文:尾形聡子
[photo by Sen Lee from Unsplash]
春が来た。でも、こんなにもウキウキしない春は近年初めてだ。いつもなら春の兆しを見つけるたびに心弾んだものだったのに。
まだ雪が降る中に梅の花がちらほらと咲き始め、そのうちモクレンの蕾が一気に膨らみ、早咲きの枝垂れ桜と共に咲きほこり。ソメイヨシノが開花すると、薄紫色ハナダイコンや黄色のヤマブキが絶妙なハーモニーを奏でる。時期を重ねて遅咲きの枝垂れ桜が、そして最後は八重桜へとバトンタッチ。ツツジが満開になる頃には、瑞々しい木々の葉が目に眩しい季節になる。
このような春の移ろいを感じるのが大好きだった。
植物の生命力を全身に浴びることのできる春をいつも心待ちにしているのに、どうしたことか、今年の春の到来はあっという間に過ぎてしまい、季節の移り変わりからひとりポツンと取り残されてしまったように感じた。
もともと植物は好きだったけれど、どうして春の訪れにあんなにも心躍ったのか、この春ようやくわかった。
そう、すべては散歩だ。
長年同じ地域を2頭の犬たちと散歩するうちに、あちこちの木々や草花と無意識のうちに対話していたのかもしれない。
この桜はこの辺りでは毎年必ず一番早くに花が開くね、背丈をちょっと超すくらいだったコブシが、いつの間にかまったく手の届かない高さに成長したね、台風で折れてしまった桃の木が息を吹き返してきれいな花を再び咲かせるようになってよかったね、などなど。その一方で、枯れゆく木々の姿を目の当たりにすることもあった。
犬たちは花より団子で、春になって花が咲くことは重要ではなかったはずだ。けれど、春の訪れとともにやってくる植物から溢れ出てくるパワーはもれなく体感していただろう。
東京とはいえ、自然は身近にあるものだ。
そんな自然からの恵みを日々の散歩を通じてもらうことができていたんだ、犬が自分と自然とをつないでくれていたのだということに気がついた。自然と溶け合う犬の姿を見るのが好きだった。だから、散歩をしなくなった今、季節に取り残されてしまったような感覚に陥ったのだと思う。
もし、犬たちがいなくなった後もひとりで散歩を続けていたらどうだったろう?そう考えてもみたけれど、やっぱりひとり散歩と犬と一緒の散歩とは違うものだ。
散歩はとってもアナログなこと。でもそんなアナログ感を楽しめなければ自然と融合した感覚は持てないのかもしれないとも思う。
[photo from Adobestock]
こんなことをつらつらと考えていた矢先、音楽家の坂本龍一さんが亡くなられたというニュースを目にした。そして、神宮外苑地区の再開発の見直しを小池都知事に求めていたということも知った。
それを読み、恐れ多くも坂本さんと同じ感覚を持ったのかもしれないような気がした。坂本さんといえばYMO時代のシンセが有名だけれども、音楽もそもそもはアナログなものだ。
都会のど真ん中でも人々も犬たちも自然からの恩恵を受けている。そんなふうに感じるかどうかは人それぞれ、きっかけもいろいろだと思うけれど、私は毎日の犬との散歩からその大切さを知ることができた。まさにワンヘルス、ワンウェルフェア。
ともあれ、来年はもう少し春の訪れを肌で感じられるといいな。そんなふうにに期待を抱きつつ、今は小さなつぼみをつけ始めたバラの鉢を眺めてみては、置いていかれてしまった春に追いつこうとしている。