犬は人の感情を嗅ぎとり、その感情に影響されている

文:尾形聡子

[photo by likeaduck]

たとえ表情や所作にあらわさずとも辛く悲しい気持ちでいるときに、愛犬が自分の気分を察知していると感じたことはありませんか?これまでに、犬は人の笑顔と怒り顔を識別できることが明らかにされていましたが、新たな研究により、人の恐怖と幸福の感情をにおいだけで識別できることが示されました。決して飼い主の思い違いではなかったのです。

情報には化学信号と物理信号とがある

動物同士がコミュニケーションをはかるときには、物理的な信号と化学的な信号が用いられ、これらの信号はいわゆる五感を通じて受容されています。物理的な信号は視覚や聴覚により感知されるもので、たとえば顔の表情や声のトーンなどから相手の感情状態の情報を得ています。化学的な信号はにおいや味など、嗅覚や味覚により感知される化学物質で、それらを総称してケモシグナル(chemosignal)といいます。

ケモシグナルの代表的なものには、言わずと知れたフェロモンがあります。揮発性の化学物質を体から発して同種の別個体へとにおいの信号を送り、その信号を受け取った個体がその影響を受けて何らかの行動を取ったり、生理的な変化を引き起こしたりするものです。人は五感の中でも視覚に特化した生き物のため、一般的にはにおいを介したコミュニケーションの割合は低いといえますが、他の多くの動物種においては、においの情報は生存上欠かせないものです。とりわけ嗅覚の鋭い犬も例外ではありません。

とくに恐怖のにおいに強く反応

”はたして犬は人の感情を嗅げるのか、そして、どのような反応を見せるのか?”

そんな疑問を解き明かそうと、イタリアのナポリ大学の研究者らが主導して実験を行い、研究結果を『Animal Cognition』に発表しました。

研究者らはまず、感情のにおいのサンプルを収集しました。サンプル提供者はポルトガルの男子大学生たちで、幸せなストーリーと恐ろしいストーリーの25分間の映像を鑑賞。その際、腋にかいた汗を収集するというものです。各映像鑑賞は1週間の期間をおき、2日前からにおいの強い食べ物やアルコール、たばこは禁止、香りのある洗剤や洗面用品などはすべて無臭のものを使うように指示するなど、サンプル収集はかなり厳格に行われました。男子学生は汗の提供だけで、続く実験には参加しませんでした。

腋汗サンプルを使っての実験には、31頭のラブラドールと9頭のゴールデン・レトリーバー、そしてその飼い主が参加。実験室には犬とその飼い主、さらに見知らぬ人、そして汗を散布する装置が置かれました。飼い主と見知らぬ人は特に犬と接触をせずに各々雑誌を読み、犬は自由に動いていられるという状況の中、①幸せな汗、②恐怖の汗、③汗が入っていないもの(コントロール)のいずれかを散布しました。犬には心拍をモニターする機器がつけられました。3種の散布サンプルそれぞれに、ランダムで、①15頭、②15頭、③10頭の犬が実験に参加して、汗の種類と犬の行動との関連性が解析されました。

その結果、①幸せな汗が散布されたときは、②恐怖の汗または③コントロールと比較すると、飼い主に向けての行動(近づく、見つめるなど)が少なく短時間に、見知らぬ人へのアプローチが多くなっていました。

②恐怖の汗が散布されたときには、ストレス行動(口びるや鼻をなめる、あくびをする、体をかくなど)が増え、心拍数ももれなく増加していることが分かりました。恐怖のにおいから攻撃的な行動を見せることはありませんでしたが、飼い主への接触が増えて、見知らぬ人への接触が少なくなっていました。これらのことより、恐怖のにおいを犬は嗅ぎとり、自らも恐怖を抱き、飼い主の近くにいることが安心感に繋がると感じたためであることが示唆されます。

この結果を受け研究者は、犬は人のケモシグナルを知覚する能力があるが、恐怖のにおいが攻撃の誘因にはなっていないことが示されたとしています。また、犬に恐怖を抱く人は犬から敵対反応を受けやすいといわれることがあるのに対しては、犬を怖がる人は普通ではない態勢をとり、犬の目を見つめる行為が犬にとって脅威と理解されうるのではないかと考えているそうです。

[photo by Jordan Banasik]

犬はその優れた嗅覚を使って、異なる生物種である人から発せられるケモシグナルをキャッチし、においから人の感情を嗅ぎ分けることができるようになっていたのです。さらにそれを自らの感情状態にも反映させ、生理的にも行動的にも変化させていることが示された結果といえます。

このことは、『犬と飼い主はお互いの性格をうつす鏡?』で紹介しましたように、犬と飼い主の性格が似る傾向にある理由のひとつではないかと感じます。人と犬は言葉で会話することこそできませんが、非言語でのコミュニケーションを得意とする犬は人が抱く感情をにおいからも感じ取ろうとし、私たちが想像しているよりもずっと直接的な影響を受けているかもしれません。その結果、飼い主の性格傾向に犬もだんだんと似てくるのではないかと思うのです。

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【参考文献】

Interspecies transmission of emotional information via chemosignals: from humans to dogs (Canis lupus familiaris). Anim Cogn. in press