犬の持つ特殊な能力とは?~菊水健史先生セミナーレポート(2)

文と写真:尾形聡子(本記事はdog actuallyにて2016年11月15日に初出したものを一部修正して公開しています)

前回に続き、麻布大学獣医学部動物応用科学科伴侶動物学研究室教授の菊水健史先生の講演『ヒトとの共生を可能とするイヌの特殊な進化』を紹介いたします。日本ペットサミット(J-PETS)主催の例会での講演は、10月6日に東京大学農学部で行われました。

犬の特殊な能力、観察そして模倣

「犬にみられる能力に、模倣があります。模倣は共通の社会刺激を使う最も基本的な脳機能です。たとえば赤ちゃんに微笑みかけると、赤ちゃんは笑い返してきますよね。これが模倣の基本です。人が言語を学ぶのも模倣になります。高い社会認知能力がないと模倣はできません。」

人と犬の間に見られるコミュニケーションは、共通の社会刺激を使っているからと考えられるのだそうです。

「模倣のひとつにあくびの伝染があります。同種間ではチンパンジーにもあくびの伝染が見られるのですが、人と犬は種が違っていてもあくびがうつることが分かっています。」

あくびについての研究は『人のあくびがうつるのは、犬がいくつになってから?』で紹介していますので、あわせてご覧ください。

「たとえば霊長類では、子サルが母サルの食べ方を見て自分も同じように食べますし、チンパンジーが石を使ってクルミを割って食べる姿を子にみせれば、子も石を使うよう努力し、やがて使えるようになります。見て真似して学ぶ、このようなことを観察学習あるいは模倣学習といいます。」

宮崎県の幸島に住む野生のサルが海水でサツマイモを洗って食べるという話は有名ですが、それも模倣による学習です。一頭のサルがとったイモ洗い行動がほかのサルたちに模倣され、今では島に住むサルがみな芋を海水で洗ってから食べるようになっています。

「子が親のやることを単純に見よう見まねで行いさえすればいいというわけではなく、模倣学習として成立するには条件があります。なにかの行動を真似しようとする時に、そこに選択肢が複数存在している必要があるのです。」

たとえば机の上に置いてあるベルを父親が手で押せば、赤ちゃんも手で押しますし、額で押せば、やはり赤ちゃんも額で押します。しかし父親が毛布でくるまれていて額でしか押せない状況にあると、赤ちゃんは真似をしなくなるそうなのです。

「選択肢が二つ以上あれば、どちらが有利かどうか比べることができるので、赤ちゃんは真似をします。しかし選択肢がないと比較する対象がないため、有利かどうかが不明になってしまいます。そのため赤ちゃんは真似をしなくなるのです。この点は模倣学習を研究する上でとても大切なことです。」

犬における模倣学習の研究について、2007年に発表されたウィーン大学の研究者らによる実験が紹介されました。実験では、デモンストレーターとなる犬(模倣される犬)に口を使うか前肢を使うかという複数の選択肢を与える場合と、口にはボールをくわえさせて前肢しか使えない状況にする場合とにおいて、デモを見た犬が口と前肢のどちらを使って真似をするかを観察したものです。

「この実験から、犬は複数選択肢があるときのチョイスのほうが有利であるということを知っていて、その場合には同じように模倣することが示されました。さらにこの後に同じ研究グループが、犬は人の行為の摸倣もするかどうかを調べる実験も行い、人の摸倣をすることも分かりました。つまり、犬は犬から模倣学習をするだけではなく、人の行為も観察し、そこから自分のために有効活用するために模倣をすることが明らかになったのです。」

さらに犬は人を良く観察していることを示した研究があります。2015年に京都大学の心理学研究室から出された『飼い主に不親切な人を、犬は意識的に避けている?』で紹介した論文です。

「これは犬の第三者評価と呼ばれるものです。ある二人のやり取りをそばで見ている状況、つまりは犬が第三者的な立場に置かれている場合、二人の間柄が協力的か、もしくは非協力的かをあらわすような芝居をしたとき、犬がそこから得られる情報を利用するかどうかを見たものです。結果、犬は非協力的な人を避けていることが示されましたが、親切な人やなにもしない人を積極的に選択するという点では有意差は見られませんでした。」

犬と暮らす人、暮らしたことのある人ならば、犬は家庭内の雰囲気にとても敏感に反応していると感じたことがあるのではないでしょうか。犬は人の行動や関係性を本当によく観察している生き物だと思います。

「では犬はどこまで人と同じようなことができるのだろうか、と思うようになるわけです。そこで、”心”のありか、協力的な心がどのようになっているかということについて色々な議論されるようになりました。」

乳幼児の他者理解への成長と、これまでに犬で確認されている心的機能とをならべた表。発達段階を追って犬の認知機能が確認されてきていることが分かります。

「このスライドは乳幼児の心の発達を成長軸であらわしたものですが、 これまでの研究で犬ができることが確認されているのは、人の1歳ちょっとくらいまでです。ですので、犬の認知科学における次なるテーマとしては、向社会行動が出るか、共感の心を持つかというところになっています。すでにいろいろなところで研究が行われていますし、私の研究室でも人と犬の間で共感が存在するのか、どこまで共感できるのかということを調べています。」

現在の犬の認知研究分野において、ここはとても大きな研究課題となっているそうです。しかし、現状ではまだ共感や公平性といったものが犬に存在するかしないかをハッキリすることは出来ていないそうです。

