文と写真:藤田りか子
アシカは今、ノーズワークのNW1(ノービスクラス)で競っている。これまで2回ほどコンペティションに参加し、いずれの機会においても満点を獲得。次のクラス(アドバンスドクラス)への昇格も今となってはあともう一歩のところ。次回満点を獲得すればいいだけとなった。こう記すといかにもアシカの自慢話に聞こえるが、実は周りのトレーニング仲間にすらまだ言えない秘密が私とアシカの間にある…というかアシカには決定的な弱点がある。
ノービスクラスでは、サーチエリアにユーカリ臭が一つ隠されており、それ以外何もない。だが、アドバンスド・クラスにゆくと、ターゲット臭はもう一つ増えるのみならず、「誘惑臭」も隠されている。つまりわざと犬の気を引こうと、ターゲット臭以外のものもエリアにいくつか置かれるのだ。そしてもしも犬がその誘惑臭にみごとひっかかり「見つけましたよ!」シグナルをだした場合。それをハンドラーが真に受けて「アラート!」とジャッジに告知してしまうと、失点を食らうのみならず、その場でゲーム・オーバーとなる。
見つけた時にどのようににおいの場所を告知するか、この行動をインディケーションと呼ぶのだが、ハンドラーと犬によってそのスタイルは様々。アシカはこの動画に見られるように息を止めたかのように完全に体を静止させる。
そしてその誘惑臭にいとも簡単に引っかかってしまうのが、実はアシカの弱点なのだ。一方ラッコはこの点非常に手堅く、めったにそそられることがない。たとえ感づいてもふっと臭って無視、さっさとターゲット臭へのサーチに勤しむ。ちなみに誘惑臭の種類についてであるが、特にこれと決まっていない。ただしスウェーデン・ノーズワーク協会のルールブックではテニスボール、コング、食べ物の匂いを使ってはいけないとされている(トリーツやコングを隠してノーズワーク・トレーニングを行う人がいるからだ)。それ以外のにおいであればなんでもよし。洗剤、ハンドクリーム、コーヒー、紅茶、ハーブ、などなど。
というわけでアシカの現在の快進撃に誰もが感銘を受けるものの「いや、これもノービス・クラスまでのこと、誘惑臭が存在するアドバンスド・クラスになったら…」と私の心中実はそんなに穏やかではない。前回にも記した通りアシカは早くからノーズワークのコンセプトを理解していたのだが、その当時も周りとちょっとにおいが違うものが置かれていると
「もしかして、これ?!」
と「見つけましたポーズ」を取ることもあった。彼女はサーチ中とても熱心で集中している。だから、間違ったにおいを取る、ということは決して彼女の散漫を意味するものでもない。ラッコとの比較の中で悟ったのだが、どうやらアシカの中にある「Will To Please(相手を喜ばせてあげたい)」がかえってノーズワーク作業の邪魔になっているようなのだ。Will To Pleaseというのはイギリス人がレトリーバーの気質を表す時に使う決まり言葉。特にフィールド系のレトリーバーにこの気質は強力に備わっている。実際に「人を喜ばせてあげたい!」という献身的な意思を犬が持つかどうかは疑問であるが、解釈としては、人と関わって仕事をしたい!欲がすごく強い、の表れと考えてもいいと思う。
「このにおいでしょ?」
と彼女が「見つけましたポーズ」をとる時の気持ちというのは、私といっしょに仕事をしている、人と関わりたい、という精神の表れでもある。それ自体が楽しい、といえばいいのだろうか。その点ラッコの心情世界に「人と関わる喜び」という概念はほとんどない。彼は我が道をゆく。だから周りに御構い無しに自分が知っているその匂いを探す!ということに執念を燃やすことができる。
フィールド系でかつきちんとブリーディングを受けているレトリーバーなら、ダミーをくわえて人に持ってくること自体が彼らに取っての大きな喜びとなる。よってトレーナーには回収してもご褒美など与える必要はない、という人も多くいる。
それから作業犬メンタリティを持つ犬というのは「般化」が上手とも言われている。様々な環境で繰り返しのトレーニングを行わなくとも、勘がいいというか、一度覚えるとどんな状況でも学習したことを応用する能力がある。アシカにとってターゲット臭(ユーカリのアロマ臭)というのは、周りの環境臭に馴染んでいない突出したにおいでもある。つまり誘惑臭にひっかかりやすいのは、彼女の般化のせいではないか、とも睨んでいる。誘惑臭も洗剤など、周りからとは突出した香りがする。気がきくアシカは「お母ちゃん、きっとこれもアラートしてほしんでしょ?!」と見つけましたポーズを取ってしまうのではないか。同時にこれは前述したように、彼女の強い協調性もアダとなっている。
というわけで、まだノービスクラスにいるものの、すでに次のクラスに向けてたくさんの誘惑臭を置いてのサーチ・トレーニングに励みはじめた。しかし決してそれが易しくないのだ。どうやってこの癖、取り除こう…。頭が痛い。競技会に出るつもりがなければ、無視してもいいことだ。でも、こうして一つ一つ問題が浮上するたびに、解決策を模索しなければならず、それが実は面白い。だから競技会がやめられないのだ。