文:尾形聡子
[photo by puhimec]
藤田りか子さんの「幼少の頃の犬との思い出、今のあなたをどう作り上げている?」を受けて、今回は私自身の経験をここに語らせてもらいたい。
私の育った家は昔ながらの3世代家庭だった。両親、姉と妹、そして祖母。祖母と父はそれほど犬のことは好きではなかったものの、母が大の犬好きだったために半ば強引に犬を飼い始めたのだと思う。昭和の時代、当たり前のように外飼いをしていた。そんなこともあってか、今のような「家族の一員としてみんなで可愛がろうね」というような雰囲気とはちょっと違っていて、私が実家にいる間に暮らした3頭の犬すべてを思い出しても、家族みんなで犬と一緒に何か楽しいことをしたというような思い出は片手で足りるほどしかない。だが、犬と私の二者関係では話は別だ。犬はどこかでいつも私の心の支えになってくれていた。
最初の犬は私が物心つくかつかないかの頃に迎えたペスという名のオスの黒柴だった。しかしその犬はどうやら怖がりの極みのような犬だったそうだ。ちょっとした刺激で暴れたり狂ったように吠え続けたりすることもあったようで、小さかった私の顔には数年間消えなかった傷ができてしまったほどだった。幼稚園に入る直前のころだったろうか、はっきり覚えていないが、ある日忽然とペスの姿が消えた。その理由を母は「車を怖がってかわいそうだから(当時の実家は交通量の多い場所にあった)田舎に暮らす遠い親戚に預けた」と何となくうやむやに私に告げた。その本当の理由は、実家を出て20年ほどの年月が経ってから、母からではなく姉から遠回しに聞くことになる。
そもそも私は幼い頃から犬が好きだった。犬に限らず猫も好きだった。そうなったのには静岡の祖母の存在が大きかったと思う。静岡に遊びにいくときにいつも楽しみにしていたのが、野良犬や野良猫への餌やりタイムだった。祖母がいくつもの容器を台所に並べ、いわゆる「ねこまんま」を用意する。それを近くの空き地に運ぶのを手伝った。すると、どこからともなく犬や猫が次から次へとご飯を食べにやってくる。どの犬も猫もおとなしくて可愛くて、祖母がまるで魔法使いのように見えて羨ましくて仕方なかった。だからなのか、ペスに顔を傷つけられても犬に対して怖いという感情が芽生えなかったのかもしれない。今となっては想像しかできないが、ペスは私に向かって攻撃をしようとしたわけではなく、何かに怯えて暴れたら、たまたま背の低い私の顔に歯か爪か何かが当たってしまったとかそんなことだったのではないかと思う。
2番目の犬は狩猟が趣味の近所の方が飼っていたイングリッシュ・セッターの子犬だった。猟の合間にできてしまったとのこと、母犬はブルーベルトンの毛色だったが譲ってもらった犬はブラック&タン。成長しても中型犬くらいのサイズにしかならなかったので、父犬はブラック&タンだけれどゴードン・セッターではなく、20キロに満たないくらいの犬だったのではないかと思う。クロと名付けたそのメス犬は何かと体が弱くて、私が高校1年のときに6歳半で亡くなった。がんに罹ってしまい腹水がたまってきていた状態だったからいつ亡くなってもおかしくないことは薄々わかっていたものの、学校から帰ってきて玄関のたたきに横たわるクロの動かぬ姿を目にしたときはショックだった。
クロは病気の末に死亡したとばかり思っていたのだが、実はそうではなく、最期は安楽死だった。その話を聞いたのは前述したように実家を出てだいぶ経ってからで、たまたま姉から聞いたのだった。母は姉には安楽死のことを早々に話していたようだったが、私には話したつもりになっていたのか、あるいはあえて話さなかったのかは知る由もないし、いまさら確認するつもりもない。ただ、姉に対してすら事後に話していたようだから、どうして事前に話をしてくれなかったのだろうととても残念に思った。反抗期真っ只中だった私にとって、家族という息苦しい環境の中でのクロはかけがえのない存在だったのに。学校に行っている間に安楽死させてしまうなんて。姉から話を聞いたときに、最初の犬、ペスも同じく安楽死(彼の場合は行動上の問題のため、ということになるのだろう)だったことを知った。
3番目にやってきたのは、近所の公園に捨てられていた2頭の子犬のうちの片方の子犬だった。実家を出て数年してから11歳を目前にその犬は原因不明の病気で亡くなり、その後、母は念願だったラブラドールを迎えた。初めて家の中で暮らした犬となった。その犬は14歳で天寿をまっとうし、今実家には2代目のラブラドールがいる。
犬を飼うことに対する責任は子どもには負えない。けれど、その犬との関係性はどんな年齢であれ家族それぞれにあるのだから、安楽死という重大な決断をすることを前もってきちんと話してほしかったと今でも思う。
私には子どもがいないので子を持つ親の大変さはわからないが、子どもも子どもなりに犬のことを感じたり考えたりしているはずだ。だからどうか、安楽死を考えるような場面になるときには子どもに対しても避けずに話をしていただけたらと思う。たとえ安楽死をよく理解できないとしても、動物が死んでしまうことをすでに知っている年齢であるならば。
そして、たとえ同じ家庭に暮らしていても、犬に対する感じ方はそれぞれであることも心に留めておいてほしいと思う。少なくともうちの場合、三姉妹それぞれ犬に対する接し方や感じ方が違うところがある。何がいいとか悪いとかではなく、それぞれがそれぞれに犬との関係性を築き、楽しんでいくために、関係性の持ち方に違いがあることをゆったりと見守ってもらえたらと思うのだ。
【関連記事】