文:尾形聡子
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今から20年ほど前のこと。犬の認知科学研究が脚光を浴びることとなった研究が発表されました。現在もなお実験手法として広く使用されている「指差し実験」です。指差し実験とは、人が指をさす行動をコミュニケーション信号として受け取り、その方向へ犬が向かうかどうかを調べるものです。人の子どもの場合は2歳くらいまでに指差しジェスチャーが何を意味するのかを認識することがわかっており、犬にはそれと同等の認知能力があることを、初めて科学的に証明したものでした。
その後、指差しの方法を変えて試してみたり、人の手により育てられたオオカミと比較したり、犬種別に比較してみたりとさまざまな実験が行われてきました。また、犬の指差しジェスチャーへの理解は人の子どもと同様に、少し成長をした21週齢を過ぎてから獲得していくことが示されています。このような、人の指差しジェスチャーへの理解について藤田さんが興味深い考察をしているので、ぜひ以下の記事も一読ください。
さて、犬の認知行動学における老舗実験とも言える指差し実験ですが、最初にこの実験方法を実践した、ハンガリーのエトベシュ大学の研究者らが、新たな研究を行いました。世界中で愛され続けているペットの二大巨頭、犬と猫の指差しジェスチャーへの理解力を比較したのです。
結論から言うと、犬に軍配が上がりました。想像通りのことではないでしょうか。ただし、これは単純に犬と猫の頭の良さを比較するような実験ではない、ということを念頭において読み進めてください。今回の指差し実験により示されることは、あくまでも人とのコミュニケーションツールとして認識するか否か、という点です。たとえば犬種による違いを思い出していただくといいでしょう。テリアのように独立して働く犬と、レトリーバーのように人と協調して働く犬とでは、人の動きや合図などに対する感受性が異なりますが、感受性の強さが頭の良し悪しとイコールではないということです。
なぜ両者の人の指差しジェスチャーへの理解度が異なるのか、今回の実験からその背景を読み解いていきましょう。
[photo from Adobe Stock] 猫の遊びの定番といえば猫じゃらし。
そもそも猫は実験に参加すること自体が難しい
実験はまず実験室環境に慣れさせるところから始まりました。それぞれ自由に実験室を散策し、見知らぬ実験者(女性)から食べ物をもらったり、一緒に遊んだりした場合に「環境に慣れた」とみなされました。3回のチャンスがあり、実験に参加した小型犬21頭は100%これをクリアしましたが、猫は62頭中43頭でした。小型犬を対象としたのは、猫と同じセッティングでテストを行うためです。
実験は大学の実験室の中で、以下の写真のようなセッティングで行われました。実験者の両脇にある容器の片方におやつを入れ、おやつが入っている方を指差すという、いたってシンプルな実験です。最初の環境慣れテストをパスした犬と猫が参加しましたが、猫はテストが実行できないケースがあり、最終的に33頭のデータが解析されました。
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テスト結果は両者に大きな差がでました。ほとんどの犬は、モチベーションを落とすことなく指された指の方の容器に向かって素早く移動していましたが、猫は異なりました。指された容器ではない方に向かうだけでなく、どちらも選択しないという猫も多くいました。さらに猫はテスト中に徐々に参加意欲を失い選択するスピードも落ちていく傾向が見られました。
そこで研究者らは、環境の変化に敏感な猫に、慣れない実験室という環境でテストを実施するのは不利な条件だったと考え、猫にとって慣れ親しんでいる自宅にて同様にテストを行うこととしました(研究に参加した43頭の3分の2が室内飼い)。しかし、自宅に場所を移しても、家の中に見知らぬ実験者が入ってきて、その人と慣れ親しむことができない猫が多く、自宅での実験を遂行し、結果の解析に至ることができた猫は23頭中14頭でした。
