文:尾形聡子
[Image by Elena Rogulina from Pixabay]
犬に施される医学的に必須とされない外科的処置には、不妊化手術、断尾、断耳、声帯除去、狼爪除去などがありますが、現在、ヨーロッパの多くの国々では犬のウェルフェアを守るためにこれらを禁止する法規制が存在しています(詳細はこちら「西欧諸国における犬に関するウェルフェア規制を比較」)。
日本には犬の美容目的での外科的介入を禁止する法律やケネルクラブでの規制、あるいはウェルフェアの観点からやめようとするような社会的な風潮は存在していません。その理由のひとつとして考えられるのは、柴犬をはじめとする日本古来の犬種に、断耳や断尾を施すような習慣がなかったことです。
そもそも外国が原産のドーベルマンやボクサーなど、断耳・断尾した姿が当たり前と認識されていることも少なくないでしょう。以前、断耳について「断耳禁止国イギリスで増える断耳された犬たち」で紹介したように、断耳した耳の形で生まれてくる犬はいませんが、尻尾については短い状態で生まれてくる犬がいます。つまり、特定の犬種の断耳した立ち耳とは異なり、尻尾が短い犬は100%外科的介入を受けている訳ではない、ということです。
断尾は本当に怪我を予防できる?長さは?
歴史的に、断尾は中世の狩猟犬や闘犬など、尻尾を怪我するリスクを減らすために行われていました。さらに遡ると、古代ローマ時代、紀元1世紀に著述家のコルメラ(Lucius Junius Moderatus Columella)により記された書の中に、犬の狂気を防ぐために尻尾を取り除くことが適切だという記載があり、これは狂犬病のことを指していると推測されています。現在は断尾が狂犬病予防のための処置だと信じている人はいませんが、かつての習慣から実際に作業犬として働く狩猟犬やテリア犬種などにおいては断尾が行われています。
断尾を認める主な理由は、先に挙げたように特定の作業をする犬が将来的に尻尾の怪我から守るためです。ただし、本当に断尾は怪我予防となっているのでしょうか?
実は、断尾に怪我予防の効果があるのかどうかは疑問視されているところがあり、それを調べる研究がいくつか行われています。それらの研究では作業犬と非作業犬の尻尾の怪我(骨折、脱臼、裂傷など)の状況を調べており、怪我のリスクは作業犬の方が非作業犬より高く、断尾した犬はしていない犬より低いことが示されています。ただし、怪我全体からすると尻尾そのものを怪我する割合はかなり低く、獣医師による治療を必要とするほどの重傷を1つ防ぐためには232頭の犬が断尾する必要があると推定しています。
ガンドッグとテリアの作業犬に限定して調査した2014年の研究では、断尾していないスパニエルの56.6%とHPR犬種(ガンドッグ犬種で、Hunt、Point、Retrieveを行うジャーマン・ポインターやワイマラナーなど)で38.5%が狩猟シーズン中に少なくとも1回尻尾を怪我していることがわかりました。また、尻尾の3分の1、あるいは半分、もしくはそれ以上断尾している場合、長さと怪我のリスクに有意差は見られませんでした。しかし、この研究でも獣医師による治療を必要とする怪我は全体のわずか4.4%であり、重傷のリスクは非常に低いことが示されています。
断尾の痛みは?
断尾は多くの場合、子犬の生後1週間以内にブリーダーによって行われていました。1996年のオーストラリアの古い調査になりますが、その当時、調査対象となったブリーダーの51%が自分で行なっていたと示されています。ちなみに成犬に対して断尾を行う場合は美容目的ではなく、尻尾の怪我や腫瘍、尻尾追いなどによる自傷行為に対しての処置であり、医療上必要な手術とみなされています。
断尾に伴い痛みがあるかどうかについての考えは人によって異なるようです。前述のオーストラリアの研究では、ブリーダーの82%が「痛みはない」あるいは「軽度の痛み」と考えており、一方で、獣医師の76%は「痛い」「とても痛い」と捉えていました。1996年の別のオーストラリアの研究では、ドーベルマンとロットワイラーの50頭の子犬について調べたところ、すべての子犬が断尾の際に激しく鳴き、実際に痛みを伴うことが示されています。ただし、断尾の処置後に平均3分、最長でも15分という比較的短い時間で落ち着きを取り戻すことから、痛みそのものは長く続かないだろうと考察されていました。
ボブテールと通常の長さの尾の2タイプが存在するオーストラリアン・シェパード。 [Image by EvitaS from Pixabay]
断尾により損なわれるコミュニケーション
犬は社会的なコミュニケーションをはかるのにボディランゲージを使いますが、尻尾も重要な役割を持ちます。断尾は犬が社会的なコミュニケーションをとる際にマイナスに働く可能性があるということです。
