虐待繁殖について考える (3)

文と写真:アルシャー京子

「ペットを繁殖のために選び出す者は、その動物の子孫および母親である動物の健康と福祉(ウェルフェア)を脅かすような解剖学的・生理的そして倫理的特徴に配慮することを守らなければならない」

1987年11月13日ペット動物の保護に関する欧州協定より

動物保護を憲法に取り入れている国はドイツのほか、ドイツ語圏三国をなすスイスとオーストリア。表現の仕方こそは若干異なるがこの二つの国でも「虐待繁殖の禁止」について法で定められている。

スイスでは「繁殖に用いる親動物とその子孫に対し、繁殖目的あるいはそれに伴って痛み・苦しみ・障害(行動障害を含む)をもたらすような交配・繁殖方法(自然・人工にかかわらず)の使用を禁止する」とある。さらには「動物の威厳に配慮し、体構成の異常と行動の異常を特徴に伴うような繁殖と飼育を禁止する」ともある。

スイスはドイツのような具体的な例は挙げていないけれど、繁殖が原因の痛み・苦しみ・障害により正常を逸脱するような動物は作り出してはいけないということだ。

オーストリアでは呼吸困難・運動障害・麻痺・皮膚炎・へアレス・瞼結膜炎・盲目・眼球突出・無聴力・不咬合・頭蓋骨形成不全などの特徴を虐待繁殖の対象として動物保護法の中で掲げて過剰な症状の繁殖を禁止しているだけでなく、虐待繁殖によって先天的な障害を持った犬を国内に輸入し販売することも禁止している。なんとも徹底したものだ。

対象として挙げられた症状は簡素に書かれているが実に奥は深い。ドイツが挙げている具体例を症状でまとめることで該当犬種の枠を広げ、あとは国民の倫理に任せているともとれる。犬の健全性の言及がなされている国であれば、どのような表現を用いても方向性は変わりない。

さて、これらの国々の繁殖の現場では、犬の一般的な健康管理のほか該当犬種においてはこれらの項目について特に犬種クラブの繁殖規定として反映され、繁殖許可を得るときの検査・判定項目を増やしている。

また繁殖許可を得るときに必要となるショーの成績を決めるジャッジの倫理観すらも、下手をすると虐待繁殖を助長することになりかねない。ついでの話をするならば、ヨーロッパではジャッジを務めるのはブリーダージャッジが普通、ただ犬種のスタンダードを暗記して犬の判定だけを仕事とするプロのジャッジなどは存在しない。ジャッジ自身ブリーダーとして思い入れのある犬種の繁殖を長年手がけ、犬種の問題点をも含めて熟知し、また理想を掲げて改善に取り組む、そうでなければ犬の健全性は保てない。

ブリーダーもショーの成績だけを追い続けると、いつしか犬の本質を忘れてしまう、そう、それが昨今の犬種スタンダードに絡む問題点なのだ。この問題に歯止めを掛けるべく「虐待繁殖の禁止」は掲げられ、犬種スタンダードの記述の追及に対する問題点はドイツ語圏のみならず、周辺諸国でも物議をかもした。その対策として、一部の犬種ではスタンダードが改正され、そしてジャッジ育成にも力を注ぎ始めた。

純血種はその犬種内にある遺伝子しか受け継ぐことが出来ず、特に歴史の浅い犬種では犬種の土台となった犬の数と局所地域に限定された繁殖のお陰で遺伝子プールが極めて乏しい。改良を通して作り出された犬種は犬種という枠の中でのみ遺伝子の交換を行い、犬種外の遺伝子を取り入れることを許されないため、犬種内の遺伝子に問題がある場合にはそれを排除することでしか対応が出来ないという非常に大きなジレンマを抱える。

間違いのないようにもう一言注釈をつけるならば、これらの「虐待繁殖の禁止」は決して該当する犬種の存在を否定しているのではない。ただ、犬種の特徴、特に外見的特徴を追求するあまり健全性と虐待の境界線を越えてはいけないよ、ということを示しているのである。犬種をある程度保ちつつ、なおかつ健全に保つ、そのギリギリのところを探る努力をしなければ犬種はいずれにせよ壊れてしまう。この「程度と健全性」のバランスを保つ責任というものを犬種スタンダードとジャッジとブリーダーは常に負ってゆかなければならないのだ。

その点雑種では犬種を超えて遺伝子交換が行われるため、犬種内でのリスクが他犬種の遺伝子により半減されるということになる。だから雑種は丈夫だといわれてきたが、しかし別犬種同士の交配でも犬種を超えてそれぞれが同じ遺伝疾患を受け継ぎ蔓延している場合は残念ながらその限りではなく、もう「雑種神話」とも呼べるべきものではなくなる。

虐待繁殖への思慮・配慮は過熱気味のヒトの強欲を鎮火し、犬の健全性とは何かを改めて気づかせてくれる。この虐待繁殖の防止に対応できるか否かによって真の犬種愛好家と繁殖屋の違いが映し出されるようでもある。

犬の繁殖とは、ただ単に犬を増やすことだけが課題ではない。繁殖とは交配の結果として現れる子孫の状態を見て、フィードバックし、さらに将来的に遺伝子をセレクトして残すことが繁殖と呼ばれ、フィードバックのないその場限りの繁殖なんてとてもじゃないが繁殖とはいえない。これが自然界ならばフィードバックは自然の淘汰に置き換えられるが、犬ではもう全てが人の手に委ねられているから、だから繁殖を手がける者の責任は重大である。

犬の譲渡にお金が絡むと、繁殖するものは「売れる犬」を作り出そうと躍起になる。「売れる犬」が「健全な犬」であるうちはよい。何度でも繰り返し言うが、外見の珍しさや世間での人気度・知名度だけで「売れそうな犬の形」を作り出すことは、犬では行ってはいけない。だって、犬だから。

犬だけじゃない、猫だって牛だって金魚だってそうだ。彼らはただの形ではなくて、生きているのだ。生き物を生き物として扱うことができる社会であって欲しい。

(本記事はdog actuallyにて2010年9月14日に初出したものを一部修正して公開しています)

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