もし愛犬の目が見えなくなっても、散歩に行けると思いますか?

文と写真:尾形聡子

つい最近、たまに道で会っていた柴犬の目がほとんど見えなくなったという話を散歩友だちから聞いた。その柴犬は5歳くらいで片目に白内障を発症、そして手術。その後、同じ目に緑内障も発症し、結局眼球摘出に至った。さらにもう片方の目も白内障にかかり、今は視力こそ完全に失ってはいないが、ほとんど見えない状態になっているという。

「いつも自由に歩かせていたから、その子、目がほとんど見えなくなって歩けなくなっちゃったみたい」

友だちはそう言った。

「いざという時のためにも、せめて“横について歩く”くらいのことはできていないとね。その子は“つけ”の練習もまったくしていなかったみたいだから」

とも。

この話を聞いたとき、先日の藤田りか子さんの記事『オス犬のマーキング管理とインパルス・コントロール』の中に出てきた『犬との協調関係』という言葉がパッと頭に浮かんだ。柴犬とその飼い主さんは、果たして協調関係にあったのだろうか?と。

散歩中、犬が自由ににおいをとりながら歩く時間は必要だ。だが、普段まったく犬を横につけて歩くこともせず、そのようなトレーニングもしてこなかったのだとしたら。犬と飼い主とのコミュニケーションツールのひとつであるトレーニングを上手に生活の中に取り入れていけば、そこでの交流を通じた協調関係が両者の間に育まれていく。それをまったくやらずにきたのであれば、その犬は目が見えていたときも、心の底から安心して楽しめる散歩ができていなかったのかもしれない、とすら思ってしまったのだ。

犬にとって飼い主は、子どもが親に寄せるような“安全なよりどころ(secure base effect)”となる存在であるべきだし、実際にそれと似た信頼感情を犬は飼い主に寄せることもわかっている。けれども犬のそのような感情に甘んじてしまい、飼い主が犬との協調関係をより深めていこうという努力を怠ってしまえば、飼い主と一緒にいることへの安心感も深まることはないと思う。犬も感情のある生き物だ。ただ一緒に暮らし、毎日散歩を続けているだけでは、犬と飼い主の間には確固たる協調関係そして安心感が培われることはないだろう。

犬が自信をもって行動するには、飼い主が犬にとって信頼できる安全なよりどころであることが重要だ。先にのべた柴犬は目が見えなくなって歩くことができなくなった。それは、飼い主と一緒にいればたとえ目が見えなくても安心して散歩ができる、という思考につながらなかったためではないだろうか。

「大きい犬はちゃんとトレーニングしないとね」

散歩をしていてよく言われることのひとつだ。大型犬はトレーニングが必要だが、小型犬はトレーニングしなくてもいいと暗に示しているともとれてしまう。しかしトレーニングの必要性は犬の体の大きさによるものではないと思う。どんなサイズの犬でも、やはりある程度のトレーニングは必要だ。

そして、犬はにおいの世界の生き物とは言われるものの、目が見えなくなったからといって鼻がきけばいい、という問題でもない。犬だって、五感のひとつを失ってしまえばパニックになるだろう。自分がどういう病状にいるのか、どう理解しているのかもわからない。けれど、そのようなパニックがなるべく早くにおさまり、ある程度の生活の質を保ったまま暮らしてけるようにするためには、それまでに培われてきた飼い主と犬との関係性が大きくものをいうと思う。

たとえ目が見えなくなり、においの世界だけになったとしても、それまで持っていた好奇心を失わずに生きていけるんだという自信を犬に持ってもらうために。

これを読んでくださっている皆さんには、もし愛犬の目が見えなくなっても、それなりに愛犬が安心して楽しく散歩できるような関係性にあって欲しいと願っている。

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