文:尾形聡子
[photo by Jon Wick] えっ?ハスキーが痛がり…!?
人が持つ感覚の中で、もしかしたら痛みほど主観的な感覚は他にないかもしれません。胸が痛いというような感情を表現する痛みから、物理的・化学的な刺激を受けて感じる痛みまで、個人レベルでの感じ方はさまざま。つまりいずれの痛みであっても客観的に評価するのはとても難しいものです。人の場合、個人個人で痛みレベルが違うのは遺伝的要因が大きく、プラス、心理的要因と環境的要因とが影響しているためだと考えられています。
一般に、動物は痛みを感じることで外界からの侵害を回避し身を守っています。その一方で、自然界においては、虚弱だったり幼かったり、怪我をしているというような肉体的な弱みを見せると捕食される可能性が高まるため、たとえ怪我をしていても痛みに対して鈍感、もしくは痛みを表に出さないほうが生き残れる可能性が高くなるとも考えられています。もちろんオオカミを祖先に持つ犬にもそのような側面があると考えられますので、人のようにはたやすく痛みを見せず、むしろ隠しているのではないかと感じることもあるかもしれません。
しかし、犬も人と同じように外的な痛みや精神的な恐怖などの「苦痛を感じる」動物であることは皆さんよくご存じのはず。精神的な苦痛もさることながら、外的刺激による痛みも人のように個体差があると考えられています。とくに、外的刺激による痛みの感じ方は客観的に判断しにくく、だからといって、故意に犬に痛みを与えて痛がり方を測定するような研究をするのは倫理上不可能です。
「でもなあ、犬種によって遺伝的に怖がり傾向が見られるように、痛がりレベルにも違いがあるように思うのだけど…」
とうっすら感じている方も多いのではないでしょうか。
でもそれは犬種というものに対する先入観があり、バイアスのかかった見方をしているせいなのかも?たとえば、
「闘犬種は痛みを感じにくいから闘えるのでは? 」
「怖がりな犬種ほど痛みに対しても怖がるだろうから、痛がりなのでは?」
「大きい犬の方が頑丈そうだから、小型犬の方が痛がりなのでは?」
などと思ったりするものですが、これはあくまでも一般の人たちが想像すること。実際に医療現場で痛みをともなう処置をしてきている獣医さんでは、それとは違う印象を持っているかもしれません。
そんな疑問に答えてくれるべく、アメリカのノースカロライナ州立大学とデューク大学の研究者らが一般市民と獣医師に対して犬種と痛み感受性についてのオンラインアンケート調査を行い、非常に興味深い結果を『PLoS One』に発表しています。
[photo by AllAboutDogs.Net] ええっ?打たれ強い犬種といわれているシェパードも…!?
28犬種を11のスケールで痛み感受性を評価
研究者らは2種類のアンケート様式を作成。そこにはさまざまなサイズ、体の形、被毛のタイプが含まれるよう28犬種(22犬種は両アンケートに共通、6犬種は毛色の違うタイプのもの)が選択されました。アンケートに載せる犬の写真はすべて同じ方向をむいたもので統一され、体の大きさがわかるようにスケールが加えられていました(犬種の並び順はランダム)。そして各犬種の痛みについて、「まったく敏感でない」から「想像できるなかでもっとも敏感」までを0~100にわたる11のスケールで評価してくださいというものでした。それ以外にも回答者の年齢や性別などの情報や、獣医師は卒業年などもあわせて回答が求められました。一般市民からの1,053の回答と、獣医師からの1,078の回答が収集され、データ解析が行われました。
一般市民と獣医師の評価の違いは?
