子犬に受け継がれる遺伝子の変化〜父親の年齢と体の大きさが左右するもの

文:尾形聡子


[photo by zanna_]

私たち生物のからだの中では日々小さな変化が生まれています。そしてそれは遺伝子の中でも起きていて、進化の原動力にもなっています。ヘルシンキ大学を中心とした国際研究チーム(フィンランド・デンマーク・中国など)は、犬という動物がどのようにして新しい遺伝子変化を生み出しているのかを、フィンランドで飼育されている43犬種、390組の親子を対象に解析を行い、研究結果を発表しました。その成果は、犬たちの多様性が、分子レベルでどのように起きてきたのかを示すものでした。

小さな“コピーミス”が進化を導く

突然変異とは、DNAの4つの塩基配列のどこかに生じる変化のことです。なかでも、親のDNAには存在しないものの、子のDNAにみられる新しい変化を「de novo(デ・ノボ)変異」と呼びます。これは、親の体の細胞では起きていなくても、精子や卵子といった生殖細胞の中で偶然生じ、それが受精によって次の世代へ伝わる変化です。これまでの人をはじめとする研究で、とくに男性/オスでは、精子をつくる過程で新しい変異が生じやすく、父親/オス由来の変異が多いことが知られています。

一方、体の中でもDNAは日々複製されており、紫外線や化学物質、活性酸素などによって変化を起こすこともあります。これらは「体細胞変異」と呼ばれ、がんなどの原因になることがありますが、その個体のみで起こるだけで、子には遺伝しません。それに対し、生殖細胞で起こるde novo変異は子に受け継がれる可能性があります。

このように突然変異には、遺伝する変異と遺伝しない変異の2種類があります。そのうち遺伝する変異のほうが、生命の進化を静かに前へ押し出す可能性を持つものとなります。de novo変異のほとんどは無害で、目に見える影響をもたらしません。けれどもごくまれに、有利な形質や新しい能力を生み出すことがあります。つまり突然変異は、DNAの複製ミスでありながら、生命の遺伝的多様性をつくり出す必然の偶然ともいえます。

de novo変異が起こるのは減数分裂のイベント

では、こうした変異はどのようにして生まれるのでしょうか。それは生殖細胞がつくられるときに特別に起きる「減数分裂」というイベントの最中です。

通常の体細胞分裂では、DNAが一度複製されて倍になり、それを半分に分けて分裂することで同じ遺伝情報をもつ二つの細胞が生まれます。しかし減数分裂では少し違います。DNAが一度複製されて倍になった後、2回の分裂を経て染色体数が半分の精子や卵子がつくられます。減数分裂の最初の過程で、対になった染色体が部分的に遺伝子を交換する「組換え(recombination)」が起こります。

この組換えにより親の遺伝情報が入れ替わり、子どもに新しい遺伝的な組み合わせを持つ染色体もたらすことになります。つまり、減数分裂は「遺伝情報をコピーしつつ部分的に編集する瞬間」であり、そこに偶発的な誤り=de novo変異が生じることがあるのです。

多くの哺乳類では、PRDM9という遺伝子が組換えの場所を指定する役割を果たしています。PRDM9遺伝子はDNA上の特定の配列を認識し、「ここで組換えをしてください」という印をつけます。こうして組換えは、重要な遺伝子領域を避け、組み変わっても安全な領域でのみ起こるよう調整されています。

しかし犬の場合、「組換え」の仕組みが人や他の哺乳類と少し異なっています。犬にはPRDM9遺伝子そのものは存在しているのですが機能を失ってしまっていることがわかっています。そのため、犬での組換えのイベントはPRDM9遺伝子が誘導するのではなく、染色体がほどけてアクセスしやすいDNA領域で自然に起こります。このDNA領域の代表例が、CpGアイランドと呼ばれる部分です。

