犬への倫理、下町考

文と写真:尾形聡子

藤田さんの「健康になるという理由だけで犬を飼うなかれ」を読んで大きく二つ感じたことがある。ひとつはそこに書かれていたことを地元の高齢者の方々を通じて実感していること、そしてもうひとつは、いわゆる”癒し”で犬を飼おうとするという感覚をもつ人がいて、それをプロモーションする人もいる、ということだ。

まずひとつ目のことについて。

私の住んでいる地域は下町だけあって地元民が多い。なのでもれなくお年寄りも多く、地域のつながりも強い方なのではないかと思う。私自身は地元での活動をまったくと言っていいほどしていないが、散歩を通じての高齢者の方々との交流(動物が介在することで発生するコミュニケーション)がどれほど増えているか。それについてはまた別の機会に記したいと思うが、犬を連れて歩いていると、まあよく高齢者から声をかけられる。

もちろん犬が好きな人が大半だろうが、実際に今も犬を飼っている人からは、

「昔はね、私も大きい犬を飼っていたのよ。今はもうこんなだから大きいのは無理でね・・・おたくのワンちゃんは大きくて犬らしくていいわねえ」

と言われることもしばしばだ。

そのような高齢者の方々は自分の置かれている状況(年齢や体力など)を把握した上で、今の暮らしに適した犬を選んでいるのだろう。理想からすればベストな選択ではないかもしれない。けれど、そこには犬という生き物への深い愛情が大前提にあるのだと思う。

こんな初老の女性もいた。彼女の愛犬は数年前に17歳で亡くなったマリちゃんだった。マリちゃんの死後、その女性がひとりで散歩をしているところに出会った。

「おひとりでお散歩もちょっと寂しいですよね」

と話しかけると、

「そうなの、とっても寂しいのだけれど体のためにと思って。でも年齢を考えると犬はもう飼えないしね・・・」

数ヶ月くらいだろうか、いやたった数週間だけだったかもしれない。相棒をなくしたその女性のひとり散歩は続かなかった。最初こそ長年の習慣がなかなか抜けなかったのだろう。その様子を見て、彼女は明らかに健康を目的として犬の散歩をしていたのではない、そして、健康を目的として再び犬を飼おうというような意思はないのだ、そう感じた。タロウとハナと散歩している最中にその女性と会えば、今でも嬉しそうに必ず近寄ってきてくれる。

そしてふたつ目の犬から癒されたいから、という理由で犬を飼おうとすること。犬を健康という目的のための手段として”使う”ものなのか?そういう意味でこれらは似た考え方のように思う。

そこには寂しさから救って欲しいという願いが少なからず込められているかもしれない。しかし、犬は必ずしも人を孤独から救えるとは限らないという、カナダのカールトン大学からの報告がある。ひとり暮らしで社会的な交流が持てていない場合には、犬を擬人化する傾向にあり、強い愛着を抱くと孤独や憂鬱をむしろ増強させてしまうことがあるとも書かれている。

そして、犬はカウンセラー泣かせな生き物だと話す臨床心理士の北條美紀さんの言葉の中には、

「家族の中に犬がいても、特別な意味のある関係がなければやはり、犬の存在はポジティブなものにはならず、話題にあがらないことも多いです。けれど、犬との特別な関係がある場合、それは何にも代えがたい、かけがえのない関係であることが分かりました」

「たとえば犬を撫でるとすると、犬は撫でられっぱなしになっているのではなく、気持ちいいとかありがとうとか返してきてくれますよね。そういうところが犬ならではで、だからこそ特別な絆ができるのではないかと思います」

とある。

そう、犬は意思をもつ生き物だ。人からの一方通行ではいい関係性が作られることはない。特別な絆が生まれることなど決してないのだ。これは人間関係に当てはめて考えてみれば、言わずもがなではないかと思う。

いささか乱暴な言い方かもしれないが、犬が好きで一緒に暮らすとしても、自分が満足するのが最優先と考えるか、お互いに満足できるようにしたいと考えるかでは犬との間につくられる関係性は違ってくるだろう。犬との暮らしに伴うのは、日々の散歩に取られる時間、食餌や獣医代など物理的なこと、むしろ人にとってはデメリットとされるものがほとんどで、犬と暮らすことによりもたらされるメリットはあくまでもその人と犬の関係から生じる結果でしかないと思うのだ。

犬を物、道具として見ている人には、このようなことを言ったところで何も心には届かないかもしれないし、犬が苦手だったり嫌いだったりする人にとっては尚更だろう。けれど、もし犬と関わった生活をしているのであれば、少なくとも一度はしっかりと犬という生き物について向き合い考える場を作って欲しい、そう強く思っている。

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