ここで皆さんが興味を持つのは獣医師の回答ではないでしょうか。なぜなら最前線でさまざまな犬の診察を経験してきているからです。逆に、一般市民の評価はイメージに頼ったものになりそうだとも想像するでしょう。一般の人々はそれほど多くの犬種と接することもなければ、その犬が痛がる場面に遭遇することもめったにないものです。
まずは以下に犬種ごとの痛み感受性に対する評価を比較した図を示します。獣医師の評価は一般市民と比べてばらつきが低い、つまり評価が一致している傾向にありました。評価の一致性についても予想通りのものでした。
[image from PLoS One Fig1]
左が一般市民、右が獣医師のグラフ。図の下にある数値は痛みスケール。対象となった28犬種は図の上から、マルチーズ、チワワ、ポメラニアン、ダックスフンド、ジャック・ラッセル・テリア、キャバリア、パグ、ボストン・テリア、シュナウザー、ウィペット、ブルドッグ、ボーダー・コリー、チャウ・チャウ、ゴールデン・レトリーバー、サモエド、グレイハウンド、ゴードン・セター、ローデシアン・リッジバック、ラブラドール・レトリーバー、ワイマラナー、ハスキー、ピットブル、ボクサー、グレート・デーン、ジャーマン・シェパード、マスティフ、ロットワイラー、ドーベルマン。
ご覧いただけば、一般市民(左)と獣医師(右)の犬種別の犬の痛み感受性の評価に違いがあるのが一目瞭然です。とりわけ大きな違いがあらわれた犬種として、獣医師の方が感受性が高いと評価をしていたのがハスキーとジャーマン・シェパード。同様に獣医師が感受性が低いと評価していたのがラブとゴールデン、ジャック・ラッセルです。また、マスティフやピットブルなどの番犬や闘犬犬種に関してもおしなべて獣医師は低い評価をしています。
犬種によって痛みの感受性が違うと感じていたのは一般市民で94%、獣医師で98.3%、そして犬種によって痛みに対する反応が違うと感じていると感じていたのは一般市民で95%、獣医師では100%でした。
また、犬種によって痛み感受性が違うことに何が影響をしているのかという調査から、獣医師はその違いは本質的に遺伝的なものであり、犬種の特性でもある気質が関与していると考えていることが分かりました。一方で一般市民は主に体の大きさが感受性評価の最大の要因となっていて(体が小さいほど感受性が高く、大きいほど低い)、皮膚の厚さや発育環境にも影響されるとの考えがあることが示されました(個人的には皮膚の厚さだけでなく、たるみも要因になると思います)。そして、獣医師では大きな要因と考えられていた気質の影響に関しては小さいと考える傾向がみられました。
[photo by Torrey Wiley] 獣医師評価のもっとも痛がり犬種はチワワ。さもありなん?
体が大きいからといって痛みに鈍感なわけではなさそう
今回の研究でとても興味深かったのが2点、ひとつは一般の人々は、犬種の外観(主に体の大きさ)や犬種グループの特徴に基づき、バイアスのかかったイメージで痛み感受性を評価していたということです。一緒に暮らす犬であっても「痛みを感じる場面」に遭遇する機会は少ないはずですから、持ち得る情報の中で判断するとすればそれは致し方ないことです。ただしそれは、イメージに基づいた評価を無意識のうちにしているため、犬が痛みを感じているのをくみ取れない、痛くないのに痛みがあると勘違いしてしまうという可能性があることでもあります。
もうひとつは獣医師の回答で特徴的だった、ハスキーとジャーマン・シェパード(感受性高)、ラブとゴールデン、ジャック・ラッセル(感受性低)です。この部分には獣医師も評価要因にあげていたように、遺伝的な気質が根底にあるのではないかと強く感じます。犬種特有の遺伝的な気質傾向があるからです。たとえばラブやゴールデンがよき家庭犬として好まれるのはその気質にもあります。細かなことは気にしない穏やかな気質がつくられていく一方で、痛みに対する感受性も弱まったのかもしれません。さらに、ワーキング系のラインなら、多少の痛みをいちいち気にしていたら作業犬としての活躍ができなくなってしまうかもしれません。そういう犬が繁殖ラインから外されていけば、おのずと痛み感受性の低い犬が残されていくことになるでしょう。また、ピットブルの痛み感受性がもっとも評価が低かったのもそれと同様に、闘犬として痛がりであることはマイナス要因になるため、遺伝的に痛がりではない犬が繁殖に使われていたためだと考えられるでしょう。ジャックについては、一般市民はその体の小ささから単純に痛み感受性が高いだろうとイメージしてしまったのだと思います。
シェパードやハスキーに関しては、なぜ痛み感受性が高いのかについて考えてみても、この2犬種だからこそである理由が思い浮かばないのが正直なところです。以前、人へのアイコンタクトの取り方の違いを犬種で比較した研究を紹介しましたが、このあたりから理由の糸口が何かつかめるのかもしれませんけれど。
実際のところ、痛みはその当犬でなければ分からないことではありますが、どうやらやはり犬種差があるといえそうです。そして痛みレベルには人と同じように遺伝的要因だけでなく、心理的要因そして環境的要因もかかわっているだろうと考えるのが妥当ではないかと思います。遺伝的要素があるとしても、「このくらいの痛みならへっちゃら!」と犬がやり過ごすことができるよう、楽観的になれる楽しい生活を送っていきたいものですね。
【参考文献】
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