幼少の頃の犬との思い出、今のあなたをどう作り上げている?

文:藤田りか子


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このサイトに来る方のほとんどは犬好きだと思うのだが、そういうみなさんは幼少のときにどんな思い出を犬に対して持っているだろうか?

だいぶ前の研究になるが、アメリカテキサス大学のPhilip H. Marshallら(2015) らが、子どもの頃のペットに関する思い出が、大人になったときのペットに対する態度にどう影響するかを調べている(*1)。それによると幼少時の(ペットに対する)記憶がポジティブな人は、やはり未だにペットのことが好き。一方でペットが現在それほど好きではない人は、幼少期のペットとの思い出を語るときにかなり無機質的に表現したということだ。つまり「あの子は」などという代わりに「あれは」というような「モノ」を指すときのような表現を使った。

ということは人ってかなり早い時期にペットへの感情が決められてしまうようである。さて自分の場合はどうであったかと考えてみた。

犬に関してそれほどポジティブな思い出を、私は実はあまり持っていない。そもそもうちの家庭ときたら、恥ずかしながら私が通常「最低の飼い主!」として一番に例に挙げるような飼い方をしていた。最初の犬は、私が6歳の頃来たラフ・コリー(当時、ちょうどアメリカドラマ「ラッシー」がブームであった)。しかし母は妹を出産したばかりで新しく来た犬を世話するどころではなかった。その犬は皮膚炎を患い一歳にして亡くなってしまった。ここで終わりにしておけばいいのに、さらにドーベルマンの子犬を迎えてしまったのだ。子犬を売っていたのは訓練士だったのだが、当時の訓練士は相当無責任で、

「奥さんでも飼えますよ!」

みたいなことを言ったらしい。あまりにもかっこいい見かけのため、母と父は即決した。犬は運動が好きな動物だが、ドーベルマンは輪をかけて運動が好きである。のみならず脳への刺激も相当必要だ。犬種として防衛気質も強いから環境トレーニングも念入りにしなければならない。そんな犬、私は今でも扱える自信がない。なのに無知な故にうちの両親は飼ってしまったのだ。当然ドーベルマンとの日々はかなり大変で、1年半後、父の転勤を機に子犬を売ってくれた訓練士に引き取ってもらうことになった。一つ救われたのは、母が「純血種を飼っていれば、いざというときに引き取ってもらう人を見つけやすい」と考えていたところだった。実際、そのような運びになった。ま、当時、昭和の頃だからそのような考えでもなんとかうまくいった。


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トレーニングの「ト」の字も知らない家庭に引き取られたドーベルマンに、私にとって楽しい思い出などあるはずがない。庭にでればその若犬ははしゃいで私の脚をよく咬んだ。犬からすれば単なる狩猟ごっこだが、当時は庭にでるのが恐怖でしかなかった。結局両親は「もう犬は絶対に飼わない!」というポリシーをその後、ずっと貫くこととなった。2頭目の犬、じゃじゃ馬のドーベルマンにしてもう金輪際だと思ったのだろう。

そしてここまで書きながらふと気がついた。飼っていた犬の思い出を語っているにもかかわらず、その犬を「名前」で呼びもしないし、彼とか彼女の代名詞すら使っていない自分の文章だ。「犬」とか「若犬」としてしか記してないところをみると、まさに前出の研究結果ででていたように、かなり客観的に犬をみなしているようだ。そう、家族の一員なんて感情はまるでなかった、の表れだ。

結局、幼少〜青春時代〜二十歳代を通して、犬に対してそれほど興味は持たなかった(80年代にブームになったハスキーはかっこいい犬だなぁと惚れ惚れはしていた)。それがどうした、スウェーデンに移住してから犬への関心がうんと高まった。とはいえ最初は見かけから(犬の好みの変遷については記事「年齢とともに変わる好みの犬種」を読んでみてね)、そしてその後犬の動物としての面白さがわかるようになっていった。スウェーデンに住んで犬と何かアクティビティを行うことで彼らと向き合ったり、「犬という動物とは?」について真剣に考えたりするようになったためだとも思う。さらにはそんなとき出会った図書があった。それが…、とこのまま続けたいところだが、長くなりそうだ。次回に持ち越すことにしよう。

(*1)詳しくは尾形聡子さんの記事「犬の不思議を科学する⑩人生最初のペットとの記憶は、その後の人生に影響を及ぼすか?」を参照に!

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