CpGアイランドとは、DNA配列の中で「C」と「G」という塩基が密集して並んでいる領域で、多くは遺伝子を発現させるスイッチ(プロモーター)付近にあります。遺伝子発現(タンパク質をつくる)のためには、染色体がほどけてDNAに他の物質がアクセスしやすい状態である必要があります。逆にDNAにアクセスできないようにぎゅっと凝縮しているときは遺伝子の転写はほとんど起こりません。

犬ではこのように遺伝子発現のためにDNAにアクセスしやすい状態になっている領域で組換えが頻発し、結果としてCpGアイランドで突然変異が集中することが明らかになりました。実際、犬ではこの部分の変異率がゲノム全体の平均の2.6倍にもなっており、PRDM9遺伝子機能を喪失した犬が、独自の進化機能を得る道をたどってきたことを示しています。


[photo by kobkik]

父親の年齢、体の大きさ、そして進化の時間

研究チームは、フィンランドに暮らす43犬種・390の親子(父母子)の遺伝情報を解析し、犬の生殖細胞におけるde novo変異率を推定しました。その結果、1塩基あたり約4.9×10⁻⁹、つまりおよそ2億塩基に1つの割合で新しい変異が生じていることがわかりました。この変異率は人とほぼ同じ水準だそうです。しかし大きな違いは父親の年齢が与える影響の強さでした。人でも母親よりも父親の方がde novo変異率に及ぼす影響が大きいものの、犬の場合、父犬の年齢が上がるにつれてde novo変異が増える傾向は人の約1.5倍に達していました。

なぜオスの方が影響が大きいのか、その理由は精子と卵子のつくられ方の違いにあります。メス犬の卵母細胞(卵子の元になる生殖細胞)は胎児期に形成され、体が成熟してはじめて必要に応じて減数分裂をして卵子をつくります。一方、オス犬の精子をつくる精子幹細胞は、一生を通して分裂を続け、一部が減数分裂を行うことで常に新しい精子を生み出しています。つまり、自己複製をする回数は年々増えていくことになり、回数が増えるほど精子幹細胞のDNAに変異が蓄積する確率は上がり、年齢が高い父犬ほどde novo変異を子に伝えやすくなるのです。

興味深いことに、大型犬ほど若い時期から比較的高いde novo変異率を示す傾向も確認されました。体が大きい犬は成長が早く、短期間で多くの細胞分裂を行います。その過程で生じるコピーエラーが、発達初期から精子幹細胞変異として残る可能性があると考えられます。しかし、犬種間での変異率の違いは小さなもので、チワワでもグレート・デーンでも犬における基本的なde novo変異のメカニズムは共通していました。このことは、de novo変異の背後にあるのは、生物としての普遍的法則に基づいていることを示しています。

さらに、こうした突然変異率の実測値をもとに「分子時計」を再計算したところ、犬がオオカミから分岐したのはおよそ2万3千〜3万年前と推定されました。これは、考古学や他のゲノム解析による年代ともよく一致しており、犬が人と歩み始めた時期をあらためて裏づける結果となりました。


[photo by KOTO]

遺伝的な繁殖年齢リスクという視点

この研究から、犬はPRDM9遺伝子という遺伝的多様性をつくる道しるべを失いながらも、自らのゲノムを独自のルールで書き換え続けてきたことがわかりました。また、犬の繁殖においても新たな視点をもたらすものです。子に伝えられるde novo変異の多くは無害ですが、まれに遺伝病や疾患の原因になることがあるためです。

繁殖における親犬の年齢は、体力や出産リスクだけでなく、遺伝的な観点からも考慮すべき要素だといえます。血統やチャンピオンタイトルの価値はもちろんありますが、親犬の年齢が上がるほど新しい遺伝的変化が生じやすくなることは、繁殖に関わる方だけでなく、ブリーダーから犬を迎える際の知識として、一般の飼い主の方も心に留めておくべきかもしれません。

【参考文献】

Determinants of de novo mutations in extended pedigrees of 43 dog breeds. Genome Biology 26: 305, 2025

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