コーカシアン・オフチャーカに会う

文と写真:藤田りか子

コーカサスの巨大番犬

北の果て、ノルウェーの森深く。薄暗くシンとした森の雪道を上がり、峠の頂上にさしかかった。そこから森は切り開かれ、小さな牧場が見えた。森道に入って以来の初めての人家だ。ゆっくりと牧場のゲートを通り過ぎると、熊ほどもある大きな犬が2頭車の前に躍り出た。深くドスの効いた吠え声が車の窓ガラスを伝って響いてくる。これで、怯えない人がいるだろうか。なんだか久しぶりに「犬は恐いな」と思った瞬間だ。これが「コーカシアン・オフチャーカ」との初めての出会いだ。

コーカシアン・オフチャーカは、アゼルバイジャン、アルメニア等小さな国が入り乱れる旧ソ連、コーカサス地方出身、マスティフ系の古い牧畜番犬種。日本でこの犬種を知る人はほとんどいないだろう。「オフチャーカ」とは、ロシア語で「シープドッグ」のこと。だから英語でコーカシアン・シェパードなどと訳されることもあるのだが、多くの人はジャーマン・シェパードの親戚か何かと思うそうだ。が、とんでもない!決してジャーマン・シェパードと同じタイプと見なさないよう!人の号令に従い作業をスイスイとこなすような作業犬とは程遠く。牧畜番犬種ゆえに、性格はかなり独立的だ。

隣国のノルウェー(私はスウェーデンに住んでいる)に羊を飼いながらこの犬種と暮らしている女性がいると聞き、是非とも取材に訪れたいと思った。コーカサスから来たシープドッグだなんて、あまりにもエキゾチックでロマンに溢れているではないか!だが実際に会ったら、遠いアジアの平原と山岳地方に馳せるロマンなんて一気に吹っ飛んでしまった。猛烈に吠えまくる超巨大犬を前に、どうやって車を出るかの方が先決だった。峠中に響くその吠え声のおかげで、こちらの到来に気付いたその牧場主の女性、アウドさんが「ハロー」といいながら家の中から出ててきてくれた。犬と目を合わせないよう車からこそりと出て彼女と握手した。

と、ここまで犬側の家族の人と面識を持てば吠える犬もたいていはしっぽを振ったりするなど気を許してくれるものだ。しかし、この犬達ときたら2m離れたところでまだこちらに向かって吠えていた。結局帰るまで一度も触れさせてくれなかったのだ。こんな(かわいげのない)犬、久しぶりに出会ったような気がする。日本に住んでいた頃、番犬気質の強い日本犬がこんな振る舞いをしていたのをよく見かけたものだが。

クマもオオカミも怖くない

「オオカミを怖いと思ったことはありません」

とアウドさん。

「そうでしょうねぇ。あの犬達と暮らしていれば」

「最初は羊の番としてドーベルマンを飼っていました。けれどクマに殺されてね。その後ロシアに牧畜番犬としてすごい犬がいるって聞いて。そう、うちのような環境にぴったりの。で、フィンランド経由でやってきたのが、この子達というわけです」

アウドさんの住む付近はヒグマや、オオカミ、オオヤマネコがうろつく北欧版「野生の王国」。こんな地の果てにて女一人で牧場を切り盛りするアウドさんが孤独を感じないのも、2頭のコーカシアン・オフチャーカ、エンケリとヴィルマのおかげだそうだ。精神的にも生活の面でも頼っているという。彼らが番犬作業をきちんとこなしてくれるので、羊を失うこともなくなった。

この地方は増え始めているヒグマによる羊への害が多く、野生動物の保護を推進しようとする政府と、被害を受ける地元の農民との意見が衝突しているのが現状だ。しかしアウドさんは、クマやオオカミに対して特にヒステリックなようでもなかった。むしろ彼女は謙虚にこう言った。

「住処を追われている野生動物たちに申し訳ないです」

危険犬種に指定されやすいのは…

ハンガリーや旧東ドイツ区域あたりでは、ペットとしてコーカシアン・オフチャーカが飼われていることも少なくない。しかし、都会の超大型犬愛好家の中にはセントバーナードの感覚で本犬種を飼う人もいて、後に彼らの強い番犬気質をもてあましどうにも飼いきれなくなるそうだ。そこでこれら問題犬は安楽死という悲劇的な結末を迎える。結果コーカシアン・オフチャーカは、ドイツやポーランドなどでは「危険犬種」のリストに入れられてしまっている。

「やはり番犬というコーカシアンの性格を尊んで飼ってあげなきゃだめです」

アウドさんによると、コーカシアンの場合外で繋ぎっぱなしのような飼い方はすすめられないのだそうだ。自分のテリトリーを守る傾向がとても強いので、飼い主すら近づけなくなってしまうこともある。彼女は普段はイヌを放し飼いにして、羊が放牧されている付近の森をうろつかせている。

「遠くに行って帰ってこないなんてこと、ないんですか」

「それはないです。でも羊とか何か「守る」対象物が存在しないと、どこまでも森を徘徊してしまいます」

牧場をパトロールして自分の義務を果たしているアウドさんのコーカシアン・オフチャーカは幸せな犬生活を送っていると言えるだろう。ここではコーカシアンの性格と人間との共存が上手く折り合っているようだ。

再会

取材から一年後。スウェーデンのストックホルムで開催された大きなインターナショナル・ドッグショーに出向いたら、そこでたまたまアウドさんに再会することになった。そしてなんとあの吠えまくりの2頭のうちの1頭、エンケリが、人でごった返した会場を気にすることなく、アウドさんのハンドリングによっておとなしくリングをクルクル走っていたのだ。ジャッジに口を開けさせて歯のチェックも受けていた。エンケリは入賞して、アウドさんはとても嬉しそうだった。

まさかショーに出るような犬だとは思わなかった。そしてアウドさんのコーカシアン・オフチャーカへの情熱を理解したときであった。牧畜番犬として働いてもらうだけではなく、ドッグショーにも出す。特性を大切にしながら犬を楽しむ根っからの犬種愛好家だったのだ。

そしてこの場にて何と初めてエンケリに触ることができた。頭蓋骨がとてもしっかりして撫でがいのある頭。毛が思ったよりごわごわしていた。自分が守るべきテリトリーを出れば、勤務外のエンケリはなかなか行儀のいい犬だった。

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