文:尾形聡子
[photo from pixabey]
最愛の犬との別れは、大切な人を失ったり亡くしたりしたときと同じくらい、私たちに大きく深い悲しみをもたらす。
犬に限らずペットとの愛着関係が築かれていれば、そのペットに対する「喪失感」が沸き起こるのはごく自然な反応だ。たとえば、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスが提唱した「死の受容モデル」における心の変化(否認→怒り→取引→抑うつ→受容)と同様のことが、ペットを失った人の中でも起きていて、最終的にはペットの死を受け入れて回復に向かう。そんな話を聞いたことがある方もいるのではないだろうか。しかしなかなか受容にたどりつけず、長期にわたって体調不良に陥り、日常生活にも支障をきたすレベルにまでなると問題である。そのような状態はペットロス症候群と呼ばれている。
ペットロス症候群を含めたペットロスについては「犬の飼い主心理学教室」でお馴染み、臨床心理士の北條美紀先生にいずれ詳しく説明していただきたいと思っている。なので今回は、ペットロスへの対処について、自分の経験を主にお伝えしたい。愛犬との別れに不安を抱いている方や、周りにそのような人がでてきたときの一助として、少しでも役立てていただくことができれば幸いだ。
愛犬との別れは、突如として日常生活を変える
タロウ(享年16歳)とハナ(同17歳)との別れが、一昨年、去年と立て続けにあった。タロウは病気のための安楽死、ハナはタロウ亡き後1年半ほどしてこの世を去っていった。2頭とも長生きしてくれたことには感謝しかなかったが、当然のことながら悲しみもいっぱいだった。けれどそれより、ひとりこの世に取り残されてしまったような感覚が強かった。
タロウとの安楽死による別れは、ある意味、別れの時よりも、その決断をするまでの日々のほうが辛かった。苦しそうにしている姿を目の当たりにし続けるのは、精神的拷問を受けているかのようだった。ただ、安楽死の選択肢をとったことに後悔がなかったのとハナがいてくれたことで、それほど強いペットロスに陥らずにすんだ。
しかしハナが亡くなった後は違った。犬がまったくいなくなる生活は17年ぶりだったから、まず、積み重ねてきた毎日のルーチンや当たり前の環境が突如としてなくなったことに戸惑いを隠せなかった。いつも視界のどこかにいた犬の姿がなくなってしまっただけでなく、部屋の中に響く犬の足音や寝息などが聞こえてこないことに慣れるのにもだいぶ時間がかかった。写真を見返すことができるようになるには、さらに時間がかかった。犬との毎日のコミュニケーションから得ていたささやかな幸せや安心がどれほど自分の支えになっていたのかを思い知らされた。
気持ちだけでなく、毎日の暮らしそのものにもぽっかりと大きな穴があいてしまったかのようだった。
[Photo by Bella The Brave on Unsplash]
遺品の整理を始めてみた
そんな穴を埋めるべくして、少ししてから遺品の整理を始めた。2頭分のありとあらゆるものが大量にあり、中には新品のおもちゃや、ほとんど使っていないケアグッズなどがあった。実家で犬を飼っているため、使ってもらえそうなものはすべて引き取ってもらうことにした。それでも、処分するには…というものがまだまだあり、意を決してマンション脇のちょっとしたスペースに「犬グッズです、ご自由にどうぞ」と張り紙をした箱を置き、自由に持っていってもらうことにした。
すると意外にも、かなりのものを持っていってもらえたのだ。6〜7割はなくなっただろうか。特におもちゃに関しては、「どこかの犬が飼い主さんと一緒にあれで遊んでくれるといいな。楽しい時間が増えるといいな」と想像するだけで、ちょっと顔がほころんだ。なんだか嬉しくもあった。タロハナの分まで遊んでね、と、まさかこんなふうに感じるなんて、想像もしていなかった。
「ジモティー」という個人でものの売り買いができるサイトも使ってみた。ほとんど使っていない犬ベッドとステップ(私のベッドに上がるためのもの)、ドッグコットを出品。どれも新品ではなかったのに、数日のうちに引き取り手が見つかった。おもちゃなどを持っていってもらえたときと同じく、どこかの犬がくつろいだりして使ってくれるんだなあと思うと嬉しかった。
一番の大物、ドッグカートは散歩でよく会っていた12歳くらいのスタンダード・プードルの飼い主さんにお渡しした。ハナがカートに乗っている時に立ち話をして、いずれ引き取っていただくようお願いしていたのだ。もちろん、できる限りカートの出番がない方がいい。けれど、渡して2ヶ月もたたないうちにそのプードルは大きな病気にかかってしまった。後々飼い主さんから「歩けなくなってしまったときに使ったのよ」と聞いた。犬は奇跡的に元気を取り戻していたのでホッとしつつも、思わぬタイミングでカートが役立ってよかったとその時も嬉しく思った。
自分の中だけで閉じる廃棄中心の遺品整理ではなく、他の飼い主の方に使ってもらえそうなものは使ってもらうという整理の方法は悲しみでいっぱいだった私に心の安寧をもたらしてくれた。まったく思いもよらなかったことだった。遺品は単なる「物」でしかないけれど、それを通じて「命」が繋がっていくような気もしたし、別の犬たちに生ずるかもしれない喜びの瞬間を想像できるのが何よりよかった。沈んでいた気持ちが少し軽くなった。
[photo from pixabay]
日常生活をすこしだけ変えてみる
ペットロスと検索すれば、さまざまなサイトに書かれていることだが、周囲の友だちのサポートや理解のある職場などもペットロスからの回復、そしてペットロス症候群に陥らないために大きな役割を持つ。グリーフケアを受けるという手段もあるだろう。
また、タロハナとの別れを経験し、多頭飼育はやはり有効だと思った。日常生活のリズムやスケジュールが大きく変化することがないからだ。ただし、先を見越して新しく犬を迎える場合には、先住犬との相性の問題、年齢差などを気にしなくてはならない。特に子犬を迎えるとなると、先住犬は子犬と同じようには散歩ができないかもしれないし、老犬であれば元気いっぱいの子犬が近くにいること自体にストレスを感じるかもしれない。時間も手間もたくさんかかる可能性があることを認識しておく必要がある。
私自身はどうだったかと言えば、ハナと1対1できちんと向き合いながらハナに残されている時間を過ごしたいと思っていたため、タロウが亡くなった後にもう一頭迎えようという気持ちにはまったくならなかった。いつかまた犬と一緒に暮らしたいと思っているし、ハナが亡くなり半年が経ってペットロスの状態からは回復できたとも思っているけれど、新しく犬を迎えるだけのパワーが今のところ湧いてこない。慌てずともその時は自然にやってくるのではないかと思っている。
その時を待ちながら、自分なりに日常生活をすこし変えてみようと、小さな電子ピアノを買ってみた。ここ数年間ずっと買おうかどうしようかと迷っていたのだが、ようやく決心。実に35年ぶりのピアノだ。子どもの頃は練習が大嫌いだったのに、散歩の代わりに練習しようと思うと毎日触れるのだから、なんとも不思議なものである。無理ないところから、犬がいなくなった日常生活に新しい風を入れてみるのもいいかもしれない。
こんなふうにして、手探りながらも久方ぶりの犬のいない生活を送っているのだが、つい先日、タロウの3回忌を迎えた。あれから2年が過ぎたのかと思うと時が経つのは恐ろしく早い。そしてついにあることを決意した。埋葬である。それについては次の機会にお話しできればと思っている。
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