文と写真:アルシャー京子
イエイヌの原型を留めるプリミティブ・ドッグのディンゴ。この形から犬はヒトの手によって多様に変化を遂げた。
かれこれ1万年以上にもわたってヒトは動物を家畜化することを試み、そして多くの成功を収めてきた。そのプロセスは現在でもまだ終りではない。
かのチャールズ・ダーウィンの言葉を借りるところの「人類による最大の生物学的実験」であるこの動物の改良という行為は、動物に多様性をもたらし、原種の姿を大きく変え、さまざまな品種を生み出した。
初期の頃はそれでも人間にとっていかに快適かつ有効に使える動物を作るかが目的とされていたのが、時代が流れ誰もが裕福さを感じるようになったこの100年あまりで家畜の改良目的は「愛玩目的」が主流になった。特に犬では。
そもそも野生動物の体の形というものは、その動物が置かれた自然条件に適応するように変化したものであり、その動物がその環境内で生きてゆくために最適な機能を備えている。
しかし、この野生動物が家畜化され、ヒトが望む動物個体の特徴をセレクトして繁殖することで、それまで自然に適応していた体は見た目に明らかな体形や体の大きさなどが変化させられたのと同時に、一見しただけでは分からない内臓と内蔵機能にまで変化は及んだ。
そして犬は改良された家畜の中でも極めて特殊に、しかも一部の犬種は「間違った方向」に繁殖が進められた動物でもある。愛玩目的で外見的特徴が優先されて繁殖されてきた犬種では、体の組織変化に伴い強制的に機能が影響を受け、とうとう普通の生活に支障をきたすほどの結果に行き着いてしまったのだ。
矮小化による影響
オオカミから派生したイエイヌは体格の極端な矮小化によって骨格に重篤な問題を抱えるようになった。小型の愛玩犬種はヒトの子供に似た丸い頭部(ネオテニー傾向)を求められ、本来細長いはずの頭蓋骨が小さく丸く改良されたことで頭蓋骨の厚みの薄化そして成犬になっても泉門(頭蓋骨頭頂部)が閉じない頭蓋裂孔、水頭症を引き起こす傾向を示すようになった。これらにより犬の脳は頭蓋骨による充分な保護を受けられず、小さな衝撃を受けても直接脳へ被害が及び、行動障害を起こしたりときには死に至る。
頭蓋裂孔のある成犬チワワの頭蓋骨。(「Vom Wolf zum Rassehund」より、アルバート・ハイム財団蔵ヌスバウマー撮影)
これらの先天性疾患は超小型犬種であるチワワやヨークシャー・テリアなどに多く見られ、犬が小型化すればするほど疾患の発症率は高くなってゆく。
水頭症は超小型犬種だけでなくパグやマルチーズなどでも多く見られ、それに伴い脳髄膜炎に罹りやすくなる。ペキニーズでは頭蓋骨の形状変化により後頭部と第一頚椎の間からの脳の逸脱(しかし結合組織によりこぼれ落ちるのがギリギリ防がれている状態)までも見られる。
丸い頭蓋骨といえば短吻犬種では本来長いはずの鼻面と顎が極端に短く改良されたことで歯が並びきらず咬合がずれ、また乳歯が抜けきらなかったり、そして短い鼻腔はラジエーター機能を失い体温調節を困難にした。
また丸い頭蓋骨は難産の原因でもあり、頭蓋骨だけではない、矮小化によってその他の骨格もやはり脆弱であることはけっして稀などではないのだ。
超小型犬種ではリードを引くことによる負担が首輪を伝って咽頭部と気管に響き、脆弱な軟骨が潰れて呼吸困難の原因となる。
巨大化による影響
成長ホルモンの過剰分泌により犬の体は自然な状態よりも大きくなり、超大型犬ではいずれも10年以下と短い平均寿命を持つ。体が大きくなったことで出産頭数は増え、しかし超大型犬種の多くはオオカミに比べ頭の形が丸く四角く変化し、そのため難産も出産時の死亡率も比較的高い。
一年の間に猛スピードで成長するため、同時に先天性の心機能障害や関節形成不全・X脚といった骨格障害を多く伴う。それだけではない、これらの障害は近代的な「栄養満点」のフードにより、さらに助長される傾向へと陥り、死因には骨腫瘍や胃捻転などが多く挙げられる。
こうしてみるとやはりヒトがもたらした改良の弊害というものを咎められずにはいられない。見た目の興味だけのために犬を改良し、その結果犬としての健全な生活に障害あるいは痛みと苦しみを与え、行動障害の危険性を高めるような繁殖のことを「虐待繁殖」という。
犬だけがその対象ではない、牛や豚・鶏なども産業効率を求めて極端な改良が進められる現在において、どこかで倫理の一線を引かなくてはならないのだ。
こういった声を反映し、この「虐待繁殖」という行為をドイツでは動物保護法第11b条で禁止している。
第11b条の原文は長くややこしいので省略して紹介すると「個体自身あるいはその子孫が動物個体として本来持ち合わせる自然行動を表現するにあたり体の一部または器官を欠いたり機能不全であったり、それにより傷み・苦しみ・障害を持つことが充分予想されるような脊椎動物の繁殖あるいはバイオ技術・遺伝子操作を禁ずる」ということだ。これでも充分ややこしく聞こえる。
この法律では、いわゆる「改良」により過去に障害事例のあるものだけでなく、将来的に動物に苦しみを伴う行動障害が現れる恐れが充分あるもの、同類に対して傷み・苦しみ・障害を与える懸念があるものなど、科学的な証明がまだないものでも、それが充分に予想される段階で危険を予知してやめろ、ということを言っているのだ。
お金よりも「犬の生きる状態」が優先されるべき、と私も思う。
次回はどのような犬の特徴が虐待繁殖の対象となるかについてお話しよう。
(本記事はdog actuallyにて2010年8月31日に初出したものを一部修正して公開しています)
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