文:尾形聡子
[photo from WIKIMEDIA]
動物介在療法のひとつとして知られるドッグセラピーは、いまや世界中の医療現場、リハビリや介護の施設などにおいて取り入れられており、ここ日本でもその数は年々増えてきています。とくに、施設に常勤するタイプのファシリティドッグについてはニュースになることも多く、昨年には東京都で初めて東京都立小児総合センターが、全国で3例目のファシリティドッグを導入したのをご存知の方もいることでしょう。
子どもから大人まで、セラピードッグとの触れ合うことで、ストレスの軽減やリラックス状態の促進、社会的コミュニケーションの改善や促進など心身ともに良い効果があることは数々の研究で示されています。しかしながら、人々にプラスの効果をもたらしてくれるセラピー犬たちが、その仕事にストレスを感じていることはないのかという福祉の観点からの研究はまだそれほど行われていません。
以前、「セラピー犬は仕事中にストレスを感じている?」でその中のひとつを紹介しました。その研究ではストレス指標となるホルモン、コルチゾールの濃度の測定とストレス関連行動の解析が行われ、セラピーセッションによってコルチゾールが増加することも、セッション中にストレス行動を見せることもないという結果が示されていました。
この研究と同様に、セラピーセッション後に犬のコルチゾールレベルは上がらず、むしろ見た目に落ち着いているように見られるというような結果もいくつか出ている一方で、セラピー経験が少なかったり若い犬においてはストレス関連行動が増える傾向にあるという結果もでています。しかし、セラピー犬の活動する環境(温度やスペース、クライアントの年齢など)の影響や、初めて目にするような医療機器や床材、音などから受ける影響、活動の期間や頻度も異なるため、一般的なセッションのセラピー犬に対する影響を十把一絡げに判断するのはいささか乱暴であり、異なる結果が出てくるのはある意味当然なことともいえます。数少ないながらもこのような研究をレビューした論文においては、しっかりと訓練されたセラピー犬と管理された環境でセッションが行われた場合には、犬に大きな悪影響を与えることはないと考えるのが妥当だと考察されています。
このようなこれまでの研究を踏まえ、アメリカきっての総合病院であるメイヨー・クリニックの研究所が率いる研究チームは、コルチゾールレベルや心拍数だけでなく複数の生理学的パラメータの変化を測定することで、セッションの犬に与える感情状態への影響をこれまでになく詳細に調査しました。そして、その結果を『animals』に発表しています。
オキシトシンとコルチゾールの唾液中濃度、鼓膜温度、心拍変動を測定
研究者らはメイヨー・クリニックの線維筋痛症治療プログラム(Mayo Clinic’s Fibromyalgia Treatment Program)に通う患者(18歳~76歳)222名を研究の対象者としました。線維筋痛症は全身に激しい痛みが生ずる病気で、痛みがストレスや不安を生じさせ、疲労感や精神神経症状などを引き起こすことがあります。セラピー犬とのセッションは、そのようなストレスや不安をある程度緩和させる一助となることが分かっているそうです。
セラピー犬はクリニックのCaring Canine Programに参加する犬たちのうち19頭(そしてハンドラーである飼い主19人)が参加しました。犬種はラブやゴールデンだけでなく、プードルやコッカー・スパニエル、ミックス犬など様々。すべての犬は不妊化手術をしており年齢は1.5歳~12歳、メス13頭オス6頭でした。患者222名のうち半分の111名はセラピー犬とハンドラーの飼い主と一緒に20分間のセッションを、残り半分の111名は対照群として飼い主だけと20分間会話をしました。
病院に到着してから患者に会いに行く前に、セラピー犬の唾液を採取し、両耳の鼓膜温度を測定、心拍モニターを装着しました。セッション後にも唾液採取と鼓膜温度を測定し、心拍モニターを取り外しました。唾液からはストレスの指標となるホルモンであるコルチゾールの濃度と、幸せホルモンとして知られるオキシトシンの濃度を測定しました。各セラピー犬&飼い主は5回の病院訪問をしてセッションを行い、飼い主だけのセッションはそれぞれ10回行われました。
各セッションの測定結果の解析から以下のことが示されました。
- セッション前後の犬の唾液コルチゾール濃度、オキシトシン濃度ともに有意差は見られなかった。
- 右の鼓膜温度はセッション前よりも後の方が有意に低くなっていた。左には有意差が見られなかった。
- 心拍数はセッション前より後の方が大幅に少なくなっていた。
これらの結果を少し補足説明しましょう。まず、ホルモン濃度の変化からは、ストレスの増加も幸福感の増加も見られなかったということです。これは、犬の感情状態がセッションを通じて安定していたことを示唆します。
つぎに耳の温度についてですが、両側で測定した理由は動物には脳機能の左右差があるためです。ストレス感情は右脳で処理されるため、仮にストレスを強く感じれば右脳が働き、そこから右の鼓膜温度も上昇すると考えられます。したがって今回の結果から示された右耳の温度低下は、犬がストレスを感じているのではなくむしろ、セッションを通じてリラックスし、落ち着いた状態になっていたと考えられます。
さいごに心拍数ですが、ストレスがくわわれば当然、心拍数は上昇します。したがって、今回の結果はセッション前に比べて後の方が、犬の感情状態が穏やかになっていたことを示すものだといえます。
これらの結果から、きちんと訓練を受けたセラピー犬はセッションへの参加により感情状態に悪影響を受けていないことを示すものだと研究者らは結論しています。むしろ、セッション後によりリラックスして落ち着いた状態、つまりは良い影響があったことが考えられるともいっています。セッション前後の生理的パラメータに見られた変化はすべて、より肯定的な感情状態を示すものだったからです。このような結果考察から、さらに研究者らは、どのような場面からより肯定的な感情をセラピー犬が得られるかを特定していく必要があると考えているようです。
[photo by University of the Fraser Valley]
人の感情の変化を感じられるからこそ?
適切に訓練を受けたセラピー犬は、その仕事を通じて決してストレスにさらされているわけではないということが示された結果でしたが、これはもしかしたら、人のカウンセラーにも同じ状況が生じているのかもしれません。たいていの場合、カウンセラーはクライアントからの負の感情を浴びることになるでしょうが、カウンセラーが毎回それを強いストレスと感じるかどうかはまた別問題かもしれないと思うからです。カウンセリング経験や技量、そしてカウンセラー本人の気質によるところもあると思いますが、そこもセラピー犬としての適性やトレーニング方法、セッション経験などが影響してくるのと似ていると感じます。
犬はカウンセラーのように「相手のその先」や「相手の要望」を見てセラピーセッションを行っているわけではありません。けれどもセッションの交流中に相手の感情が変化することには気づくはず。犬は人の表情を読めるばかりか、嗅ぐこともできるのですから。そして、相手の気持ちがいい方向へ変化していくのを感じて、むしろそれを自分のモチベーションアップに自然につなげているとも考えられないことではないと。もちろんそれは、セラピー犬に向いた気質を持ち、かつ適切な訓練を受けた犬であるからこそできる、プロのなせる業だと思うのです。
【参考文献】
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