ポーランド から 〜 ビェシチャディ山脈で羊を守る白いマウンテンドッグ

文と写真:藤田りか子

オオカミ好き博士に出会う

「難しいのは、この山の牧畜主たちを教育することなんだ。犬については問題ない。犬はやること、わかっているからね」

ポーランド南部を走るポーランド・カルパチア山脈にてフィールドワークを中心とした野生動物研究を行うスメタナ・ヴォイチェックさんは、筋金入りのオオカミ好き博士だ。1998年以来何年もかけて彼は羊を捕食するオオカミに対して番をする犬を牧畜家に導入するプロジェクトに情熱を注いできた。番犬がいれば、オオカミは牧畜に近づきたがらなくなる。それで捕食被害はぐんと減る。保護すべきオオカミを害獣駆除という名の元に殺す必要がなくなる。

「カルパチア山系でも西部のタトラ山脈には、牧畜が古くからあってね、そこでは昔から大きな白い犬を飼って、羊の番をさせていたんだよ。でもここ東部のビェシチャディ山脈にはその伝統がない。もともと人が住んでなかったから。それでタトラの犬を導入したのだけど、それゆえにどんな問題が生じてくるのか、を調べるのが僕の仕事です」


ビェシチャディ国立公園はポーランドの最南部の東側に位置する。ウクライナとスロバキアに接する。

牧畜番犬の育て方を理解しない低地地方からの入植者

その問題とは「犬 vs 野生動物 vs 牧畜」というよりも、むしろ農民が犬にどう対処するのか、をめぐってのものだという。カルパチア山系で生物多様性にもっとも恵まれたビェシチャディ山自然保護区に人々が入植してきたのは戦後だ。ほとんどが平野の広がるポーランド北部、農作がさかんな低地地方からやってきた。人里離れた山の牧場で牧畜業を始めたはいいが、大自然の野生動物と折り合う術を持たない彼らには、当然牧畜番犬を飼う伝統などなかった。それで深刻な捕食被害に直面することになった。現在この地方には3,000~4,000頭の羊、2,000頭の牛、500頭のヤギ、500頭の馬が飼われている。オオカミはこのうち年間で150頭ほどの羊を捕食する。全体の2%。ちなみにオオカミの数は40~80頭。クマは30~50頭。リンクス(ヨーロッパオオヤマネコ)は40~60頭。いずれの野生動物も完全に保護され狩猟はおこなわれていない。

「何しろタトラの犬は大きいですからね。それに番をするぐらいの犬だから「攻撃的で怖い」と考えるんだろう。それでなかなか農民は犬を飼いたがらない」

オオカミは番犬の行動の仕方(威圧的か、怖がっているか)および、そのサイズを見る。そのため番犬にはある程度の大きさが必要とされる。ただし犬が実際にオオカミに対して攻撃を仕掛けるということはめったにない。番犬気質が発達しているからといって、攻撃的とは限らない。

「犬が羊に一日中側について番をする、という行動は子犬にまず「羊が自分の家族」と思わせるよう、刷り込みをしなければ現れてこない。でも「犬には生まれつき羊の番をする能力がある」と信じ込んいる人もいて、刷り込みのトレーニングを飛ばすんだ。だからせっかく番犬としていい素質をもっている犬も、使い物にならなくしてしまうんだ。とにかく農民たちに正しい犬の知識を広めなければならない。そこが非常に難しい」


ヤギを飼う農民に途中で出会った。やはり白い牧畜犬を使っていた。

勝手にハーディング系のコリー犬と交配させ、番犬の能力をつぶしてしまう農民もいたそうだ。

「彼らは低地からやってきたから、牧羊犬とは羊を集めるもの、という概念を強く持っている。番をしながら羊を集められる犬ができれば、一石二鳥と考えるんだな。しかし犬はそんな風には機能しない」

僕の苦労、わかるだろう?といった風に博士はひとつため息をついた。ちなみにポーランドには地犬としてのハーディング系の犬もいる。犬種名はポーランド・ローランド・シープドッグ。通称PONと呼ばれている。現在愛玩犬、ショードッグとしてその人気は世界的だ。犬種名を直訳すると「低地の牧羊犬」。なるほどポーランドの低地地方ではシープドッグといえばこのハーディング系の犬を指すことになる。だから入植してきた農民は山の牧羊文化にはなかなか馴染めないのだ。

牧畜犬の効果

ポーランドのみならず、番犬を使う牧畜業は中央から東ヨーロッパにかけて何千年もの歴史を持って行われていた。近代化や野生動物の激減によって伝統はすっかり途絶えていたのだが、現在クマやオオカミを保護しようという動きに伴い、再度古きよき牧畜犬の使役が見直され始めている。ポーランドのタトラ山に伝統的にいるのは、タトラ・マウンテン・シープドッグ。FCIも認めるれっきとした犬種でもある。地元ではポドハランと呼ばれており、フランスのピレネー山脈出身グレートピレニーズによく似た白い大型犬だ。ただし…

「タトラ地方は、今スキーのリゾート地としても有名だけど、お土産屋にはセントバーナードのぬいぐるみがおいてあるのだから、ちょっとがっかりです。そこに住む人にしかポドハランのことは知られていないんだ」

とスメタナさんは苦笑い。タトラ山には現在2~300頭の犬が羊飼いとともに働いており、ビェシチャディには98年以来13頭が導入され、現在ではかなりの頭数にまで増えている。羊200~250頭の群れに通常1~2頭の番犬が配置される。

「犬の効果はとても大きい。ある羊農場では犬を導入する前で捕食率は6.5%。それが導入後ではその半分。オオカミは群れを襲うと何頭も一気に殺す習性があるのですが、犬がいると、一頭だけしか殺さない。犬の気配に気がつきその場を離れるからね」


なだらかな山岳に囲まれたビェシチャディ地方。

中には、オオカミによる被害がまったくなくなった農場もあるそうだ。最初に導入された13頭の犬のほとんどが、優秀な番犬として作業に従事したとのことだ。

「でも2頭の若犬を一気に飼うとだめです。狩猟行動を発達させて羊を追いかけ始める。だから1頭を切り離した農場もあります。すると残された1頭はとたんに羊への追いかけっこ遊びをやめていい番犬になりましたよ」

番犬たるもの、羊を脅かす狩猟行動は絶対に発達させてはならない。

「番犬として正しい気質、というのは遺伝的に組み込まれています。特にタトラ犬のように昔から番犬として飼われている犬は、野生動物に対してのみ防衛的行動を見せ、人間には「おだやか」という気質を持っています。これは選択淘汰の歴史の中で培われたものに他なりません」

世界中にたくさんの牧畜番犬種がいるけれど、この点において、かなりあいまいな犬の方が実際には多い。正しく繁殖が行われていないためである。だから人間に危害を加えて危険犬種になる犬もいる。スメタナさんの夢は、研究活動と平行して番犬としてのタトラ・シープドッグのブリーディング・プログラムを確立させることだそうだ。

「僕のタトラ・マウンテン・シープドッグは決してドッグショーでチャンピオンになるような犬じゃないけれど!」

彼の育てる犬、そしてビェシチャディで働く犬たちは、本当の意味でのシープドッグであることには間違いないだろう。

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