?」で紹介した研究では、少なくとも犬はボタンに録音された単語は理解していることが示されていますが、このボタンから発せられる録音済みの音は、程度の差はあれ特定の範囲の周波数が再生できず、飼い主の生の声に比べれば音質が確実に低下しているといえます。
そこで、ハンガリーのエトベシュ・ローランド大学の行動学研究チームは、犬がさまざまなデバイスから再生される飼い主の声を聴いたとき、犬の言葉の認識にどのような影響や反応があるかを調べるために3種類の音声パターンを使って実験を行いました。
飼い主の声に含まれている情報の重要性
発表された研究論文の筆頭著者は博士過程で研究を続けている檜垣史さんです。檜垣さんはハンガリーにて誕生したDo as I Doのドッグトレーナーでもあり、「オンラインでトレーニング!? 映像を通してのDo as I Doメソッドの可能性」の記事で紹介した研究もされた方です。
最初のテストには3つの動作コマンド(「伏せ」「回れ」「後退」などの7種類のうちの3つ)を覚えた17頭の犬が参加。そのコマンドを、①最も音質が低下するサウンドボードボタン、②ある程度は低下するがボタンよりは高音質の手のひらサイズのポータブルスピーカー(スマホで録音、Bluetooth接続して再生)から出すか、あるいは③飼い主の生の声(音質低下なし)で犬に出し、コマンドに従って行動するかどうかがテストされました。
その結果、飼い主の生の声のときにはほぼ100%正しい行動をとっていたのですが、ポータブルスピーカーでは約70%、ボタンになると約30%にまで成功率が低下しました。このことは、飼い主の口頭で行動のコマンドを覚えた犬にとっては、口頭あるいはボタンから流れるコマンドが同じであっても、ボタンからの言葉をあまりよく認識できないことを示しています。
以下の動画をご覧いただくと違いがはっきりとわかります!
続いての実験にはおもちゃの名前の記憶力が極めて高い犬(「桁外れな記憶力〜天才犬は生まれつき?経験?それとも若さ?」参照)が世界中より参加。それらの犬9頭(以下、単語学習犬)にスピーカーを通して新しいおもちゃの名前流し、4つ学習させました。
2週間の学習期間後、別部屋に置いてある10個のおもちゃの中から、対象のおもちゃを持ってこられるかどうかテストしたところ、スピーカーからの再生音での成功率は70%ほどでしたが、それを飼い主の生の声で行ったところ(犬にとっては飼い主の生声でそのおもちゃの名前を聞くのは初めてのこと)、成功率はわずかに向上しました。
このことについて研究者らは、単語学習犬は録音から新しい単語を学ぶことができるものの、生の声で学んだときほどの正解率の高さにはならないこと、録音から学んだ単語を人の生声に般化させる柔軟性があるため正解率の向上に繋がったことを示唆するとしています。
これらの結果について檜垣さんは以下のように述べています。
「最初にボタンの再生音に困惑し、反応できない犬たちを見たときには本当に驚きました。多くの人と同様に、私も犬が私たちと同じように音を聞いて理解していると信じていましたが、私たちの結果は、犬種や課題に関わらず一貫していました」
人の生の声が良い成績を収めており、逆にボタンがかなり低い成績であったことは、音質の劣化の程度が犬の言葉の認識に大きく影響することを示した結果となったことから、「興味深い結果ではあるものの、家庭の犬の飼い主は犬との自然なコミュニケーションにより重きを置くべき」と研究チームでは提言しています。
[photo by Przemyslaw Iciak]
犬は人の言葉をどのくらい理解できているのか?についての尽きない興味
犬が人の言葉をどの程度、どんなふうにして理解しているのかを知りたいと思うのは、実際に犬が人の発する言葉を理解して反応するからに他ならないでしょう。そして、言葉というツールを大いに使ってコミュニケーションし、個体識別をしている人間だからこそ興味を惹かれるのではないかと思います。
犬曰くでもそのような研究をこれまで紹介してきましたので、この機会にいくつかこちらにピックアップします。



今回の研究を読んで思い出したのが、犬は単語の微妙な違いを聞き分けられているという研究結果です。録音により音が劣化するということは、それだけ単語の微妙な違いを聞き分けるための情報が減るわけですから、録音クオリティによって犬がその言葉をきちんと認識できなくなるのは然るべきことなのかもしれません。

そもそも犬は人よりも高い周波数の音を聞き分けられるうえ、犬同士でもさまざまな鳴き声を使ってコミュニケーションをとっています。その好例とも言えるのが以下の記事にある研究になろうかと思います。

最近発表されたイギリスの研究では、犬が単調な人の音声の中から意味のある言葉を識別できるかどうかを調査しています。飼い主が読み上げた無意味な文章の中に、犬にとって意味のある名前やコマンドなどを織り交ぜて犬の反応を見たところ、犬は文脈とは関係なく意味ある言葉を識別し反応する能力があることが示されています。
ただし、感情的な抑揚があるほどそれにより強く反応する一方で、無意味な言葉に対しても感情的な抑揚をつけると犬は反応することがあることもわかりました。いわゆる、赤ちゃん言葉と呼ばれているもので、乳児向けに話しかけるようにゆっくりと抑揚をつけると犬はそれによく反応することも、これまでの研究で示されてきたことです。

ちなみに、自分が普段聞いている自らの声が録音した声とは違うという経験も皆さんされていると思います。話し声は「骨伝導(頭や顎の骨を通って内耳に直接振動が届く)」と「空気電動(口から出た音が空気を伝わって耳に届く)」の両方を聞いているものになるのですが、録音した声は「空気電動」だけの音、すなわち他の人や犬が聞いている声にあたります。
もちろん録音機器によって差があるのは今回紹介した研究の通りですが、誰もが感じるこのエピソードを思い出し、犬も自分で聞いている声と録音された声とで違いを感じるのだろうなあと思った次第です。自分の吠え声の録音を聞いたら、「こんなの自分の声じゃない!」ときっと思うのでしょうね。
【参考文献】
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