文と写真:尾形聡子
こういう日常に居合わせられるよう、入院中はとにかく一刻も早く家に戻りたくて仕方なかった。
今年、夏も本番になる直前。思いもかけず感染性の腸炎にかかり9日間も入院してしまった。タロハナと暮らし始めてから大きな病気や怪我はなく、一度だけ転んで尾骨を強く打ち付け(多分ひびが入り)歩くのがやっとのことがあったくらいだった。しかし今回ばかりは、自分の代わりがいないということ、それが、ひとりで犬と暮らすということでもあるのだと思い知らされた。
入院まではあっという間の出来事だった。
6月末のある日の夜、とつぜん節々が痛くなり、どんどん熱が上がっていった。そうこうしているうちに胃腸の激痛がはじまり、これは救急車の世話になるしかないかと思った。しかし、救急隊員が入ってきたときにタロハナを制御する力はもはや残っていなかったため断念。ほとんど眠れない夜を過ごし、翌朝近所の病院へ。そこから大きい病院へと移動してそのまま入院することになってしまった。
検査や症状から腸炎と診断されたものの感染源が何かわからないために病室は隔離。もちろん一時外出などできるわけもなく、点滴につながれたままひたすら回復を待つほかなかったのだった。
突然の入院で大慌てだった私とは裏腹に、案外タロハナは落ち着いていたという。そして9日ぶりに家に戻ってきたときも、普段の外出時より多少興奮していた程度でさほど変わらない歓迎ぶりだった。むしろ突然帰ってきた私を見て“あれ、どうしたの?”と一瞬ためらっていたくらいだ。
そういう意味で、意外と犬は現実的で、とりあえず食餌や散歩の世話をしてくれる人がいればいいのかもしれず、生き延びていくためには特定の誰かでないと“絶対にダメ”というわけではない部分を持ち合わせているのだろう。少し寂しくもあるけれど、”ゆるさ”とも言える順応力を持つことが、人と犬の共生を実現させられる理由のひとつなのだなと実感したりもした。
急な入院にもかかわらず近所に暮らす妹と地元の友人にサポートしてもらえたことは本当に運が良かった。ふたりともタロハナとは気心知れた仲であったこと、13歳という年齢のためそれほど活動的ではなかったこと、そして夏本番に入る前だったのも幸いだった。サポートしてくれたふたりともに毎日忙しくしている中、時間を割いてタロハナの散歩にご飯にときっちり面倒を見てくれた。
身寄りがなく、周りにもまったく頼めない状況だったら・・・
犬に限らず手のかかる動物と一緒にひとりで暮らしている人には、自分の代わりがいないというのは避けがたい状況である。年齢は関係ない。
今回の入院騒動で大事だと感じたことはふたつ。ひとつは自分が何かあったときに周りに犬の面倒を見てくれる人をひとりでも多く確保しておくということだ。もしかしたら生きて帰れないことだってあるかもしれない。その時にはどうするか、そういうことまで含めて信頼できる身近な人にはしっかりと意志を伝えておくべきだ。面倒を見てくれる人は、できれば犬と面識がある人がいい。頼まれる人にも犬にとってもその方がストレスを感じずにすむ。
なかなか言い出しにくいことかもしれないけれど、近所の散歩友達にお願いしておくのも一つの手だと思う。物理的な距離が近いに越したことはない。
私は退院後、近所に暮らすひとり暮らしの猫飼いの女性と(タロハナと面識あり)お互いに何かあった時にはお互いの犬や猫の面倒を見合いましょうね、と話をした。犬や猫と暮らすひとり暮らしの人であれば、お互いにより状況を理解できるから、気持ちよくサポートしようと考えてもらいやすいのではないかと思う。
そしてもう一つ、何よりも大事なのは健康であること。これは人に限ったことではない。人も犬も健康に元気で暮らしていけるのは何にも代えがたいことだ。
そもそも、ひとりで犬と暮らすべきではないと考える人も大勢いるだろう。自分自身、ひとりではあらゆる面で力不足だと常に感じているから、これについては随分長い間悩んできたことでもある。かりに、”ひとり暮らしで犬と暮らすのはよくないのでは?”と尋ねられたら、いまでも私は完全に反論することはできない。
けれども、犬の習性を知り、犬たちの性格を知り、できる範囲の中で犬の日々の生活の質を確保できるようにしていければ、たとえ力不足であってもひとり暮らしの弱点をカバーできるのではないかと考えられるようになってきている。そのためにも、備えるべき備えをしておくのは大前提だということを痛感されられた入院騒動だった。
どんなに備えがあっても憂いは残るだろう。けれど、備えておいて悪いことはひとつもない。ひとり暮らしの人には特に、自分に緊急事態が起きた時のパターンをいくつか想定し、どう対応するか、いざという時に慌てずにすむよう是非とも考えておいて欲しいと思う。