口唇裂・口蓋裂、犬にも発症する先天性疾患

文:尾形聡子


[Image by Sonja Kalee from Pixabay ]

人と犬は多くの同じ病気を発症します。進行性網膜萎縮症(PRA)変性性脊髄症(DM)拡張型心筋症(DCM)先天性難聴など、これまで人と犬に共通するいくつかの遺伝性疾患についてお伝えしてきましたが、今回は口唇裂・口蓋裂を取り上げたいと思います。

口唇裂・口蓋裂とは?

口唇裂・口蓋裂とは、母体のお腹の中にいる間に生ずる顔面発達異常により、唇(口唇)や上あごや歯茎(口蓋)の組織が完全にくっつかず、口腔や鼻腔の間に裂け目や割れ目ができたまま生まれてくる先天性の病気です。口唇裂だけ、口蓋裂だけ、あるいは両方など、その病態や程度はさまざまです。口唇裂・口蓋裂は母胎にいる間にさらされる薬物などの環境要因と遺伝的要因が複雑に関与して発症する多因子性の疾患と考えられています。人と犬以外の動物にも見られ、猫やうさぎ、牛、豚、羊、馬などで発症の報告があります。

人での口唇裂・口蓋裂の原因となる遺伝子変異が探索されていますが、人種により発症率が異なることがわかっているものの多因子性疾患でもあるため、そのすべては明らかになっていません。犬ではボクサー、スタッフォードシャー・ブル・テリア、グレート・ピレニーズ、ブリタニー・スパニエル、ラブラドール・レトリーバーなどで発症報告があり、遺伝的要因が強く影響していると言われています。しかし、犬の口唇裂・口蓋裂の遺伝的要因はノヴァ・スコシア・ダック・トーリング・レトリーバー(以下、ノヴァ・スコシア)で探索された2つの遺伝子しか同定されていないのが現状です。

人と犬に共通する遺伝要因が突き止められる

それらの原因遺伝子を同定したのは、アメリカのカリフォルニア大学デイビス校を中心とする研究グループです。研究者チームは、人のピエール・ロビン・シーケンス(PRS)という、下顎の短縮、舌根沈下、口蓋裂などの顔面異常を呈する先天性疾患と類似した症状を持つノヴァ・スコシア14頭と正常なノヴァ・スコシア72頭の遺伝子を解析したところ、14番染色体上にあるDLX6遺伝子に変異が起きており、正しくタンパク質が作られなくなっていることが原因であることを特定しました。

しかし、すべての罹患犬にその遺伝子変異は存在しておらず、別にも原因となる遺伝子があると考えられたため、研究チームはさらに口唇裂・口蓋裂の症状を持つノヴァ・スコシア7頭と正常犬112頭の遺伝子解析を行いました。その結果、27番染色体にあるADAMTS20遺伝子の変異が原因となっていることを突き止めました。そして、この遺伝子変異を口唇裂・口蓋裂を発症している人としていない人において調べたところ、人においてもADAMTS20遺伝子の変異が少なからず口唇裂・口蓋裂の発症の可能性を高めていることがわかりました。

ノヴァ・スコシアで発見されたいずれの遺伝子変異も常染色体劣性遺伝をすることが示されています。DLX6遺伝子については症状を出していない犬96頭を対象に変異アレルの保有率が調べられていますが、そのうち16頭がヘテロ接合(キャリアの状態)であることがわかっています。調べた総数が少ないものの、かなりのキャリア率であると言えるでしょう。


[image from PLoS Geneticsfig2] ノヴァ・スコシアの口唇裂・口蓋裂の表現型。Aは正常、Bは鼻の穴脇に異常な裂け目、Cは完全な両側性口蓋裂。また、口唇裂・口蓋裂では合指症が合併して起きることがあるのは人と同様で、Hは正常、Iは不完全な合指症(真ん中2本の指の間の軟部組織が部分的に癒合)、Jは完全な合指症(真ん中2本の指が完全に癒合)。

ノヴァ・スコシアの口唇裂・口蓋裂発症の遺伝的要因は突き止められたものの、それでもすべての罹患ノヴァ・スコシアの説明ができていません。また、ほかの発症犬においても遺伝的要因が強いと考えられていますが、いまだその原因となる遺伝子は突き止められていません。人の口唇裂・口蓋裂においても同じ状況にあるため、両者に共通した遺伝的要因について、今後明らかになっていくことが期待されています。

口唇裂・口蓋裂は症状の程度がさまざまですが、特に口蓋裂を持って生まれてきた子犬はミルクがうまく飲めずに栄養失調で成長不良が見られたり、誤飲性肺炎や慢性副鼻腔感染症の発症と隣り合わせにいる状態に置かれます。外科的に手術を行わなければ治ることがないため、重度の場合には安楽死も選択されることのある病気です。

見た目にわかりやすい病気のため、少なくともペットショップの店頭で罹患した子犬が売られることはないでしょう。しかしその陰で、口唇裂・口蓋裂を持って生まれた子犬たちがどのような扱いを受けているのかと考えると、心が重くなってしまうところがあるのも否めません。

口唇裂・口蓋裂に限ったことではありませんが、このような研究結果を受け、少しでも遺伝性の認められる病気を減らしていくための繁殖が行われるようになっていくことを願っています。

【参考文献】

A LINE-1 Insertion in DLX6 Is Responsible for Cleft Palate and Mandibular Abnormalities in a Canine Model of Pierre Robin Sequence. PLoS Genetics. 2014, 10(4):e1004257.

Genome-wide association studies in dogs and humans identify ADAMTS20 as a risk variant for cleft lip and palate. PLoS Genetics. 2015, 11(3):e1005059.

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