文と写真:五十嵐廣幸

おイナリ君、エクセレントクラスのタイトル獲得!そのリボンと。 [Photo by Hiroyuki Igarashi]
イナリがノーズワークを始めたのが4年前。最初は彼のビビリ対策として人や犬がいない場所で始めた環境トレーニングだった。しかし、今では競技会の常連となり
「あのtiny dog(ちびっこ犬)うまく探すわね」
とジャッジやベテランハンドラーにも注目されるほどになった。
そんなビビリ犬イナリが遂にマスタークラスに昇格した。オーストラリアのセントワーク(ノーズワーク)の競技レベルは全部で5段階。初級のノービス、中級のアドバンスド、上級のエクセレント、最上級のマスター、そして最高峰のアルティメイトとなっている。マスタークラスの特徴は、ハイドが未知数、つまりハイド数は競技者に知らされない。インテリアでのハイド数は1〜5のどれか。部屋数は2または3。ただしそのうちのひと部屋はブランク(ハイドが無い部屋)の可能性もあるトリッキーなものだ。その他のエクステリア、車両、コンテナのハイド数は1〜3。ハイドを見つけたらアラート、もうこれ以上ハイドがないと思ったらFinishを宣言して競技は終了する。
競技会でのルーティーン
では、イナリが競技を開始するまでの流れを紹介してみる。
8:00 競技者用駐車場に到着
競技会場に着いたら、最初にイナリの首にイエローバンダナをつける。この黄色またはオレンジ色のバンダナは「この犬はリアクティブ(人や他の犬など外部の刺激に対して恐怖やストレス、興奮といった感情から極端な反応を見せる行為)」であることを周りの人たちに知らせるためのものだ。リアクティブな犬はバンダナの着用が義務付けられている。また周りのハンドラーはバンダナをつけた犬とは、十分な距離をとらなければならない。
8:10 チェックイン
受付で紙に印刷されたゼッケンを貰う。最近は競技者が増えたこともあり、ゼッケンは各自プリントアウトして持参する大会が増えてきた。
8:30 ブリーフィング
まずは大会委員から競技の流れ、トイレや立ち入り禁止場所、喫煙時の注意といった説明が行われる。次に各競技ジャッジから(オーストラリアのセントワーク競技会では各クラスおよび各エレメントによりジャッジが異なる)競技の持ち時間、競技で使われる部屋や車両の数、競技中のオフリードオプションの有無といったことが伝えられる。ブリーフィングへの犬の同伴は不可なので、犬は車の中で待たせる。ハンドラーは、車内が暑くならないように直射日光を避けて木陰に駐車したり、アルミシートを使って日陰をつくったりしている。また多くの人がポータブル扇風機を常備している。
9:00 競技開始
競技前には必ず排泄を兼ねて十分な散歩をする。競技エリアに入ったら、スタートラインを切る前であっても排泄または排泄をしようという行為を見せたら失格となるのを防ぐためだ。散歩中、イナリは他の犬を見かけると大体吠えまくる。しかしほとんどの競技者はそんなことには慣れっこだ。それはノーズワークがビビリ犬もできるドッグスポーツであるからだと言えよう。
9:40 いざ!競技リングへ
競技場に備え付けてある番号札や、アプリを通して自分の競技の順番が近くなったのを確認したら、競技エリアへ向かい案内係に自分がいることを伝える。競技の順番待ちで並んでいる際は、列の前後にイナリより体が大きい犬、リアクティブな犬がいる場合、その列から少し離れて待つなどして競技前にイナリが興奮しすぎないように努める。
ゼッケン番号を呼ばれたら競技エリアへ進む。イナリはリードを引っ張るように走って向かう。早くノーズワークをやりたい気持ちが伝わってくる。

スタートラインを目の前にして一呼吸入れる。イナリの小さく黒い鼻先は細かく動き、瞳はキラキラと輝いている。彼にはすでにハイドがある方向の目星がついている。
「サーチ」
という合図と同時にイナリは勢いよくスタートラインを切り、ハイドのある方向へ一目散にダッシュだ!
各エレメントの攻略法
各エレメントで気をつけていることを書いてみる。
インテリア・エクステリア
マスタークラスのハイドの高さ上限は、インテリアとエクステリア共に150cm。しかしそんな高い場所のハイドでも、イナリは小さい体をものともしない。臭源にできる限り近づこうと後ろ足で立ち上がったり、ソファの上に飛び乗ったりしてハイドの位置を正確に見つけることができる。イナリの膝は弱い。だから高い位置にあるハイドを見つけてもジャンプしないようにと練習を積み重ねた。
小型犬にとって高い位置のハイドが不利になる一方、「アクセス不可能」と呼ばれる、犬が直接アクセスできないハイドにおいては、彼はその体の小ささを活かして椅子やテーブルの隙間に入り込んでアラートに結びつけることができる。
ヴィークル
小型犬のハンドラーが気をつけないといけないのが、車両サーチではないだろうか。体高21cmとイナリの体はとても小さい。サーチに夢中になって犬が車両の下に潜ってしまうと、犬の安全を脅かしたとみなされ失格になる。しかしそれに気を付けるあまり、リードにテンションをかけてしまうと、イナリはそっちに行ってはいけないと感じてサーチを止めてしまうこともある。犬のサーチの邪魔をしないリードワークはとても重要である。

コンテナ
コンテナだけが、犬の体の大きさに影響されない唯一のエレメントである。マスタークラスではサーチエリアにディストラクションとして、犬のボールやヌイグルミといったオモチャ、またサラミ、チキンナゲット、ビーフステーキといった食べ物も置かれる。しかしイナリはそれらディストラクションには目もくれないでハイドだけを見つける。それは彼がサーチそのものを楽しんでいる証拠だ。サーチエリアに隠してあるフードよりも、ハイドを見つけたときに貰えるフードが何よりも褒美になっている。もしかしたら、これは我々が仕事の後のビールが一番美味しいと感じるのに似ているのかもしれない。
普段のイナリは、犬だけでなく、人を見れば必ず吠える。風が吹いて窓がガタンと音を立てただけで、けたたましく吠えまくる。しかしノーズワークをしているときは、ジャッジ、計時係、スチュワードや見学者に吠えることをしない。それどころか、自らジャッジやボランティアの足元に近づいてにおいを取る。自分の鼻を頼りに行きたい方向へ進み、障害物を乗り越え、ハイドを見つけるというミッションに夢中になっている。
そう、イナリはノーズワークをやっているとき、すべての恐怖から解放されているのだ。「サーチ」という魔法の言葉は彼の勇気を呼び起こし、ビビリ犬からウルトラマンのようなスーパーヒーローへと変身させる。
文:五十嵐廣幸(いがらし ひろゆき)
オーストラリア在住ドッグライター。
メルボルンで「散歩をしながらのドッグトレーニング」を開催中。愛犬とSheep Herding ならぬDuck Herding(アヒル囲い)への挑戦を企んでいる。サザンオールスターズの大ファン。
ブログ;南半球 deシープドッグに育てるぞ
youtube;アリーちゃんねる

