文と写真:尾形聡子
目を閉じればすぐ、子犬だった頃のタロウとハナの姿が鮮明に脳裏に浮かんでくる。そんな2頭ももう13歳。年が明ければ間もなくタロウは14歳になる。寿命と言われる年齢になったのだという現実。これまでの思い出を振り返ろうものなら、訳もなく目頭が熱くなってしまう。
寄る年波に勝てないのは生き物の宿命だ。タロハナだけでなく私自身も、彼らと暮らし始めた頃よりだいぶ体力が落ちてきたと思う。しかし、犬と比べれば緩やかな落ちかただ。犬は人よりもずっと寿命が短いから、その生涯は駆け足で過ぎ去っていってしまう。コロコロした子犬から立派な体格の成犬へと成長していくときも早いと感じるものだが、老いの兆候というものも、芋づる式に訪れてくると感じている。
完全に老いがやってきたと感じたのは、タロウが消防車のサイレンに反応しなくなったことだった。若い頃には散歩の道すがらでも、消防車がサイレンを鳴らして近づいてこようものなら、立ち止まり、それは威勢良く遠吠えをしていたものだ。そんなタロウがはたと遠吠えをしなくなった。そう、耳が遠くなったのである。
遠吠えの一件のおかげで耳の聴こえが悪くなっているのに気づいてから、生活の中の様々な場面でも耳が聴こえにくくなっていることが分かるようになってきた。耳だけではない。もれなく目も白濁してきて核硬化症の症状を見せている。昔は氷が張っているような水場でもぐんぐん入っていったのに、今では夏場以外は入ろうとしなくなった。
太ももの筋肉もすっかり痩せ落ちてしまった。同じように散歩をしてきたものの、タロウの方が顕著だ。タロウは股関節が悪く、作業犬種でありながらも子犬時代から運動神経が鈍めだった。同じように散歩をしていてもこれまでのトータルの運動量がハナよりもだいぶ少ないのだろう。年齢の違いはたったの数ヶ月、もちろん遺伝的な個体差もあるが、いつも一緒に散歩をして、同じ家に暮らし、同じものを食べてきたのにこうも違ってくるものなのかと思う。
朝の寝起きも悪くなり、昼間も寝てばかりではあるけれど、相変わらず散歩は大好きだ。散歩は犬たちの大きな生きがいのひとつ、なるべく最後まで自分の力で歩ける状態であってほしい。今は、年老いた犬たちの生きがいが突然奪われることがないよう、無理をして大きな怪我をしてしまわないよう気をつけるのが私の役目である。けれどそれは決して甘やかすことではないし、過保護にすることでもない。日々の暮らしの中で、いかに犬たちが自主性を発揮できるかをサポートしていくか、ということだと思っている。
犬は飼い主に、人の子どもが親に感じる “安全なよりどころ(secure base effect)”と同じような信頼感を寄せることが研究で示されている。これまでの生活を通じてお互いに培ってきた阿吽の呼吸は、双方向の信頼感があってこそ感じられるものだろう。歳をとってくると幼犬(幼児)がえりしているようだと多くの人が感じていると思うが、ならば、年老いてきた犬とはこれまでとはまた少し違う形でお互いの信頼感をさらに発展させていくことができるのではないかと思う。
犬が犬らしく最後まで生きていけるように。そして安心して暮らしていけるように。これまでの暮らしから経験して学んできたことを最大限に活かして、犬たちにとって最高の安全なよりどころであれるように。年老いた2頭を前にそう思っている。
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