文と写真:尾形聡子
視覚に頼る私たちは、「動き」という観点から相手の状態を決めがちだ。犬に対してはとりわけそのような見方をしていないだろうか。
活発に、パワー溢れる、疲れ知らずなんていう言葉からは、いかにもイキイキとした犬の様子、「元気がいい」状態を思い浮かべるものだ。活力があるのは素晴らしい。若いうちは放っておいても活動の源となる力が体中にみなぎっていて、「動」が活力の中心となっている。しかし、年齢とともに体は衰えていき、体の衰えと並行して気力も続かなくなり、「元気」がなくなっていくように見える。否が応でも活力は、高齢になるにつれ低下していく。
もれなくハナも加齢により「動」が減り、一般的に言われるところの「元気」は失われてきている状況だ。しかし最近、ハナの中にある「静」の活力を強く感じるようになってきた。活力の中心が「動」から「静」にシフトしたと言えばいいのだろうか。歳をとって寝てばかりいるから、動くことが少なくなったから、「静」というわけでは決してない。動かないのは静かにしている状態ではあるけれど、それとは違う、意味のある、能動的な「静」だ。
能動的な「静」の例として、前回の「犬の順応力を信じて!」に書いたように、目と鼻の先にいる猫に対して「動」ではなくて「静」で対応することが挙げられる。猫もよくわかっているもので、「静」でやり過ごそうとするハナを相手に何かアクションを起こしてくることはない。散歩中に会う犬に対しても同様で、関わりたいと思わない犬には能動的に「静」の姿勢を取る。地面のにおいを嗅いだり、うまい具合に明後日の方向をじっと見つめたりして、上手にやり過ごしている。ただぼんやりと道端に佇んでいるわけではない。能動的な「静」はある意味、動きの一種と言えるだろう。
そして、そんな「静」は経験に基づいたリラックスした状態から生ずるのではないかと思うようになった。関わりを持ちたくない犬への対応に強い緊張感が含まれてくれば、良くも悪くもそれは相手の犬に伝わってしまう。たとえじっと立ち止まっていても、足腰が弱ってきていても、体に緊張感があらわれてくるだろうし、緊張によるにおいも出てくるに違いない。そういう意味でも、能動的な「静」には経験が必要で、経験があるからこそ相手の状態を受け入れ、気持ち的にリラックスした状態で「静」の対応ができるようになるのではないかと考えている。
もともとハナはエネルギーの高い犬で、何につけても「動」の活力で対応することが多かった。それが、急激な体の衰えとともに上手に「静」を使うようになったというわけだ。自然の摂理なのかもしれないと思う一方で、すべての犬が「動」から「静」への活力変換ができているわけでもないと思う。やはり、能動的な「静」をするには、さまざまな状況に対応する力、受け止める力を培っておくことが重要だと思う。
振り返ってみれば、「静」の活力を養うのに大きく役立ったのは、先日の藤田りか子さんの記事「犬を「落ち着かせる」という行動、訓練でうまくいくもの?」で紹介されていた「ステディネストレーニング」だったと思う。タロウとハナにそのトレーニングを最初にしたのは、ウォーター・ワークの練習を始めてから。成犬になってからだ。1歳半くらいか、もしかしたら2歳を過ぎていたかもしれない。それでも練習を重ねていくうちに、彼らはゆったりとリラックスすることを理解した。タロウに至ってはあっという間に伏せから横向きに寝そべり、眠ろうとまでしていたものだった。
この「落ち着いて、リラックスする」経験(練習)があるのとないのとでは、「静」の活力を作る(と私が考えている)リラックスした状態へと自らを持っていく能力に差が出てくるのではないかと思う。そもそもこのリラックストレーニングはあらゆる面で犬にとって非常にプラスになる。一般の家庭犬なら、リラックストレーニングと呼び戻しさえできれば、他にトレーニングは要らないのではないかと思っているくらいだ。
先日17歳を迎えたハナ。彼女なりに培ってきた「静」の活力が大いに発揮されるフェーズに入っているのだろう。「静」の活力は、年老いたハナの生きる自信になっているようにも思える。
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