文:尾形聡子
[photo by Mike Weston]
犬が首をかしげる姿というのはなんとも愛らしく、かつて、蓄音器の前に座るビクター犬は人々の心を鷲掴みにしたものです。すべての犬に見られる行動ではないものの、一定数の犬は首を傾げます。その理由については、特定の音を片方の耳でよりよく聞き取るためだとか、首をかしげた姿を人が可愛いと感じ、それを犬が学習して社会的なシグナルとして使うためではないかなどさまざまな考えが飛び交っていますが、これまで科学的には説明されていませんでした。
そんな中、犬が首をかしげる理由をより深く探ろうとしたのが心理学者のスタンレー・コレン博士です。彼は犬の頭部の形、すなわちマズルの長さが人の口元を見るときの視覚の妨げになるためではないかと考え、数年前に独自でインターネット調査を行いました。その結果、頭をかしげる犬は、短頭種よりも長頭種あるいは中頭種に多いことを突き止めました(詳しくは「犬が首をかしげながら人の話を聞くのはなぜ?」をご覧ください)。
コレン博士の発表のように、確かに視界的な問題もあるかもしれません。ですが果たしてそれだけでしょうか?
というのも、実は人や犬を含む動物には刺激を知覚したりそれに対して体を動かしたりするときに非対称性を示すことが知られています。知覚時に関して簡単にいえば、利き手、利き目、利き耳があるというようなものです。犬において非対称性は脳機能の左右差(側性化)のあらわれでもあり、尻尾の振り方や、においを嗅ぐときの左右の鼻の穴の使い分け、人の声を聞くときの左右の耳の使い分けなどに出ていることがこれまでの研究により示されています。そして、その非対称的な動きのひとつに頭を傾けるという動作が位置づけられるからです。
これまで科学的根拠は不明な「首をかしげる」動作でしたが、ついに初めの一歩となる研究が発表されました。研究のきっかけはある偶然の発見でした。
研究を行なったのは犬の認知行動学研究の世界を牽引しているハンガリーのエトベシュ大学。研究者らは、おもちゃの名前の記憶力に関する研究を行なっている間に、優れた記憶力を発揮していた天才犬6頭すべてに「おもちゃの名前を言うときに首をかしげて聞く動作をする」という共通点を見つけたのです(その研究については「桁外れな記憶力〜天才犬は生まれつき?経験?それとも若さ?」をご覧ください)。
ほとんどの犬が2つ以上のおもちゃの名前を覚えられなかった一方で、何十個もの名前を覚えられる犬たちに首をかしげる共通点があることに気づいた研究者らは、さらに追加実験を行うことにしました。
[photo by tracydonald]
長期間にわたって首かしげ状況をチェック
研究者らは、33頭の家庭犬(名前を覚える能力はほとんどなし)と7頭の家庭犬(言葉学習天才犬)に対して、おもちゃの名前を覚えさせるトレーニングを開始。そこから1ヶ月後、2ヶ月後、3ヶ月後と3回テストを行いました。1回のテストで12回行なった各トライアルにおいて、飼い主からおもちゃの名前を伝えられた犬が別室にあるおもちゃを取りに行くまでの間に、犬が頭を傾げたかどうか、さらには左・右・前のいずれの方向に頭をかしげたかを記録しました。
おもちゃの名前を確実に2つ以上覚えていた6頭(7頭中1頭は他界)に対してのみ、さらに向こう3ヶ月にわたり、各月1回、同様にして新たに覚えた名前のおもちゃを含めてのテストを行いました。犬ごとにトライアル回数は異なりました(15〜59回)。そしてこの6頭に対して、2回目のテストの終了後2〜10ヶ月後に3回目のテストを実施し、各犬それぞれ15回と27回のトライアルを行いました。これらのトライアル中も同様に研究者らは、犬が飼い主に話かけられてからおもちゃの名前を告げられ、取りに行くまでの間に見せた首をかしげる動作を記録し、さらには左・右・前のいずれの方向に頭をかしげたかを特定しました。
長期にわたって収集されたこれらのデータを解析した結果、最初の比較実験(一般犬と天才犬)において、首をかしげたトライアルは一般犬の2%だったのに対し、天才犬は43%傾けていました。ただし、天才犬は首をかしげようとかしげまいと、正しいおもちゃを回収してくる確率は同じでした。
また、首をかしげる方向は数ヶ月間にわたるいずれのトライアルにおいても、飼い主と犬の位置に関係なく安定しており、かつ、左にかしげる犬はほぼ左にかしげるといったように明らかに「好みの方向」があることも示されました。
これらのことより研究者らは、同じプロトコルでトレーニングを行ったにもかかわらず、頭を傾ける動作が天才犬にだけ多く出現したことは、天才犬にとっては首をかしげることと、犬にとって意味のある刺激を処理することに関連性があり、集中力や注意力を高めている状態である可能性があると研究者らは言っています。天才犬たちの頭の傾ける動作は、おもちゃの名前を聞いたときに記憶の中で名前と視覚的映像とをマッチングさせているときに出てくるのかもしれない、ということです。
犬の音声の脳処理には非対称性が見られるという以前の研究結果をもとに、よりサンプル数を増やして犬が頭を傾ける方向と人間の発声を聞いたときの神経処理との関係を明らかにしていくことができるとも考えているようです。
英語ですが、こちらが今回の研究内容を紹介した短い映像になります。首をかしげる天才犬たちの姿が映っていますので、よろしければご覧ください。
首をかしげる理由はひとつだけ?
今回の研究から、特定の状況において特定の能力のある犬だけが極めて多く首をかしげる動作を見せたというのは事実で、その背景に人の言葉に対して集中力を高めている可能性があるというのも頷けます。天才犬すべてが人と協調して作業を行うボーダー・コリーだったからです。ただし、今回の一般犬の中にもボーダー・コリーが多数含まれていたことから、犬種特性による違いがある可能性はありながらも、ボーダー・コリーだから首をかしげる頻度が高いということを証明できるものではないことに注意が必要です。
たとえば、首をかしげることの多い犬がどのような状況で首をかしげるのか、いくつかのパターンに分け、それぞれのパターンの状況下でテストするというような実験を行ってみるとどうなるのか興味があります。おもちゃの名前ではなく別の音源を提示することで、また別の「首をかしげる」動作の背景のひとつが見えてくるかもしれませんし、より多くの犬を対象として調査すれば、コレン博士の視覚説も浮上してくるかもしれないとも思います。
また、首をかしげる動作をよくする犬は、もしかしたら単語記憶の能力が高い可能性を秘めているのかも?とも思ったりもしますが、それを一般化するにはまだまだ研究が必要そうです。
今は亡きはなも、歳をとるまではよく首をかしげながら私の言葉を聞いていたものでした。個人的には、加齢による認知力(集中力?)や聴力の低下が、首をかしげる動作の消失に関連する可能性があるような気がするので、首をかしげる犬の年齢がどのように分布しているのかも知りたいところです。
【参考文献】
・An exploratory analysis of head-tilting in dogs, Animal Cognition. 2021.
【関連記事】