たとえば2008年に発表されたカナダの研究では、犬の尻尾の長さに対する反応を調べています。その研究では遠隔操作ができる犬の等身大のぬいぐるみを使い、尻尾が短いか長いか、尻尾が振られているか止まっているかの組み合わせで492頭の犬の反応を見ました。
すると、犬は「長い/静止」状態よりも「長い/振る」状態のときに近づく傾向にあり、尻尾が短い場合には振られていても止まっていても犬の反応に違いはありませんでした。つまり、尻尾が長い方が、尻尾の動きによって自分の情報を他犬に伝えやすいことを示していると言えます。
もちろん犬のボディランゲージは尻尾だけではありませんが、尻尾が短いことはボディランゲージの手段がひとつ少なくなる、ということです。
生まれつき短い尻尾の犬もいる
犬は耳も尻尾もさまざまな形を持っています。それは遺伝的に決定されているもので、たとえばラブラドール・レトリーバーは立ち耳で生まれてくることはなく、柴犬が垂れ耳で生まれてくることもありません。尻尾の形も同様に、犬がそれぞれに持つ遺伝子により決められています。たとえば、ボストン・テリアやフレンチ・ブルドッグなどが持つスクリューテールになる遺伝子変異は明らかにされており、以下の記事にて紹介しています。
短い尻尾、ボブテールについても原因となる遺伝子変異がわかっています。それはT-box transcription factor Tという遺伝子(ブラキウリとも呼ばれます)のミスセンス変異によるもので、2001年にボブテールのウェルシュ・コーギー・ペンブロークにおいて発見されました。その後の研究で、自然にボブテールで生まれてくる23犬種において同じ遺伝子変異が存在しているかどうかを調べたところ、オーストラリアン・シェパード、ポーリッシュ・ローランド・シープドッグ、ブリタニー・スパニエル、ジャック・ラッセル・テリアなど17犬種、主に牧羊犬と狩猟犬において同じ遺伝子変異が存在していることがわかりました。一方で、短尾にもかかわらずこの遺伝子変異が存在していなかった犬が6犬種あり、そのうち2犬種はボストン・テリアとイングリッシュ・ブルドッグ(上記の記事にて別の遺伝子が原因遺伝子と判明しています)、そのほかに、キング・チャールズ・スパニエル、ミニチュア・シュナウザー、パーソン・ラッセル・テリア、ロットワイラーがいました。このことは、T-box transcription factor T遺伝子以外にも、犬の尻尾を短くする原因となる遺伝子が存在することを示唆しています。
[photo from Journal of Heredity fig1] フランス原産のブルボネ・ポインター。左が無尾、真ん中が短尾、右が長い尾を持つ個体。このように尾の長さが違う個体が自然に生まれてくる。
T-box transcription factor T遺伝子の変異型によるボブテールは常染色体優性遺伝の遺伝形質で、生まれつきのボブテイルの個体はすべて変異型の対立遺伝子をヘテロで持っています。これは何を意味するかというと、この変異型の対立遺伝子がホモ接合すると胎生致死になるということです。コーギーと見た目が似ているスウィディッシュ・ヴァルフンドにおいて調べたところ、両親ともに短尾の場合には、長尾同士の交配と比較して同腹子の数が29%減少することが示されています。短尾がヘテロ接合の両親が交配した場合にホモ接合する確率の25%とほぼ同じ数字となっていました。
T-box transcription factor T遺伝子の変異が尻尾の長さ以外に及ぼす健康への影響について調査した研究はこれまでにありません。それは、尻尾の長さに影響する以外にとりわけ健康に悪影響があるという報告が少ないためかと思われます。ただし、上述したように、この遺伝子変異はホモ接合すると胎生致死となることに注意が必要です。犬においてホモ接合すると胎生致死となることがわかっている遺伝子はごくわずかで、グレート・デーンのハルクイン(白地に黒斑点のコートパターン)やヘアレス遺伝子(FOXI3遺伝子)などが挙げられます。
断尾をする正当な理由として挙げられているのが作業犬の怪我予防です。しかし、重大な怪我を尻尾に負う可能性がかなり低いこと、短時間ながらも痛みを伴うことを考えるとどちらが作業犬のウェルフェアを守ることにつながるのかは考慮すべき点です。
日本で長年人気のトイ・プードルも、安定した人気のあるコーギーも、尻尾を切っている犬をそこここで見かけます(コーギーにおいては自然なボブテールの犬も含まれている可能性はありますが)。断尾をする歴史を持っているとしても、日本で禁止されていないとしても、家庭犬として断尾習慣のあった犬を迎えるのであれば、飼い主となる人はその犬に本当に断尾が必要なのかをしっかり考えてから迎えることが大事なのではないかと思うのです。
【参考文献】
【関連記事】