文:尾形聡子
[photo by flowcomm]
実際のものとは違うように見えたり聞こえたりすることを錯覚といいますが、それは脳が情報を誤って認識してしまうために起きる現象です。錯覚の中でも、いわゆる目の錯覚といわれる錯視には形の錯視や色の錯視、明るさの錯視などがありますが、形の錯覚のひとつにデルブーフ錯視と呼ばれるものがあります。
19世紀にベルギーの哲学者、ジョセフ・デルブーフにより考案されたデルブーフ錯視とは、ある円の周りを大きな円で囲むか小さな円で囲むかにより同じ円でも大きさが異なって見える錯覚のことをいいます。上のイラストを見ると、みなさん、右の方の黒い丸が大きく見えるのではないでしょうか。
イタリアのパドヴァ大学の研究者らはこれを犬の食餌と皿に応用し、犬がデルブーフ錯視を感じるかどうかを調べ、その結果を2017年に『Animal Cognition』に発表しました。
チンパンジーは錯覚を、はたして犬は?
実験は、2014年に発表されたチンパンジーでの研究を参考にして行われました。その実験ではまず、同じサイズのお皿の上に量の異なるフードを置き、チンパンジーがフードの量の多さでいずれの皿を選択するかをみます。次に、同じ量のフードを大きさの異なる皿の上に載せて選択させます。どちらの皿を選択するかにより、デルブーフ錯視を知覚しているかどうかを判断するというものです。最初のテストでフード量の多い方の皿を選び、次のテストで小さな皿の方を選ぶならば、そのチンパンジーはデルブーフ錯視を感じている可能性があると考えられます。ちなみにこれまでの研究から、チンパンジー、オマキザル、アカゲザルで、最初のテストでは量の多い皿を選び、次のテストでは小さい皿を選んだという結果が示されています。
今回の犬での研究では食べ物には直系1センチ程度の犬用ビスケットが使用され、さまざまな犬種13頭(家庭犬、シェルター犬)を対象にテストが行われました。すると、最初の選択実験では犬もチンパンジーと同じように量の多い皿を選択していたのですが、続いての、フードは同量で皿の大きさが異なる実験では、犬は皿の大きさは関係なく選択していた結果となりました。
このことから研究者らは、人やサルなどとは異なり、犬はデルブーフ錯視には影響されにくいことを示唆するものだとしています。
ミュラー・リヤー錯視についての検証では?
デルブーフ錯視の研究が発表された翌年の2018年、今度はイギリスのリンカーン大学の研究者らが別の目の錯覚、ミュラー・リヤー錯視についての実験を行いました。
ミュラー・リヤー錯視はドイツの心理学者であるミュラー・リヤーによって、デルブーフ錯視と同じく19世紀に発表された錯視です。同じ長さの線の両端についている矢羽が内向きか、それとも外向きかによって、線の長さが違って見えるというものです。こちらの錯視もみなさん一度は目にしたことがあるでしょう。
ミューラー・リヤー錯視、ウィキペディアより。
『Learning & Behavior』に発表された研究によれば、実験には1~9歳のさまざまな犬種7頭が参加。タッチスクリーンに長さの違う線(矢羽無し)が映し出され、長い線もしくは短い線いずれかを鼻で選択できるようトレーニングされました(実験1)。80%まで正解率が上がったのち、実験2へ。
実験2では4種類の線の長さ、太さが2cm のイメージを用意してテスト。その結果、64.3%が矢羽が内側に向いたものを短く、外側に向いたものを長いと選択しており、これは人と同じように錯覚していることを示唆するものと考えられました。
【image from Learning & Behavior】実際に実験で使われたイメージ図。
最後に検証実験として実験3が行われました。線の長さや太さ、矢羽の向き、図形間の距離などを変えてテストをしたところ、矢羽の向きが犬の選択に影響をしているという統計的有意差は見られませんでした。
結論として、研究者らは、実験1から犬は線そのものの長さを識別することができ、実験2より人と同じようにミュラー・リヤー錯視を感知していることを示唆すると考えられるが、実験3で検証できなかったことから、実際には線そのものの長さではなく全体のサイズを見て選別していた可能性が高いことが示されたとしています。
錯視はさまざまな動物で起きているが、種によって異なるもの
錯視については霊長類をはじめ、鳥類や魚類などさまざまな生物種で研究が行われています。人と同じように錯視の影響を受けやすいのは霊長類やハトであることが示されているのは、視覚刺激に対する知覚処理の重要性が似ているためではないかと考えられています。
近年の認知研究では、犬は人と似通った認知能力を持っていることを示唆するものが多く見られます。しかしそもそも人と犬は違う生物種であり、錯視のように異なる知覚レベルを持っていることをついつい忘れがちかもしれません。
嗅覚にしても視覚にしても、人と犬とでは五感の処理に違いがあるということをあらためて感じさせられます。そして、そのような側面からも犬という生き物への理解を深めていくことが大切ではないかと思うのです。
(本記事はdog actuallyにて2017年1月12日に初出したものを修正して公開しています)
【参考文献】
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