自由に生きるバリ島の犬が家庭犬になると、性格にどんな変化が起こるのか?

文:尾形聡子

[photo by Marco Adda]
インドネシアはバリ島に古くから自由に暮す犬、バリ犬。

東南アジアやインド、アフリカなどの町や村には人に飼われることなく自由気ままに暮らす犬たちがいます。自由に歩きまわる犬(free-ranging dogs)とかヴィレッジ・ドッグ(village dogs)ストリート・ドッグ(street dogs)などと呼ばれる犬たちです。野生化した犬(以下、野犬)は自由に歩き回る犬(以下、フリーレンジ犬)ではあるのですが、狭義の意味ではそれとは異なり、人が暮す街中でブラブラしたり昼寝したりするようなことはなく、人からのコンタクトを継続的に強く避けるという特徴があります。いずれも過去に一度は家畜化されているものの、特定の人に飼育されていないという共通点もあります。

バリ犬とは?

インドネシアのバリ島には、何千年にもわたってフリーレンジ犬が暮らしてきました。いわゆる土着の犬ともいえるこれらの犬たちはバリ犬(Bali street dogs)と呼ばれています。バリ島はその昔大陸とつながっていましたが、海面上昇に伴い多くの土地が水没し、およそ1万年前に島になったという歴史があります。

その後、地理的に隔離されたバリ島に訪れる人はそう多くなく、島に暮らす犬たちは自由に移動し、自由に繁殖を行い、バリ犬として独自の種を確立してきました。長年バリ犬たちは人の出す残飯をあさることで暮らしてきましたが、それを人がとりたてて排除することもなく人々の暮らしに溶け込んでいました。

しかしこの10年ほどでバリ犬の状況が変化してきました。大幅な頭数減少です。2005年~2008年にかけては60〜80万頭と推定されていたものの、2008年にバリ島周辺で狂犬病が流行したため大量に犬が虐殺され、現在ではその数は15~16万頭と推定されています。

バリ犬は自由気ままに暮らしていますが野犬とは異なり、必ずしも病気を持っているとは限らず、また、人と交流をすることもできます。そのため、西洋からバリ島に移住した外国人がバリ犬を家庭犬として迎え入れて一緒に暮らす状況が増加しているそうです。つまり、それまでの自由気ままな生活スタイルではなくなってしまった犬が増えているということです。

人による選択繁殖を受けず、あくまで自然繁殖をしてきたバリ犬は、ある意味、犬が家畜化された初期の状態とも近いと考えられています。犬種別に気質や性格を調べるといった研究は行われていますが、島という隔離された中での自由繁殖だったため、ある程度”種”として確立されてきたフリーレンジ犬の性格の調査を行うことのできる環境はそもそも世界的にもあまりなく、そういう面からもバリ犬は貴重な存在だと考えられています。

さらには、自由気ままに暮らすバリ犬と、現在は家庭犬として生活環境を変えて暮らすことになったバリ犬との間には、性格の違いがでてくる可能性が考えられます。そこに着目したイタリア人の研究者がハンガリーのエトベシュ・ローランド大学の動物行動学の研究者らとともに、数年をかけてバリ犬と家庭犬になったバリ犬の性格を調査し、その結果を『PLOS ONE』に発表しました。

現フリーレンジ犬と元フリーレンジの家庭犬の性格はどう違う?

今回行われた予備的研究の対象となったのは、1歳以上の60頭のフリーレンジのバリ犬と15頭の家庭犬です。家庭犬は家や庭先で暮らし、外出するときにはリードをつけて飼い主と一緒に歩くという生活スタイルで、完全に飼い主に依存しての生活を送っています。一方フリーレンジ犬は完全にフリーレンジ犬、もしくは犬の食餌や薬などの世話をする人(世話をするがその犬の飼い主では決してない)がいるが飼い主はいない犬、または飼い主がいるかもしれないが完全に自由に歩き回っている犬が対象とされています。対象とされたフリーレンジ犬には野犬は含まれておらず、実際にバリ島では野犬は非常に少ない状況にあるようです。

これらの犬について、家庭犬に関しては飼い主が、フリーレンジ犬は少なくとも2年以上前から世話を続けている人が、犬の性格を診断するための質問票(Dog Personality Questionnaire)に回答をしました。犬の性格を大きく5つのカテゴリー(恐怖、人への攻撃性、活発・興奮性、トレーニング性、他動物への攻撃性)にわけて分析するために、さまざまな状況におかれたとき、犬がどのように行動をするかといった数々の質問が含まれていました。

回答の解析の結果、フリーレンジのバリ犬は家庭犬に比べると活発性や興奮性、ほかの犬への攻撃性、捕食行動に関して有意にスコアが低いことが示されました。また性別に着目すると、対象となった犬全体では人への恐怖はオスよりもメスに強くあらわれていたこと、さらにフリーレンジのバリ犬だけでみるとオスよりもメスが興奮しやすいことが示されました。

[image from PLOS ONE]

Dog Personality Questionnaireの質問票の解析結果をあらわすグラフ。

この結果は、同じバリ犬であっても、家庭犬として迎えられて環境が変わり、それまで通りに自由に行動できない暮らしを送っていることが、一部の性格特性において過敏になっていることを示しているともいえます。

論文著者Marco Adda氏による、バリ島に暮すフリーレンジ犬の映像。

人と暮らすことにストレスを感じる犬もいる?

今回紹介しました研究は対象頭数が少ない予備的研究ではありますが、この結果は”犬ならばどんな犬でも人と一緒に暮らすことが幸せ”というわけではないことを示すものと考えます。選択繁殖を受けてきた犬種としての犬や、それらの雑種などの一般的な家庭犬とは異なる進化を遂げてきたバリ犬は、バリ犬なりの生活スタイルを好んでいるともいえるでしょう。また、今回の研究対象にはなりませんでしたが、野犬の場合にはさらに一般の家庭犬とは暮らしやすいと感じる環境が違うだろうことが想像できます。つまり、同じ犬であっても、家庭犬、バリ犬のようなフリーレンジ犬、そして人との接触を避ける野犬とそれぞれにおいて、心地よい暮らし方や人との距離感は少しずつ異なっているのではないかと思うのです。

人と関わりすぎず、けれども人を恐れて避けるようなこともなく何千年もバリ島で生きてきたバリ犬が欲する自由は、もはや一般の家庭犬にとっては大して必要とされていないものかもしれません。けれども犬を家族として迎える昨今、犬が家畜化された初期にはしていただろう自由な環境下での自主的な行動を制限する生活を強いている可能性がないとは言い切れないかもしれないとも思います。そしてそれが現代の犬たちになんらかの影響を与えているかもしれないこと、ならばその欲求を満たすに代わるなにかをどう与えていけばいいのかなど、改めて考えてみることも大切ではないかと感じました。現代社会において必要以上に“人間界のルール”を犬に対して無意識的にあるいは当然のごとく押し付けてしまっているところがあるかもしれませんから。

【参考文献】

Companion and free-ranging Bali dogs: Environmental links with personality traits in an endemic dog population of South East Asia. PLoS ONE 13(6): e0197354. 2018.