愛犬との「20センチ」に挑む 〜保護犬と付き合うということ〜

文と写真:五十嵐廣幸

私の愛犬アリーはボーダー・コリーミックスの保護犬だ。当時日課のようにチェックしていた里親募集のwebサイトで彼女を見つけた。

「今から会いに行ったら、この子と遊ぶことはできますか?」

そう電話で問い合わせ、そのまま300キロ先の海辺にあるRSPCA(オーストラリアの動物保護団体)の施設に向かった。

この頃私はwebサイトだけの閲覧だけでなく、近所にある数カ所のシェルターを巡って自分に合う犬を探していた。ブリーダーにも話を聞くことがあった。しかしシェルターめぐりをしているうちに、これから生まれてくる子犬を待つよりも、保護犬の里親になる方が私には合っているように思えた。

アリーとの生活がはじまり気がついた「20センチ」

アリーはヒールポジション(犬が飼い主の左脚にピッタリとつくこと)が苦手な犬だった。彼女を迎え入れて、私はすぐに地元のドッグクラブに通い始めた。そこで基本トレーニングの一つ、ヒールポジションにつかせる、を練習した。しかし彼女は私の左脚から必ず20センチ以上は開けて座ってしまうのだ。左脚にぴったりと寄り添えないがために、クラブの進級試験では不合格となった。

だがそんなことを私は全く気にしなかった。目標は進級することだけではないからだ。

「この20センチをどうやったら縮められるだろうか?これは彼女との絆を強くできるチャンスではないか?」

そう思った。

ヒールポジションにちゃんとつくことができなければ、できるまで時間をかければいいだけだ。そしてまずは「何故つかないか?」をじっくり考える必要があった。クラブで教わったように、壁と左脚の間に犬を入れてヒールポジションをする方法を試したが、その隙間に犬は入らず私の前方に回り込んで座ってしまう。また何十回に一回はピタリと左脚につくことがあり、このときとばかり特上のスナックを与えたものだが、効果は薄かった。

実は普段の生活の中で彼女は私の脚の動きを気にして怯えているところがあった。もしかして以前の飼い主によく蹴られていたのかもしれない。つまりヒールポジションが苦手なのは、脚が怖いからではないのだろうか。それを考えると無理に今、左脚につかせる必要はないと思ったのだ。

楽しく絆を作りながら消えていった「20センチ」

毎日の散歩ではディスクなどの遊びを取り入れ、私と彼女二人きりの楽しい時間をもうけるようにした。暫くして、ディスクを使いながらヒールポジションを再び教えてみた。すると怖がる様子もなくピッタリと私の左脚についたではないか。大好きなディスクを投げてもらうにはヒールポジションにつけば良いのだと理解したらしい。何度も何度も散歩中、ディスクで遊び、それを繰り返した。さて、と今度は家でディスクの代わりにチーズで試してみた。なんと、壁と左脚の狭い間にも彼女は気にすることなくその身をねじり込んで座ったのだ。

日々の散歩や、ディスクで遊ぶ楽しみによって、人の脚への恐怖心が次第に薄れたのだろう。あるいは

「今度の飼い主の脚は怖くない」

そう思ったのかもしれない。もちろん家の中でも彼女に足を向ける行為を極力避けた。犬が机の下で眠っているときには椅子の上で胡座をかくようにした。そして急に足を動かさないようにもした。こんなことを長い間繰り返したおかげで、彼女は次第に安心するようになったのではないだろうか。今でも私は足を急に動かさないよう気をつけている。

犬に何かを教える際は、短いスパンで考えてはいけない。基本動作や他の犬が簡単にこなすことでも、予想以上の時間を使うことがある。かかる時間はその犬の性格や経験よって全く違うだろうし、教える側の技量にもよるだろう。また保護犬の場合なら、その犬の行動を読んで、どんなことがこれまでの生い立ちの中であったのかイメージしながら付き合う必要がある。だから余計に時間がかかることもある。

成犬なのに!と考えずに…

子犬から犬を育てた場合、その子犬が教えたことをうまくできなかったとしても飼い主はそれほどがっかりしないはずだ。「かわいいね」と言って大目に見てあげるものだ。なにしろまだまだ成長過程にあるのだから、そんなに早く覚えられない、と子犬(若犬)を理解してあげようとする気持ちがある。

しかし施設出身の成犬が悪戯をしたり、なかなか行動を覚えられなかったりすると、我々はとたんに偏見の目で見てしまう。「ダメな犬」「保護犬だから」と最初からレッテルを貼る。しかしこれはあまりにも犬に対して酷だと思うのだ。慣れない環境に置かれ、新しい飼い主と出会い、何もかも初めての状態。飼い主とまだ関係すら築いていないのだ。だからこそ、苦手なことに対して犬が安心できるまでの時間と方法を十分に与える必要がある。何よりもまず「新しい飼い主との生活は楽しい」と犬に感じて欲しい。

犬が台所等のゴミ箱を引っ散らかして困る、という問題行動があるとしよう。犬にとやかく言う前に、まず飼い主がそのゴミ箱を空にして中に何も入ってない状況を作り出すことだ。それだけで問題行動は簡単に防げる。飼い主が犬を取り巻く環境にひとつ手を加えるだけで、犬との関係はもっとスムースになる。

飼い主から犬への「こうあってほしい」という思いや指示を達成させるために、犬だけが言うことを聞くのではなく、飼い主が犬を成功に導けるように「犬のための環境」をつくることが必要だ。愛犬との毎日は楽しい。私は愛犬との20センチを縮めるのに一年以上の時間をかけた。彼女から今もいろいろなことを考えるチャンスを貰えている。アリーに出会えて本当に感謝している。