ルーマニアから−野犬を飼うのは愛護?

文と写真:藤田りか子

ルーマニアの首都ブダペストの凱旋門のあたりをうろつく野犬。左耳につけられたブルーのタグは狂犬病予防接種および去勢避妊手術済みという印。

私の友人Lさんが、ルーマニアから野犬を連れてきて飼い始めた。彼女はスウェーデンの野生動物管理局に勤務する研究者であり、ルーマニアの山奥でオオカミの生態調査も行っていた。その時に出会った野犬を一匹保護したのが始まり。情がうつり、研究が終わった後、スウェーデンに帰る際に連れてきてしまったのだ。しかし、野犬は野犬。スウェーデンで犬を飼うというのは「家の中で飼う」ということだし、「犬は人に対して危険ではない」ということも前提である。しかし、その犬は幾度も脱走を試み、何度か人を咬み、「文明社会においてはあまりにも危険な犬」ということで、結局Lさんは飼いきれず、その野犬の安楽死を強いられた。動物が大好きなLさんはとても悲しんだ。そして自分をとても責めた。

ルーマニアは、野犬の多さでは世界的に有名な国である。首都ブカレストにおいては、野犬人口64,000頭(2013年)。咬傷事故も日常茶飯事のこと。そして12年前にはなんと、日本人のビジネスマンが野犬に殺された。その後、ルーマニア政府は本腰を入れて野犬駆除を本格的に展開したが、世界中の動物愛護団体は非人道的な犬への扱いに対して批判を行った。

ブカレストのある公園にて。犬たちは群れをつくって皆で協力して生きていた。1匹が警備役を、もう1匹は偵察役を。家庭犬のようにのほほんと生きてはゆけない。常に神経をはりめぐらしておく。これが野犬の生き方だ。

だからこそ、「処分」するよりもできるだけ犬達を保護して誰かに飼ってもらおうと、愛護団体は努力を重ねた。例えばスウェーデンは、自国に野犬の問題はないので、他国からの宿無し犬を保護できる余裕がある。そこでルーマニアの可哀想な犬たちを国際移住させようとするボランティアグループもできあがった。しかし、このグループの良き行いは、ちょうど私の友人Lさんと同じ壁にぶちあたった。数週間前(2013年3月当時)にスウェーデン中部の地方新聞にとりあげられたのだが、この地区でルーマニアから保護されたある犬が逃げ出してしまったということだ。それも、一度ならず何度も何度も!

ある獣医師はこう語った。
「それはそうでしょう。だって、ルーマニアの犬たちは根本的に、自由に野外で住んできた犬たち。なのに、急にスウェーデンに連れてこられて家の中という限られた空間で住め、と文明化を強いられる。どれほど彼らは精神的に辛い思いをしているか!あまりの環境の違いに、逃げ出すのは当たり前ですよ」とボランティア団体に批判的である。

自由がない、というのも逃げ出すひとつの理由だ。たいていの家庭犬は社会化期の子犬の頃から室内で育ち、そして人間社会でのルールを学んでゆく。だからこそ、私たちと共存が可能なのだ。しかしルーマニアの野犬達には、そんな人間社会における社会化期間などなかった。成犬になって、今更新しい生活パターンになじめといっても無理である。それに外で暮らしてきたために、多くは非常に怖がりで用心深い。彼らの気持ちとしては「できるなら人間との接触を避けたい」が本音だ。たしかに風雨をさけるべく屋根もあるし、温かい寝床もある。そしていつも食べ物は提供される。しかし、犬は人間ではない。人間ならこれを「贅沢」として享受したかもしれないが…。

友人のLさんの犬も、「子犬時代から人間の手に扱われる」という経験がなかった。だから人間の急な動きや手が頭の上にかざされる行動に対して、敏感に反応してしまうのだ。そして恐ろしいと思うあまりに、防衛行動を取ろうとする。それが攻撃という形となって行動に表れた。もちろん、文明社会がそれを許すはずはない。さらに困ったことに、犬を保護しようとする文明社会に生きる私たちは、犬であれば皆ゴールデン・レトリーバーのように大人しく振る舞うと思い込んでいることだ。しかしそれは、子犬時代の人間との共存の中で培われた社会化の刷り込みのおかげである、ということをすっかり忘れてしまっている。

野犬は、個体によって生存のストラテジーも様々。この犬はできるだけ人に近づいて愛嬌を振りまく。そして何か食べ物のおこぼれを貰おうとしている。これが彼女の「食べ物」の探し方であり、サバイバル戦略でもある。

これら試行錯誤の末、今、ブカレストの動物愛護団体が力を入れているのは、もちろん誰か飼ってもらえる人を探すことでもあるが、一番は野犬の避妊去勢手術をすること。そして、手術をしたら住んでいた路地に返してあげること。路地や公園こそが野犬の故郷で、彼らの自然の生息場所であり、一番住み慣れた場所である。ちなみに「処分」という手段は、過去の経験上、あまり効果がないことが最近明らかになってきている。というのも、駆除してもしても、またどこか別のところから犬がやってきてそこに住み着いてしまう。だから一向に野犬人口が変わらないのだ。

ひとつ個人的に思ったのは、野犬もいわば都市に住む野生動物みたいなものだろう、ということだ。だからこそ、家の中で暮らしても幸せにはなれない。実際に野犬を少し観察する機会があったのだが、彼らの行動は犬本来の暮らしぶりをみせてくれるなど、とても面白かった。私なら野犬が都市をウロウロしていても一向に構わないし、咬まれるような行動は絶対にとらずに共存したいと思うほどだ。しかし、咬傷事故があまりにも多すぎる。ある研究では、野犬20頭につき1頭は、その犬生の中で人を咬むことがあるそうだ。文明社会の常識を通すとなると、残念だがやはり野犬は人間社会にあってはならない存在なのかもしれない。

【その後…】

本記事は2013年3月に最初に公開されたものだが、実はその6ヶ月後、ルーマニアの首都ブカレストにて保護団体によってTNR(捕まえ避妊去勢手術をし、そしてもといた場所に戻す、という意味)を受けた野犬が群れになって6歳の子供を襲い死に至らせるという事件が起こった。これはルーマニアの国中で大きな物議を醸し出し、最終的には「野犬安楽死法」が施行され、51,000頭が捕獲され、そのうち23,000頭が譲渡され、約25,000頭の犬が安楽死に処された。

【参考サイト】

What happened to the 51,000 stray dogs captured in Bucharest? | Romania Insider

(本記事はdog actuallyにて2013年3月6日に初出したものを一部修正して公開しています)

【関連記事】

自由に生きるバリ島の犬が家庭犬になると、性格にどんな変化が起こるのか?
文:尾形聡子 インドネシアはバリ島に古くから自由に暮す犬、バリ犬。 東南アジアやインド、アフリカなどの町や村には人に飼われることな...
野犬出身の保護犬を考える
文と写真:藤田りか子 東欧の野犬の様子。この犬は街の広場に現れるものの、人が手をのばすとさっと立ち退いた。警戒心は強い。 私はすでに成犬となった野...
野犬のウェルフェアとイルカの自由
文:五十嵐廣幸 先日掲載された藤田りか子さんの記事『野犬出身の保護犬を考える』はとても興味深い内容だった。同時にその記事に寄せられたコメント...
ディンゴというもの、そして日本の野犬の将来
文と写真:五十嵐廣幸 ディンゴと触れ合えるチャンス”Dingo open days meet our cubs”があると聞いてメルボルン中心...