オオカミに魅せられて、北欧へ

文と写真:田島美和

[Photo by Erik F. Brandsborg]

ノルウェーとの出会い

「オオカミの研究がしたいのか。それならばノルウェーに行くといい。」

そう言って私をノルウェーに送り出してくれた教授にまず、ここで感謝の意を示したい。

私は当時、奥日光シカ管理専門員として、戦場ヶ原湿原をシカの食害から守る柵のメンテナンスをするために、毎日ササ薮を歩き回るような仕事を住み込みでしていた。ノルウェーと聞いた時、北欧であることは知っていても、どこにあるのかまったくピンとこなかった。部屋には8年ほど前に姉がくれた、北欧土産のヘラジカのマスコットがずっと飾ってあった。それには赤い生地に白く縁取られた青い十字の国旗が縫い付けられていた。まさか自分がその国に行くことになるとは!

大学近くの山から望むグロンマ川

初めてノルウェーに降り立ったのは、2019年8月。4月からめでたく修士課程を始め、ノルウェーのオオカミの何を調べるか、試行錯誤しているところだった。オスロの街中は、ヨーロッパで見てきた街並みと、何ら変わりないように思えた。

留学先の大学へ向けて北上すると、一気に印象が変わった。針葉樹林に覆われたどこまでも続く緩やかな地形、いたるところにある湖や、ゆったり流れる広い川。北米を思わせる風景だった。家はまばらで、木造2階建てのえんじ色や白い家が多かったように思う。それから、広くて大きな空。遠くに見える空の色がとても鮮やかだったのが印象的だ。

人にとってのオオカミという存在

オオカミは物心ついた時から私の中で特別な存在だった。なぜかというと、強い悪者が好きだったからだ。しかし、物語の中の悪役オオカミから離れて、オオカミという一種の動物について調べていくうちに、オオカミと人類との深く長い関わりや、オオカミが生態系の中で担っている役割に惹かれていくようになった。オオカミは人類にとって、ときには神、ときには親友、ときには悪魔である。

ノルウェーは南北に細長いスカンジナビア半島を、スウェーデンと縦に割るようにして横たわっている。その半島の付け根は、北のほうでユーラシア大陸と隣接しており、そこでロシアとフィンランドの2カ国と国境を隔てている。

オオカミは元々人類に次いで生息域が広い哺乳類だった。というのも、オオカミは北半球のほとんどの大陸に生息していたからだ。人類が狩猟採集生活をしている間、オオカミとヒトは生態系の中で同じニッチにいた。同じ大型草食動物を食べ、家族単位の群れで暮らす。両者はまったく異なる動物種でありながら、とても似ていたのだ。だからこそ、今日も人類の大親友であるイヌになれたのだろう。人類が家畜に依存するようになると、オオカミの立場は一転した。大切な家畜を襲う、悪魔となったのだ。1900年代は、世界中でオオカミが駆逐された時代でもある。

これらは主に欧米だけ…の話ではない。日本列島にもかつて2種類のオオカミがいた。一種は大陸のオオカミの亜種とされる、エゾオオカミ。名前の通り、北海道全域に生息していた。そして、もう一種は日本の固有種とされるニホンオオカミが本州以南に生息していたのだ。ニホンオオカミは1905年、エゾオオカミは1890年代に絶滅が発表された。

実はノルウェーとスウェーデンもオオカミを絶滅させた国に含まれる。スカンジナビア半島のオオカミは1960年代に絶滅した。羊牧と狩猟が盛んなスカンジナビア半島では、オオカミはヒツジを襲う害獣であり、狩猟のゲーム(獲物)として人気のある野生のヘラジカ、ノロジカ、アカシカ、そして半野生のトナカイを食べるライバルとして見なされていた。のみならず狩猟時の大切な相棒である猟犬を襲う憎むべき敵でもあった。また、オオカミはオオヤマネコ、クズリ、ヒグマと並ぶ、猟師憧れの大型肉食獣ゲームであった。その絶滅に拍車がかかったのは言うまでもない。

北欧のオオカミの今

スカンジナビアのオオカミが少なくなり、絶滅してからは、羊牧業に平穏が訪れた。人々は少ない手間で育てられる品種を飼うようになった。従来のヒツジは群れる習性があり、病気が流行ると全滅しやすかった。しかし、後から飼い始めた品種は、群れることがなく、しかも足腰がより丈夫なので、春から秋にかけて野山に自由に放牧させ、良い草を食べさせることができるという。現在、ヒツジは副業で飼っている人がほとんどで、ヒツジの世話に費やす時間は以前に比べてかなり軽減された。誰もいない大自然の中を歩いている、と思っていたら突然真っ白な動物に遭遇することが多々あった。

深い森の中で会ったヒツジの親子

また、猟法にも変化があった。縄張り意識の強いオオカミは森の中でイヌを見つけると、縄張りを守るためにイヌを殺すことがあった。そのため、ノルウェーではイヌがオオカミに襲われるのを防ぐために、リードをつけて狩猟を行うのが普通であったが、オオカミがいなくなってからはリードを使わなくなった。つまり、オオカミの存在に対応していたノルウェー人の生活スタイルは、失われてしまったのだ2)

