犬は「犬の感情のにおい」と「人の感情のにおい」を同じように受け取っているのか

文:尾形聡子


[photo by sinseeho]

犬は人の感情をにおいから感じている。ここ数年の研究から、そのことはかなり確かなものとして見えてきました。では、同じように犬同士でも、相手の感情をにおいで感じ取り、影響を受けているのでしょうか?

犬がにおいの世界に生きていることは、犬の認知行動学者であるアレクサンドラ・ホロウィッツ(Alexandra Horowitz)の研究でも繰り返し示されてきました。彼女の研究功績により、犬のにおいの世界への理解が広く共有されるきっかけのひとつになりました。「犬から見た世界」をはじめ、ホロウィッツ氏の本を手に取ったことのある方も少なくないはずです。犬にとってのにおいは、私たち人間にとっての視覚に近い情報源ともいえるでしょう。

ホロウィッツ氏の新しい研究では、犬同士がにおいを通じてコミュニケーションをとっているかどうかを調査しました。人の感情のにおいを嗅げるのであれば、犬同士ならば「できて当然」と思う方も多いかもしれません。

また、他者の感情状態が無意識にうつる現象は「情動伝染(emotional contagion)」と呼ばれ、犬でもその存在が示されています。実際に犬は、人のストレスのにおいに反応し、自身の行動を変化させることが報告されています(「犬は人の感情を嗅ぎとり、その感情に影響されている」参照)。

けれども、今回紹介する研究は、犬同士ならできて当然と思ってしまいがちな部分に対して、少しだけ立ち止まって考える余地を与えてくれるものです。


[photo by SKT Studio]

犬同士でも、においで感情伝達がおきるか

この研究では、犬に生じた「ストレス」と「喜び」に関連するにおいに対して、他の犬がどのような行動をとるのかが調べられました。「ストレス」と「喜び」のにおいのサンプルは、それぞれ犬の爪切りなどの軽度のストレス状況や、飼い主とのボール投げ遊びの後に採取されました。対照としてのベースラインは、犬が単独で休息している状態のときのにおいが採取されています。

実験には10ヶ月齢から13歳までの家庭犬43頭が参加し、それぞれ異なる3つの条件のにおいにさらされた状態で、飼い主と見知らぬ人が同席する環境下で行動が観察されました。

その結果、これまでの人の感情を対象としたときの研究と一致する部分と、そうでない部分の両方が見えてきました。

まずは「ストレス」のにおいに対する反応です。

犬がストレス状態のときに発せられるにおいにさらされると、他の犬はストレス行動(口をなめる、あくびなど)を増やし、見知らぬ人への接近が減少する傾向が見られました。一方で、飼い主への接近は増加していました。

このような行動パターンは、人の恐怖やストレスのにおいに対して犬が示す反応と共通しています。つまり、ネガティブな状態に関連するにおいに対しては、相手が人であっても犬であっても、比較的一貫した反応が見られたということです。

一方で、「喜び」に関連するにおいに対する反応は、これまでの対人研究とは異なる様子を見せました。

人の「幸せ」のにおいに対しては、犬は見知らぬ人への接近が増えるといった親和的な行動を示すことが知られていました。しかし今回の研究では、犬同士の場合、そのようなはっきりとした親和的行動の増加は確認されませんでした。このことは、ポジティブな状態に関するにおいについては、相手が人か犬かによって、その影響の受け方が異なる可能性があることを示しています。


[photo by Andrea Izzotti]

対犬と対人、犬は何かを使い分けているのかもしれない

同じ「感情のにおい」であっても、それを発している相手が人なのか犬なのかによって、その意味づけや行動への反映のされ方が変わっているのかもしれません。犬は人と長く共に暮らしてきた歴史の中で、人の発するさまざまな手がかりに対して特別に感受性を高めてきた可能性があります。

また、他者の感情がうつる「情動伝染」という現象が犬に生じるとしても、それがどの相手に対して、どの程度起こるのかは一様ではないのかもしれません。今回の結果は、その可能性を示唆しています。

この違いはどこから来るのでしょうか。

犬は人と共に生活しながら進化してきた過程で、人のネガティブな状態に対して、とくに敏感になるような傾向が形づくられてきた可能性が考えられます。一方で、同種である犬同士の間では人との共進化のようなものがなかったため、同じにおいであっても影響の受け方や行動へのつながり方が、人に対する場合とは少し異なる形であらわれるのかもしれません。

ここで心にとめておきたいのは、感情が「うつる」ことと、それを「理解している」ことは同じではないという点です。

「犬は他者の状態に反応しているのか、それともその意味をある程度理解しているのか」という問いは、いわゆる「心の理論」をめぐる議論とも重なります。犬の心の理論に関する研究については、以下の記事も参考にしていただけますが、結論が出るほど十分に明らかになっているとはいえません。

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犬に見られるにおいを通じた反応が、単なる情動伝染なのか、それともより複雑な社会的認知の一部なのか。現時点では、その線引きはまだはっきりしていません。今回の結果は、私たちが「犬はわかっている」と感じるその背景が、実際にはそれほど単純ではない可能性を示しているのかもしれません。

【参考文献】

Dogs (Canis familiaris) distinguish conspecific emotional chemosignals. Scientific Reports. 16(1):11176. 2026

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