北欧の老犬観と「命をまっとうする」ということ

文:藤田りか子


10歳半。これがクマの最後の写真となった。この頃はもう息をするのがやっとであった。[Photo by Rikako Fujita]

獣医クリニックの奥にある蝋燭のともる小さな部屋に通された。麻酔が打たれ、クマは間も無くコンコンと眠り始める。つきそいながら「これがクマが生きている最後の瞬間」と心の中でつぶやいた。次の注射が前脚に打たれ、20 秒後ぐらい。鼓動は止まり、ある瞬間に「フッ」と命はどこかに逝ってしまった。ふかふかの犬用のマットレスに横たわっている モサモサとした体だけがそこに残された。

これで、クマは苦しみから逃れることができた。もう、ハァハァと懸命に息を吸う必要もない。そして10歳半という、レオンベルガーという超大型犬にしては長生きの犬生を遂げることができた。

筆者が住むスウェーデンでは、犬が最後に飼い主の助けによって安楽死を遂げるのは、一番普通の「死に方」である。これは、日本とはまったく異なる点だ。むしろ自然死は非常に稀ではないのだろうか。クマのように老衰が死因の犬はまだ幸せで、多くの犬は加齢による病気で体を弱らせそして安楽死によって最期を迎える。

スウェーデンにおける老犬観について述べようと思う。

決断をする

息を

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