文と写真:尾形聡子
「あれ?もう片方はどうしたの?」
と初老の男性に初めて声をかけられたのは、タロウとお別れした後、すぐの頃だったと記憶している。なんともファンキーな出で立ちの人で、彼は犬を連れているわけではなく、それまでに接点を持ったこともなかった。それから半年以上経ったつい先日、二度目の会話を持った。
「足、どうしちゃったのー?」
左後ろ足をひきずりがちなハナに、サポーターをつけていたからだ。
その日は連れの男性と一緒に歩いていた。が、二人してファンキーな格好で、白髪を後ろにひとつに結び、キャップをかぶっていた。ぱっと見、どっちが以前会った人か分からなかった。
「前はもう一頭いたんだよ。確かこの子もだいぶ歳だったよな」
「そうそう、16歳を過ぎたんですよ」
「俺より年上かな?」
人間だと何歳くらい?というような会話をしながら、それにしても一度話をしただけなのによく覚えてくれているものだなあと感心した。そして、”俺はこの犬たち知っているんだぜ”というちょっとした自慢げな雰囲気が何気に嬉しかった。
「まだまだ元気そうだな!頑張れよ」
そう言って二人は歩き去っていった。馴染みの喫茶店にモーニングでも食べにいくのか、それとも競艇にでもいくのだろうか。1分にも満たないくらいの短い会話だったが、朝からふんわり温かい気持ちになることができた。
***
ある日の夕方、スタンダード・プードルを散歩している女性と初めて話をした。これまで何年もの間、幾度となく道のあっちとこっちですれ違っていて会釈はしていたのだが、タロウが犬種差別をするきらいがあったのでとくに交流を持たないでいたのだ。しかしその日はなんとなくハナがその犬を気にしている様子だったので、同じ道を歩き、すれ違う際「こんばんは」と初めて声に出して挨拶してみた。そうしたら向こうから、
「もう一頭いましたよね?」
と話しかけてきた。今年の2月に16歳で亡くなった旨を伝えると、
「えっ?そんなに前になるのですか…実は私も今年自分の犬を高齢で亡くしたもので、気になっていたんです」
女性はペットシッターとしてそのスタンダード・プードルを散歩させていたのだった。ハナの名前と歳を聞いてくれた。
「ハナちゃんまだまだ足腰がしっかりしてますね!すごい!!これからも頑張ってお散歩してね」
数分立ち話をしただけなのに。こういう親近感の湧き方というのもあるものなのだな。長年見かけてはいたけれど、でも、今このタイミングだったからこそなのかなと思った。
***
タロウ亡き今もこんな交流が後を絶たない。犬を飼っていない、見知らぬ人から幾度となく「もう一頭はどうしたの?」と声をかけられてきた。最近では、コロナが流行り始めてから中高生の朝の登校を見守る先生たちとも随分仲良くなった。タロウが亡くなった後のことだから、彼らはタロウを知らないけれど。
夏場には散歩の時間を早めていたため、先生たちに会わない日がだいぶ続いたことがあった。少し涼しくなり散歩時間もゆっくりになった頃、ちょうど見送りが終わって学校に戻ろうとしている女性の先生二人を遠目に見かけた。軽く会釈をすると、二人はわざわざこちらの方まで駆け戻ってきてくれた。
「ああ、すごく心配していたんですよ。ハナちゃんどうしているかなって話していたんです。元気でよかった!」
***
それにしても不思議なものだ。ただ道を歩いているだけなのに、犬と一緒だと見知らぬ人との交流があちこちで自然に生まれてくる。相手は子どもからお年寄りまで実に様々。
それはあまりにも日常的で、当たり前のように感じてしまいがちではあるが、決してそうではない。これぞ犬の秘めたる素晴らしいパワーの一つだとひしひしと感じる。そして、人々の心の中にタロウの記憶が残っているのを知ることができるのもまた、とても嬉しく思うのだ。