「ただしひとつ言えることは、共感や公平性というものは、社会的な関係性に依存するものです。たとえば相手の感じている辛さが自分も分かるという共感は、赤の他人よりも家族や身近な人と親和的な関係にある場合によりでてきます。これは公平性に関しても同じです。人はよく他者の痛みが分かると言いますけれど、それは相手との関係性に大きく依存しています。」

極端な例ですが、たとえば戦場で、自分の目の前にいる敵は殺しても、仲間が殺されればショックを受ける、というのと同じことなのだそうです。

「そこでまず、本当に人と犬は親和的で、絆を形成できる関係にあるのか、ということがポイントとなってきます。」

人と犬の間の絆を科学的に知る

人と犬の共生を考えるときの大事な要素のひとつが”人と犬との絆の形成”であることは冒頭でのお話(人と犬の共生を考えるときに大事な要素とは?~菊水健史先生セミナーレポート(1))にありましたが、人と犬に情緒的なつながりがあるだろうことを生物学ために証明するために、菊水先生の研究室では長年にわたり研究を続けられています。

「ジョン・スタインベックというアメリカの文学小説家をご存知の方も多いと思うのですが、彼は、チャーリーという名前のスタンダード・プードルを溺愛していました。実際にチャーリーと全米を旅したときのことを “チャーリーとの旅”という本に記しています。」

その本の中で、チャーリーは”人の心が読める犬”だというくだりが書かれているそうです。

「スタインベックが数日後に出張を控えているという状況で、そろそろ準備でもしようかと思っている段階ですでに、チャーリーがヒステリックなってしまうといったことが書かれています。この文章から2つのことが分かるのですが、ひとつは、チャーリーは彼の出す微妙なシグナルを読む能力を持っていたということです。もうひとつは分離や別離がイヤだ、ということです。チャーリーにとってスタインベックと離れることは大きなストレスだったのです。」

犬が飼い主と離れることが嫌だと感じる根底には、お互いの間に絆が存在するだろうことがうかがえます。

「絆は英語で bond といい、くっつくという意味を持ちます。絆が形成されていた場合、くっついたものをはがすのは痛いんです。心理的な苦痛ですね。人は経験的に、犬との間には絆が形成されていると感じていると思います。犬とかかわったことのある方なら、改めて言うまでもないことと思うかもしれませんが、それを科学的に数値として示せるかどうかというところでの研究が進められています。」

飼い主との別離がストレスになる

2011年の大震災の後、麻布大学では飼い主さんが一緒に暮らすことのできなくなった犬を受け入れ、トレーニングをし、新しい家庭を探して譲渡するまでを学生実習の一環として行っています

「今年も何頭か福島から受け入れています。これは社会的活動として価値があることと思いますが、教育研究機関ですので科学的なこともしてみようということになりました。そこで、尿中のコルチゾールと呼ばれるストレスホルモンの値を測定することにしたのです。」

震災が起こる前には、神奈川県の保護施設から犬を受け入れていた麻布大学では、その犬たちの尿中のコルチゾールの測定を行っていました。保護施設から麻布大学に到着後、14日間は毎日、その後は週に1回コルチゾールの測定を続けたそうです。そして震災後の5月に被災地からやってきた犬たちも同様にコルチゾールの値が測定され、両者が比較されました。

「コルチゾールの値の違いは明白でした。福島から来た犬たちは非常に高いコルチゾールの値を示し続け、70日が経過してもその値は下がってこないことが示されました。一方、神奈川のほうも最初の1週間くらいは高めの数値を示すのですが、それでも被災犬の10分の1程度でした。さらに、時間が経つにつれて値は下降していきました。このことから、震災を経験し、飼い主の方との別離を経験した犬は強いストレスを受けていたと言えます。」

さらに菊水先生の研究グループでは、福島の犬と神奈川の犬の違いを調べるために、C-barqという犬の行動特性を解析、評価するシステムを利用しました。

「大きく異なっていたのは2点で、いずれも福島の犬のほうが横浜に比べて評価が低くでました。ひとつは、学生さんがお座りや伏せといったことを教えたときの訓練性能(Trainability)の違いでした。もうひとつ、福島の犬が非常に低い評価となったのが愛着行動(attachment)です。たとえば学生さんが行ったときに喜んで出迎えるか、くっついて歩くかといったところが評価されたのですが、福島の犬は学生さんが行ってもほとんど喜ぶ様子を見せないという結果になりました。」

これらの研究結果から、被災犬はグルココルチコイドの値が非常に高い状態が長期続くということと、訓練性能や愛着行動に障害を抱えることが示されました。

「なぜこのようになるのか原因はよくわかりませんが、大きく二つのことが考えられると思います。ひとつは、非常に大きな揺れ、津波、移住といった震災にかかわる経験を犬自身が受けているということです。もうひとつは飼い主さんとの別離です。これが犬にとってより大きなストレスになったのだと考えています。」

理由があって飼えなくなり、泣く泣く犬と別離する様子を見せる福島の飼い主さんと比べると、神奈川の犬は飼い主さんが自ら飼えなくなりましたと連れてくるケースが多いそうです。別離する状況の違いは、飼い主と犬との関係性の強さの違いであると考えられると菊水先生は言います。

「つまり人と犬の間の絆の存在の違いが、別離や分離によるストレスの違いとして表れたのではないかと考えています。」

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次回は人と犬の間の絆は存在するのかどうかについて、詳しく紹介したいと思います。

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