被毛だって体の一部

文と写真:アルシャー京子

ゴワゴワでバサバサの毛は犬自身にとっても不快でいやな要因の一つ。

先日、我が家の居候犬と一緒に散歩をしている時、突然足の裏に何かが刺さった。思わず声をあげ、その場で靴を脱いで足の裏を探ったが何も棘のようなものはない。何もないから靴を履いてまた歩き出したが、歩くとまたチクっと鋭いものが刺さった。何度探しても足の裏を刺す原因は見つからない。チクチクと針のムシロの上を歩くような感じでようやく家にたどり着き、玄関に腰掛けて足の裏と靴の中をよくよく調べてみたが、あるのは犬の毛だけである。うそだと思われるかもしれないが、足の裏をさしていた原因は、どうやら犬の毛だったようだ。

今我が家にいる居候犬の背中の毛は、たしかに硬いとは思ったが、刺さるほど剛毛なのは初めてである。これまでドーベルマンやダルメシアンなど、短毛で硬めの毛の犬にはたくさん出会ったけれど、服の中に毛が入ってチクチクすることはあっても、今回のように刺さることなどはなかった。ましてや普段一緒に暮らしている犬はまさにシルクタッチの細毛だから、チクチクするなんてことは全く範疇にない。それだけに驚きもやや新鮮なのである。

居候犬の過去は私自身はほとんど知らない。スペインのティアハイムから我が家に預けられた時、体はガリガリ、背中の毛はバサバサ、撫でるとゴワゴワとした感触でおもわず「うーむ」と唸ってしまったほど、居候犬の毛並みは悪かった。一体どんなフードを食べていたのだろうか。

犬の毛並みは食餌の質に影響されやすい。一般の人には信じがたいことかもしれないが、犬の毛も毛根を通して皮膚から栄養を供給されて生えているのだから当然といえば当然。

1本ずつの毛の主な構成成分はシスティンやメチオニンなどを多く含むたんぱく質と亜鉛と銅。単純にはこれらの成分が体に不足すると育毛が滞り、毛先がパサついたり、毛吹きが悪くなる。だが、体に取り込まれた栄養成分が体内で代謝されて皮膚まで到達するまでこうした毛質への影響は目に見えて現れにくいため、むしろ長期にわたる影響の表れとして考えることができる。

フードの影響は毎日の排便のようにすぐには1本ずつの毛質の変化には見られない。が、1本1本の毛よりもむしろ皮膚からの分泌物の方がフードの影響を受けやすく、全体的な毛質を変化させやすい。犬の場合、皮膚の毛根にある分泌腺の多くは皮脂腺とアポクリン汗腺で、それぞれからは脂質とたんぱく質を含む分泌物が分泌されいわゆる犬の体のニオイの元になるのだが、特に皮脂腺から分泌される皮脂は皮膚を乾燥から守るバリアの役割を担っている。犬種によってこの皮脂の分泌量は異なるが、それぞれの犬の皮膚に必要な皮脂量が分泌されなかったり、頻繁にシャンプーをして皮脂を洗い流し皮膚を乾燥させてしまうと毛もまた乾燥し傷みやすく、そして毛の寿命を短くしてしまう(つまり抜けやすくなる)。

フードの内容は毛を構成するたんぱく質だけでなく、排泄器官としての皮脂腺の皮脂に含まれるべき脂肪酸のバランスにも影響しやすく、フードの内容を良質なものに替えて毛艶が良くなったり、体臭が減ったり、涙焼けがなくなったというのはよくある話である。

しかしもちろんフードだけが毛質に影響するのではなく、犬の毛質というのは健康のバロメーターでもあるから、たとえばいつも同じフードを食べていたとしても、内疾患やホルモンバランス、アレルギー、感染症など健康状態が変わると毛質にも変化が現れる。

毛質が変化する要因は他にもある。毛は体の一番外側を覆う器官だから、温度や湿度、あるいは汚染物質など体の外部からの影響も受けやすい。

さて、そんなことをあれこれ考えながら預かり犬の剛毛をどうしたものかと思案し、まずは手っ取り早くプレミアムフードとうちの犬への手作り食をミックスしながら与えているうち、始めの数週間で犬の毛がどんどん抜けるという顕著な変化が現れた。暖かく乾燥したスペインの島から、寒く湿ったドイツの気候での生活に変わり、体がびっくりしたせいもあるだろう。寒かろうと思いコートを着せていたにもかかわらず、犬のベッドもその周辺も毎日抜け毛だらけで、ベッド周辺に踏み込んで拾った剛毛が衣服に付きいつチクリとくるのかドキドキしていた。

2ヶ月くらいたった頃だろうか。抜け毛が減るのに伴い、若干べたついてバサバサだった剛毛は柔らかくさらりとした艶のある毛に変わっていた。

衣服に付いた毛も最初の頃の刺さるような感覚はもうなく、少し厚めに感じられていた皮膚も薄く柔軟になって、撫でていてもつるりとした感触が心地良いようになった。

預かり犬の剛毛が解消されて私の気持ちは少し楽になった。正直言って、あの剛毛ではなかなか良縁に恵まれないのではないかと心配していたのだ。しかしピカピカの体を優しく撫でてもらえば、きっと新しい家族に出会うこともそう遠くないだろう。毛がチクチク刺さることはほんの小さな悩みのように思えるが、体に触れた時の感触というのは言葉ではなく直接感覚に訴えるものであるから、この先何年も預かり犬が新しい家族と一緒に暮らし愛情を十分に受けられるためにも、あまり軽視せずやはり解決しておかねばならないポイントなのである。

それにしてもあの剛毛はまさしく私の犬史上の記録に残る硬さであった。できればこの先もうあまり出会いたくないくらいなのだが、保護犬にいたってはそうも言っていられないのが現実だ。

(本記事はdog actuallyにて2016年1月19日に初出したものをそのまま公開しています)