ところが1980年代、ロシアとフィンランドとの国境を越えて、複数頭のオオカミがノルウェーに遥々自力でやってきた。これを引き金に、スカンジナビアのオオカミの個体数は徐々に回復していった。しかし、近親交配による遺伝子の劣化が懸念されたため、研究者たちはロシアから捕獲してきて放すという活動も行ってきた。その甲斐もあり、現在はスカンジナビア全体で約450頭(2020年3月)にまで増加、そのうち8割以上がスウェーデン、約50頭がスウェーデンとノルウェーの国境を行き来しており、わずか56頭がノルウェー国内で観察されている3)

図 2018年のスカンジナビア半島のオオカミの分布1)

スウェーデンに大きくオオカミの個体数が偏っているのはなぜだろうか。ノルウェーには前述した通り、広大な面積の敷地がヒツジの放牧エリアとなっており、オオカミの入る隙もない。また、スウェーデンはノルウェーと違ってオオカミを絶滅危惧種として扱うEUに加盟しているため、オオカミを保護する政策をとっている。ノルウェーでは場所によっては40年ものオオカミ不在の地域があり、それに慣れてしまった人々がオオカミを煙たがった。ノルウェーが指定している国内のオオカミの繁殖保護地域は国土のわずか約5%で、この範囲から出ようものなら撃ち殺してやるぞと、狩猟者たちは待ち構えている状態だ。もちろん、ノルウェーではオオカミを合法的に捕獲できる時期と頭数が毎年決められているが、それに反して捕殺する密猟が後を絶たない。

反オオカミ派であることを掲げるステッカー。上部の青いステッカーには「ノルウェーの自然はオオカミなしで素晴らしい」と書かれている。

一方、都市部の人たちが多く参加しているオオカミ保護団体がノルウェーに存在する。つまり、実際にオオカミから被害を受けている、地方で狩猟をしたりヒツジを飼ったりしている人たちが反オオカミ派、都会に暮らしていてオオカミとなんら接触のない人たちがオオカミ保護派であり、人々のオオカミに対する感情は二分されている。オスロでは1万人を超える規模のデモが開催されることもある。野生動物と人間の軋轢は、掘り下げたら必ず人間同士の争いなのだ。

そして日本について思うこと

日本ではどうだろう。日本では比較的、野生動物に対する都市部の人からの声は小さいように感じる。日本の大型哺乳類は?と聞かれて、パッと答えられる日本の都市部の人たちはどのくらいいるだろうか。日本全国で毎年ものすごい数のツキノワグマやシカ、イノシシが駆除されていることを、どのくらいの人が知っているだろう。日本列島にオオカミがいたこと、そして絶滅したことを知る人は、どのくらいなのだろう。私の感覚では、日本人はノルウェー人と比べると、はるかに自然に対する関心が薄い。都市部の人たちにとっては、たまに行く娯楽の場所という認識しかないのではないだろうか。自然がないと生きていけないなどと、一時も考えたことがないのではないだろうか。

日本と欧米との大きな違いは、日本人は日本の生態系の中で大きな役割を担っていたということだ。我が国の動植物の中には、人間にしか作り出せない、里山や田園といった環境でしか生きられない種がたくさんいる。そして、かつてオオカミと共にシカやイノシシの個体数をコントロールしていたのも日本人だ。それが今はどうだろう。狩猟者の高齢化と減少、里山や田園は放置されて荒廃し、野生動物の楽園となっている。「野生動物の楽園」とは聞こえがいいが、今やシカは高密度となって手に負えない状況で、場所によっては森が消えるなど、植生の衰退をはじめ生物多様性の低下が見られている。放置され、植生の衰退した山は保水力を失い、土砂崩れや洪水などの災害と関係している可能性がある。

ノルウェーも日本も同じように美しく広大な自然を保有している。日本のようにこれだけの人口を抱えながらも、未だに国土の7割近くが森林である国は珍しいだろう。ただ、それを上手に利用しているのはどちらといえば、私はノルウェーだと即答できる。だが日本の従来の自然との接し方を見ると、日本人の方がより生態系に融合しながら生きていたようにも思う。戦後、日本は第三次産業の発展に専念してきたが、今後は自国の手入れに専念し、食料自給率の向上に努めるべきではないだろうか。

【参考文献・書籍】

1) Recio, M. R., Zimmermann, B., Wikenros, C., Zetterberg, A., Wabakken, P., Sand, H. (2018) Integrated spatially-explicit models predict pervasive risks to recolonizing wolves in Scandinavia from human-driven mortality. Biological Conservation 226, 111-119.

2) Skogen K., Krange O., Figari, H. (2017) Wolf Conflicts: a sociological Study. Berghahn Books.

3) Wabakken, P., Svensson, L., Maartmann, E., Nordli, K., Flagstad, Ø., Åkesson, M. (2020) Bestandsovervåking av ulv vinteren 2019-2020. Rovdata og Viltskadecenter, SLU.

文:田島美和 (たじま みわ)

オオカミのことが頭から離れなくなってかれこれ20年。日本では見られなくなってしまった、オオカミという動物の真の生態、そして人とオオカミの関係を探るべく、アメリカ、ヨーロッパ、インド、そして北欧へと飛び回る。現在は北欧のオオカミをテーマに修士論文を執筆中。

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