犬のトイレ問題、下町考

文と写真:尾形聡子


17年前のハナ。うちに来てすぐに家の中でもトイレができるようトレーニングを開始した。

今回は、五十嵐廣幸さんの「イガちゃん、犬の排泄論を大いに語る!」を読んで感じたことを述べてみたい。

イガちゃん、犬の排泄論を大いに語る!
文と写真:五十嵐廣幸 藤田りか子さんの記事、「希望する飼い主さんだけついてこい、これが犬の外トイレトレーニング!」はオーストラリアで暮らす私にとって全て…【続きを読む】

五十嵐さんは飼い主の怠慢が犬の排泄の習性をねじ曲げてしまっていることに対して警鐘を鳴らしている。白黒ハッキリしていてとてもわかりやすいのだが、私はこの点に関してグレーの状態で犬と暮らしている。オシッコは子犬の頃から室内と屋外の両方でさせてきた。記事中に書かれていた「老犬になった時や病気になった時に犬が外に行くのが大変になるから」というのが理由のひとつだ。そして、17歳をすぎたハナとの暮らしにおいて、両方できるようにしておいてよかったと思っている。

外トイレ事情の変化と加齢による変化

子犬の頃から散歩の前に家でオシッコをしてから出かけるよう習慣づけていた。前述した理由にくわえ、突然お腹の調子が悪くなった時と留守番が重なった場合など、いつでもトイレに行ける環境にしておきたかったのと、どのような住環境の家を借りても対応しやすいようにしておきたかったからだ。そして、これらいずれにおいても室内トイレができるようになっていて役立った。

普段、家の中でオシッコをするけれどすべて出し切るわけではなく、必ず外でもしていた。散歩に出れば外のにおいを嗅いで、排泄意欲は湧き上がってくる。

犬たちは犬たちで、室内でのオシッコと外でのオシッコを完全に区別していたように思う。タロウは子犬の頃からの習慣を守り、室内でオシッコするときは足を上げることもなかった(もちろん外では高々と上げていた)。ハナにいたっては、家の中でのオシッコは必ずオヤツがついてくる楽しいイベントだと思っていたようだ。散歩に出かけようとしなくても、オヤツを食べたいあまりに自らトイレに行くことも多かった。ものは捉え方というか、なんというか、外での排泄も維持できているのであれば、室内オシッコは、それはそれでゲーム感覚にできるものなのではないかと思う。

タロハナが子犬だった時代から世間の事情はだんだん変わっていき、今やオシッコは水をかけて流すという時代になった。区の条例通り家でオシッコは済ませてはいるものの、犬なのだからやはり外でも排泄をしたい。それを止めさせようという意図は私にはない。だからこれまで土のある場所にいって排泄を促していた。しかし彼らも高齢になりそこへ到達するまで我慢できなくなってしまった。タロウが亡くなり急激に足腰が弱りはじめたハナは、日常的にアスファルトの上でオシッコをするようになった。オシッコを流す水をうっかり忘れてしまったときには通行人から文句を言われたりもする。一番驚いたのが、「あとで拭くんですよね?」と注意されたときだった。

17歳を過ぎてから、ハナは自ら室内トイレに行きたがらなくなった。トイレシートは滑りやすく、シートの上でグルグルするのが(ハナはオシッコする前に必ずシートの上で何周か回る習慣があった)困難になったからだ。さらに最近、ベッドから起き上がった直後や部屋から出る直前にしてしまうなど、オシッコのコントロールができないことも増えてきた。そのため、タイミングを見計らってハナをベッドから直接トイレの上に運ぶようにしている。そうすると、オシッコしたいときには間髪入れずにしてくれるようになった。私にとって家の中にトイレがあるのは本当にありがたい。

このようなことを考えていると、実家で以前飼っていたメスのラブラドールのことを思い出す。彼女の晩年には年老いた両親が苦労しながら階段を下ろしていた。1軒屋だったが2階が生活の場となっていたためだ。14歳で老衰で亡くなるまで散歩を続けていて、排泄のコントロールもできていたけれど、寝る前のオシッコだけでも家の中でできたら犬も両親も苦労しないのに、とそのとき感じたものだ。

五十嵐さんの「オーストラリアでは排泄や食事など行動を独りでできることが「犬として生きている」と考える」という言葉にまったく異論はない。だが、老化によって弱っていく間、完全に今まで通り独りで何もかもできずとも、ちょっとしたサポートが必要な段階において家の中でオシッコできる選択肢があることは、飼い主にとって大きなメリットになると思う。犬にとっても選択肢があれば身体的ストレスを回避できる可能性がある。

そもそも、簡単に外にアクセスできないような環境で犬を飼うべきではない、と言われてしまうかもしれない。でも、それではあまりに窮屈すぎやしないだろうか。白か黒ではなく、うまくグレーを取り入れることも時と場合によっては「アリ」だと思う。環境が満たされていなくとも、それなりに生活の質を高める工夫はできるし、犬の福祉を最大限よくしようと努力することもできる。こんなことを書きながらも、ひとりで犬と暮らすことへの躊躇いは今もなお完全に拭いきれないけれど。

大切にすべき犬の福祉は基本的にどこに暮らしていても変わらない。けれど、生活環境も社会環境も違えば、犬一頭一頭それぞれが違う。それらに対して飼い主一人一人、犬の福祉を大切にすべく柔軟に行動すればいいのではないかと思う。犬の福祉低下を招いてしまうか否か。たとえば、道具を使うか使わないかではなく、使い方次第で良い道具にも悪い道具にもなると考えてみることが大切だと思っている。個人の多様性が認められる社会の本来の意味は、そういうところにもあるように感じている。決して自分を正当化するための多様性ではなく。

ところでハナは14歳になった頃、膀胱炎を繰り返すようになった。慢性化してしまい今も完治しておらず、薬を続けている状態だ。当初はおねしょがひどく、夜間にオムツを使っていたことがあった。だが幸いなことに、頻繁だったおねしょからは早々に脱却し、いまはオムツの世話にならずに済んでいる。しかし、これからどうなっていくかはわからない。

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