文:尾形聡子
[image from Moral Machine]
二者択一問題のひとつ。青信号を渡る犬5頭、ブレーキの壊れた自動運転車には女性と猫が4頭乗っています。そのとき、直進して犬5頭が犠牲になるか、犬を回避して障害物にあたり女性と猫が犠牲になるかのいずれかを選択。
トロッコ問題を自動運転車に置きかえて考えてみるならば。
自動運転車がどうしても犠牲者を出してしまう状態に陥ってしまったときの二者択一をAI(人工知能)がどのように判断するべきか?アメリカのマサチューセッツ工科大学の研究チームは自動運転車における倫理基準を探るために「Moral Machine」というオンラインアンケートサイトを2016年にオープンしました。読者のみなさんの中には、日本語を含む10種類の言語に対応しているそのアンケートに参加されたという方もいることでしょう。
アンケートは「トロッコ問題(またはトロリー問題)」という「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験をベースに作られています。自動運転車のブレーキが壊れてしまい犠牲者を出す事故が避けられないという状況下において、犠牲者の数や性別、年齢、動物種、社会的地位、搭乗者か歩行者かなどを様々な組み合わせで対比させ、いずれか一方を選択していくものです。正解を求めるものではありません。
そして昨年10月、公開から18カ月の間にサイトを通じて集まったさまざまな国や地域からのおよそ230万もの回答を解析した結果が『Nature』に発表されました。そこから、自動車運転における普遍的なガイドラインを設けるのは一筋縄ではいかないだろうことが浮き彫りにされました。
細かい結果は「モラル・マシン」で検索してもらえればいくつものニュースサイトが出てくるのでそちらを参照いただくとして、大まかに世界で共通していたのは「動物より人間を、少人数より大人数を、高齢者より若者を助ける」傾向にあったことです。
しかし、世界的にみると日本人にみられる特筆すべき傾向が存在していました。その一つに、車に乗っている人よりも歩行者を助ける傾向がどの国よりも強いことが示されました。逆に車に乗っている人を守ろうとする傾向が最も強かったのは中国でした(国別グラフはこちら)。個人主義的な文化の国の方がより多くの命を助けようとする傾向が強く、逆に日本はその点で最も数を重視せずに質を重視する傾向がみられることもわかりました(国別グラフはこちら)。また、日本を含む集団主義的なアジア各国は、個人主義的な国に比べると若者より年寄りを助ける傾向があることもわかりました(国別グラフはこちら)。つまり日本は「動物より人間を、少人数より大人数を、高齢者より若者を助ける」という世界的な傾向のうちの二つにおいて、決してメジャーではない倫理観が存在している国だという見方もできます。
二者択一をせまられたときに動物を救おうとする人は少ない、しかしその動物が自らの愛犬となると?
だいぶ犬の話からそれてしまいましたが、この調査研究からみえたのは、トロッコ問題において救える命を選ぶ場合に積極的に犬や猫を救おうとする人は少なかったということです。最も救う対象とされたのはベビーカーに乗る赤ちゃん、子ども、そして妊婦さんだったのに対し、犠牲となる対象とされたのは多い方から猫、犯罪者、そして犬でした。このように、究極の選択を強いられたとき、人間は人間以外の動物よりも人間を救おうとする傾向にあるのはこれまでいくつもの研究で示されており、人は生き物の中でもより人の命を大切にするという普遍的なモラルがあると考えられています。
同じようにトロッコ問題で考える研究がカナダのブリティッシュコロンビア大学の研究者らにより2013年に『Anthrozoös』に発表されています。ただしそこでは、対象となる犬が見知らぬ犬なのか、それとも自分の愛犬であるかによって人の意識が大きく変わることが示されています。
573名(男性183名、女性390名)を対象に行ったその研究は、「あなたはむこうから暴走してくるバスの通り道にいて、いまにもひかれそうなペットと人間いずれか一方をだけを助けられる状況です。いずれを助けますか?」とたずねるものでした。対象と考える人は、外国人観光客、同郷の見知らぬ人、遠いいとこ、親友、祖父母、兄弟姉妹で、ペットについては自分のペットもしくは知らない人のペットでした。
人間よりも他人のペットを救うかという問いにおいて、犬を救うという割合が最も多くなったのは外国人観光客との二者択一でした。男性の7.4%、女性の14.9%が犬を救うと答えていました。さらにそれが自分のペットとなると、犬を救うと答えた人は急増。男性では30.1%、女性では44.9%と大きく変化しました。逆に最もペットを救うと答える割合が低くなったのは兄弟姉妹で、他人のペットにおいてはほぼ0%、自分のペットでも男女ともに4%程度にとどまっていました。
これらいずれの組み合わせでの二者択一でも、男性より女性の方が犬を助けると選択する割合は高くなっていました。また男女ともに、それぞれの対象となる人と比べたときに他人のペットよりも自分のペットを助ける割合は高くなっていました。ちなみに一度もペットと暮らしたことない人は、参加者全体の8%だけでした。
これらの研究から何が考えられるか?
二つ目に紹介した研究で示されたように、他人のペットに比べて自分のペットを救うと答えた人が多かったのは、選択する対象が自分のペットとなった瞬間に倫理的な問題から感情的な問題へと捉え方が変わってくるためではないかと思います。さらに、女性が男性よりもおしなべて高い割合でペットを救うと答えていたことは、女性の方がペットそのものを感情的に捉えている傾向が強いとも考えられるかもしれません。そしてこれらは、ペットは人と同じ家族の一員であるという考え方が広く持たれるようになっていることを意味しているものとも考えられるでしょう。
これはカナダでの研究ではありますが、日本においても性差を感じるところがあります。たとえば日本の動物の保護に携わっている人において女性のほうが多くみられるのは、たとえ自らのペットではなくても感情的な部分が強く働くためかもしれません。
仮にトロッコ問題で二者択一するすべての対象を犬とし、どちらか一方しか救えないという状況を考えた場合どうなるのだろうと想像するものです。たとえば若い犬、高齢の犬、病気の犬、身ごもった犬、他の犬に乱暴な犬、一頭か多頭かなどを比較していった場合、どのような結果になってくるでしょう。モラル・マシンの結果に国や地域の差がみられたことを考えると、このような犬を対象としたトロッコ問題でも差が出てくる可能性が考えられます。たとえば一つ目の研究結果に犬トロッコ問題を当てはめてみるとすると、日本は老犬を助ける傾向があり、多くの犬が助かるより特定の犬を助けようとするという傾向がみられるといった、何らかの特徴がでてくるかもしれません。とはいえそれは、できる限り倫理的に考えるのか、それとも自由なままに感情的に考えるかによるバイアスが大きくかかってくるものと思われます。
倫理的に考える方がいいのか、それとも感情的に考える方がいいのか、どちらがいいということではなく、倫理的観点と感情的観点それぞれ両方から犬という動物について深く考えていくことをしていけば、より日本という国にあった犬の福祉に対する考え方の道すじのようなものが浮かび上がってくるのではないか、そんな思いを抱きました。
【参考文献】
【参考サイト】