文:尾形聡子
[photo by Petra Jahn]
外界を認識するための機能のひとつ、嗅覚。優れた嗅覚を持つ犬は、人とはまったく別次元のにおいの世界で生きています。犬は空気中のにおいを嗅いで時刻を知ったり、人の感情状態をにおいから読んだり、視覚ではなくにおいで自らを認識しているなど、犬がにおいを嗅ぐことでどのように世界を知覚しているかについて理解を深めるための研究が盛んに行われるようになりました。しかし、知覚を嗅覚に強く依存する犬が、実際に嗅いだにおいからどのようにしてそれを認識しているのかについては、まだあまり明らかになっていません。
ドイツのマックス・プランク研究所、同じくドイツのフリードリヒ・シラー大学イェーナで研究を行う二人の認知科学者が『Journal of Comparative Psychology』に発表した研究によりますと、犬がにおいを嗅いでいるとき、脳裏でそれを“見ている”だろうことが示されたとのことです。
心的表象とは?
研究者らが今回明らかにしようとしたのは、心的表象(mental representation)と呼ばれる認知機能を犬が持っているかどうかということです。心理学分野で使われている言葉なので日常的にはあまり聞きなれないかもしれませんが、簡単にいえば、過去に知覚したイメージを記憶しており、その記憶していたイメージを、時間や場所に関係なく心に思い浮かべることをいいます。
たとえばカレーのにおいが道すがらの家から漂ってくれば、私たちは簡単ににおいからカレーをイメージすることができます。においから、日本のカレーか、はたまた本格的インドカレーかなど想像を膨らませることもあるでしょう。また、子ども時代にカレーを食べていたある日、そこには誰がいて、どんなテレビの音がして、どんな会話があったかという視覚や聴覚のイメージも同時に思い浮かべたりするものです。
においを辿った先にあったものは・・・?
実験には48頭の犬が参加。トレーニングの差が実験に影響するかどうかも調べるために、25頭は警察犬や救助犬としてのトレーニングを受けたことのある犬で、残りの23頭は特別なトレーニングを受けていない一般の家庭犬でした。
プレテストとして、用意された2つのおもちゃのうちいずれが好きかを明らかにするために、回収トライアルが行われました。それに続いて本番は4回のトライアルが行われました。本番では、下のイメージ図のように、犬は片方のおもちゃのにおいをつけられた通路(下図:Target A)をにおいながら通っていき、最終的に別の部屋に置かれている(下図:Target B)でおもちゃを発見するという方法がとられました。また、最終地点に置かれるおもちゃは、通路に置かれたものと同じ場合(ノーマルコンディション)もしくは、もう一方のおもちゃが置かれている場合(驚きのコンディション)とが用意され、犬の半分ずつがそれぞれのコンディションのおもちゃにたどり着くようにデザインされました。
[image from Max Planck Institute for the Science of Human History]
通路につけられたにおいのおもちゃを探して持ってくるようにと指示をだされた犬が、別部屋で発見したおもちゃに見せる反応や行動が録画され、解析されました。
1回目のトライアルでは、驚きのコンディション(通路につけられたにおいと発見したおもちゃが異なる場合)の犬たちの多くが、ためらいを見せ、辿ってきたにおいの方のおもちゃをさらに探索するといった行動を見せました。しかしトライアルを重ねると、たとえ発見したおもちゃが辿ってきたにおいとは異なっていても、犬たちは驚きの状況に慣れ、驚きの行動を見せなくなっていったそうです。また、1回目こそ、特別なトレーニングを経験したことのある犬の方が回収作業が早かったものの、4回のうちにトレーニング背景の違いは作業効率にあらわれなくなったそうです。
これらについて研究者らは、発見したおもちゃがにおいからイメージしていたものであっても、そうでなくても、ゲームをすること自体に楽しみを感じるようになっていったためか、もしくは直前に行われたテストのにおいが掃除で落とし切れていなかったため、トライアルを重ねることで行動が変化していき、犬のバックグラウンドによる違いも見られなくなっていったのだろうと推測しています。
そして、1回目のトライアルで見せたためらいから派生する行動はトレーニング背景とは関係なく、犬はにおいを嗅ぎ、探索するという行動を通じて、時空を超えてイメージを思い描けることを示唆するものだとしています。つまり、犬はにおいを嗅ぐことで、具体的な期待を抱くだろうということです。
犬のにおいの世界への想像を膨らませてみませんか?
今回の研究結果から、犬はにおいを嗅ぐことで過去に経験した状況からイメージを思い描くだけではなく、それに付随した少し先の未来を予測する能力を持つともいえるでしょう。さまざまなにおいを感知できる犬がそこから思い描くイメージそのものも、きっと人の想像には及ばないものがたくさんあり、犬のにおいの世界の奥深さをますます感じるものです。
そして気になったのが、みなさんにはお馴染みのノーズワーク。ノーズワークのターゲットのにおいとされるアロマオイルなど、犬が本能的に探したいと思っているにおいではない場合、犬がどのようにしてそのにおいを脳裏にイメージをするのかということです。
ターゲットとなるにおいを覚えてハンドラーと共にそれを探すことがセットになって頭の中にインプットされ、発見した瞬間には “エウレカ!(あ、わかった!)”の喜びが待っている、そこまでがにおいから近い将来的イメージとして描かれているのかもしれません。
研究者らも、探索ゲームそのものをすることにより得られる報酬(実験の場合は正誤は関係なく)があるだろうことを想定していましたし、においを元に探しだすという行動は、トレーニング背景に関係なくどんな犬でもすぐにできるようになったという結果も、まさにノーズワークというドッグスポーツのすそ野の広さを感じられる結果と思います。
それにしても犬のにおいの世界はまだまだ未知数なところが山ほどあり、とても興味深いものですよね。
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