家でのテストにおいては、犬ほどのスピードではないものの、猫もモチベーションの低下はほとんど見られませんでしたが、成功率は上がることはありませでした。実験室と自宅の両方でテストに参加した猫14頭は猫という動物の中では、見知らぬ実験者に慣れることのできる比較的社交性の高い性格だったと考えられるのですが、正解率が偶然の確率(50%)を上回ったのは全体の7%、3頭にとどまりました。犬は実験室でのテストで21頭中11頭が28トライアルのうち20トライアル以上で正解していたのと比較すると、猫は実験者の指差しの方向をコミュニケーションジェスチャーとして認識していなかったことが示唆されます。
これらの結果を受けて研究者らは、犬はこのような認知テストの容易性が猫に比べて大幅に高いということ、逆に猫は実験室環境における人とのコミュニケーション能力を研究するにはあまり理想的なモデルではないことが示されたとしています。そして、猫はテストに対する意欲があれば人からの指差しのジェスチャーに頼って動くことができるものの、猫全体としても個体レベルとしても、犬の方が高いパフォーマンスを示していたことは、犬の方が人からのコミュニケーション信号に同調することを裏付ける結果だったと言っています。ただし、研究に参加した猫は事前に選ばれた個体のため(テストに参加しうるかどうかという点でも)、猫という生物種に特有の行動や能力を示したものではないことに注意が重要だということです。
[photo from Adobe Stock] どんな犬でも持ってこい遊びが好きとは限らないけれど、猫の場合は…?
家畜化の過程、役割の違い、性質の違いがあらわれた結果
このような違いが結果として出てきたことは、それぞれの家畜化の違い、生態的な背景や人間社会での役割が異なってきたため、それを知る人にとっては予想の範囲内だったと思います。犬は人に依存して、人と社会的な交流をしながら共に生活を送ってきましたが、猫は人の近くで暮らしながらも単独で穀倉をネズミや害獣から守ってきたという背景があるからです。
とはいえ、現代の人にとって犬も猫もペットとして似たような役割を持つことから考えれば、研究者らが指摘していたように、一概に猫のコミュニケーション能力が低いとは言えません。猫の場合は人の指差しを理解して動く、というような人とのコミュニケーションの取り方をしていないだけであり、犬とは異なる、あるいは、犬には備わっていないコミュニケーション能力がある可能性もあります。
たとえばつい最近発表された英国発の研究では、猫の「もってこい遊び」について調べています。それによれば、もってこい遊びをする猫のほとんどが、飼い主が教えることなくその遊びをし始めたということです。そして、もってこい遊びを開始するのも終了するのも、それを決めているのは飼い主よりも猫の方が多数を占めていることもわかりました。
遊びの開始と終了が猫主導という点についても、犬とは大きく異なるところではないでしょうか。想像するに、猫の遊びのモチベーションは犬よりも主体的であるため、開始も終了も自分で決めるという行動を取るのではないかと思います。犬と猫それぞれが飼い主を介した同様の遊びをしますが、飼い主との接し方を異にする、あるいは飼い主が接し方を異にすることが、このようなところにあらわれるのだなと思った次第です(もちろん犬の遊び方も犬種差や個体差はありますが)。
ちなみに、今回解析対象となったレトリーブをする猫1,154のうちの160頭(全体の7分の1程度)が純血種で、中でもシャムが多かったようです。持ってこい遊びをする猫はミックス、純血種を問わずに報告されているものの、シャム、アビシニアン、ヒマラヤン(ペルシャとシャムの交配種)が多いという報告があるそうで、今回もその傾向が示されていました。つまり、シャムやシャムの交雑種においては、ほかの猫と比べて遺伝的にレトリーブをする本能が強い可能性があるとも考えられます。
ともあれ、それぞれの種に特有のコミュニケーション方法があることを前提として、どちらの方が馬が合いそうか、心地よく接することができるか、という観点を持っておくのは大切だと思います。もしかしたら、猫の飼い主の方が、犬を飼う上で必要なことをより強く責任として感じ、それはできない(たとえば毎日の散歩)、やっぱり自分には猫の方が合う、というようなことを感じているかもしれません。だからこそ、猫とのコミュニケーションに過度な期待をせず、遊びの主導権も猫が取りやすいようにしているのかな、などと想像したりもするものです。
【参考文献】
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