読書の秋到来!おすすめの一冊『逃避行』

文:尾形聡子


[photo by Nenad Stojkovic]

直木賞受賞作家の篠田節子氏の代表作といえばやはり「女たちのジハード」だろう。しかし久しぶりに手に取ろうと思ったのは「逃避行」という作品だ。ある事件をきっかけに、専業主婦である50歳の妙子が9歳のゴールデン・レトリーバーのポポと一緒に家族を捨てて逃亡する話である。この本はとても心に残っており、知る人ぞ知る隠れた名作なのではないかとずっと思っている。とりわけ犬飼いにとって。そして女性にとって。

初版は2003年。かれこれ20年ほど前の作品である。今回で読むのは5回目くらいになるかもしれないが、歳を重ねていくにつれ、書かれている内容の刺さる部分が違い、自らの感じ方が変化しているのがわかる。日常生活における細かなテーマがあちこちに盛り込まれているためだろう。毎日せっせと主婦業をこなしながらも離れていく夫や娘たちとの距離、更年期や自らが抱える病気への消えない不安、不透明な老後の生活など、ある意味一般的ともいえる生活を送る中で、愛犬が起こしてしまった咬傷死亡事故によって彼女の人生が急変する。物語には関係ないが、主人公の姉が住む場所が私の暮らす地元下町の地名だったこともあり、それだけでなんとなくエコ贔屓したくなる作品でもある。

ペットショップ問題も登場する。ポポは郊外に移り住んだ妙子一家がペットショップから迎えた犬だ。歯並びが悪くてブサイクなポポは何度か店に足を運ぶも売れ残っており、翌日には殺処分されるという。不細工だから嫌だ、店頭に並んだ新しい小さな子犬の方がいいという娘の意見を押し切って、妙子は半ば反射的に生後6ヶ月になろうとするポポを購入したのだった。それから9年。いつの間にか妙子が心から信頼できるのは愛犬のポポだけになっていた。

いつしか隣の子どものポポへのいたずらが始まり、子どもが不登校になってからはヒートアップ。ポポは子どもの姿を見るだけでも怯えるように。そして事件の日、子どもは癇癪玉をポポに投げつけ鳴らしてしまう。雷や大きな音に怯える傾向があったポポはパニックに陥り、惨劇が起こってしまったのだ。

この犬が大きな図体をして、雷やオートバイの爆音など大きな音に極端に怯えることを、彼はよく知っていて、以前にも鼻先でブリキ缶を鳴らして驚かせて笑っていた。しかし怯えが高じると、パニックに陥り暴れ始めることまでは、子供のことで知らなかったのだろう。(本文より)

世間体を気にしてポポを保健所に連れて行こうとする家族を捨て、妙子はポポを連れ自転車に乗って逃避行の旅に出る。流れ流れて辿り着いたところは世の中から断絶されている、かつて流行った田舎暮らしの成れの果てとなった一角だった。ここにもまた、マスコミによって過度に夢みがちにされた田舎暮らしと、実際に暮らし始めてみての現実との乖離や(今はまたコロナで田舎暮らしが流行り始めているけれど)、現代の姥捨て山的な痕跡までもが描かれている。

妙子が「鬼の棲家」と呼んだその場所で、彼女は自給自足のために畑を耕し始める。その一方でポポは恐怖からの攻撃ではなく、自らが食べ物を得るために「狩り」の本能をあらわすようになっていった。

都会の室内犬がたくましい田舎の犬になったのではない、長い交配をへて、人手によって攻撃の芽を刈り取られ、従順な性格に作りかえられたブロンドの犬は、今、夜になるとドアの鍵を鼻で回して開け外に出て狩りをするようになった。同時に「マテ」も「フセ」も「トマレ」もできない犬になった。(本文より)

野性化していくポポにおぞましさを感じながらも、妙子はポポがポポなりに自給自足を目指し始めたかのような姿を受け入れるようになっていく。ポポに施した去勢手術についても思いを巡らせるなど、郊外の一軒家での暮らしとは異なる環境に身を置いたことで「犬」という生き物に関して真摯に向き合ったからなのかもしれず、彼らの関係性も変わっていった。そんな中、突如ポポには老いが…。

人生何が起こるかわからない。

長年専業主婦として生活していた社会というフィルターにかけられた自分ではなく、逡巡しながらも本当の自分自身と向き合い、自己肯定感や自己効力感を身につけていく妙子の「生きる」姿勢がまさに豹変していく。

生きるとは何か?幸せとは何か?

日常の一瞬一瞬が、宝石のように貴重なものに感じられる。(本文より)

妙子がこのようにハッキリと感じるようになったのは、ひとりきりではなく、ポポと一緒に逃げてきたからこそだと思う。いろんなテーマが詰め込まれているこの一冊を読めば、それぞれに思うことがあるはずだ。世の中の不条理さに落胆しながらも、人の温かさがまったく失われたわけではないことに。そして愛犬との「今」が何より幸せだということにも。