何もしないことから生まれる犬との信頼関係

文と写真:尾形聡子


ウォーターワークのための練習を始めたばかりのタロウ。まずは指示で「くわえる」ができるようになるところからと、最初からハナより何歩も遅れてのスタートだった。

数年前、タロハナがずっとお世話になっていたトレーナーさんが若くして突然闘病を余儀なくされ、あっという間に永眠してしまった。もう二度と会って話をすることができないと思うと今でも残念でならない。彼女ならこのことにどんなアドバイスをくれるのだろう?どう対応するのだろう?などと、昔のレッスンを思い出してはあれこれと考えを巡らせることがある。

トレーナーのYさんにお会いしたのは、タロハナが2歳を過ぎた頃、水が大好きなスパニッシュ・ウォーター・ドッグにピッタリなドッグスポーツ、ウォーターワークを始めたいと思いレッスンをお願いしたのがきっかけだった。

初回のトレーニングは自宅で。そこで「はじめまして」のあいさつを交わしてもらったのだが、タロウはほぼ丸無視。ハナはまったく問題なくコミュニケーションをとっていた。しかしそれ以降もタロウはYさんにまったく近づくことはなく、部屋の片隅に寝っ転がり素知らぬふりをしたままだった。Yさんも最初のあいさつ以降、無理矢理タロウに近づいていくようなことはしなかった。

「タロウが自分から来てくれるようになるまで待ちましょう」

Yさんは待つ人であり、待てる人でもあった。おやつで無理やり釣るようなことも決してしなかった。Yさんのそんな姿を見ながら、どうしてタロウに何もしないのかな?と思うことも正直あったけれど、待ちましょうというYさんの意に沿うことにしていた。その間ハナとは着々とトレーニングを進めていた一方で、タロウは嬉々として練習しているハナを脇目に、トレーニング用のおいしいおやつのいい香りを感じていた。しかし、そう簡単にはYさんや練習に興味を示してこなかった。なので、Yさんは「次回までにこんなトレーニングをしておいてください」とパパッと手本を見せ、毎回タロウに課題を出してくれていた。


同時期のハナ。すでにおもりを入れて水に沈めたテニスボールをくわえる練習に進んでいた。

そうして半年ほどたったころ、突然、タロウは自発的にYさんに近づき、コミュニケーションをとり始めるようになった。それにはビックリしたし、とても嬉しかったのを覚えている。が、タロウの行動が変わった理由をYさんに尋ねることはせず(今だったら絶対に聞いていたと思うけれど)、もちろんタロウに聞くこともできなかったから、本当のところはどうしてそうなったのかは分からない。けれど、Yさんが待っていたことには意味があったと断言できる。

今あらためて考えると、Yさんは半年間タロウとの間で何もせずに待っていたのではなく、確実に何かしら交流をはかっていたのだと思う。まるで突然の出来事のように映ったのは、Yさんとタロウとの間に目に見える形での行動がなかったためだ。ただそれだけのこと。Yさんとタロウは少なくとも同じ場に居合わせていた。そこで単にぼんやりと何もしていなかったのではなく、お互いに「とりわけ何もしないでいる」ことを能動的に選んでいたのではないか?反目するわけでもなくて。そういう交流のしかただってアリなのだ。そしてそれが最終的にタロウの確固たるYさんへの信頼へと結びついていったのではないか、とそんなふうに思っている。

その後、タロウはトレーニングの進捗的にはハナよりもだいぶ出遅れながらもYさんの指示をよく聞くようになった。生来物臭なタロウは練習そのものをそれほど好きにはならなかったようだけれど、最終的には大会でハナよりもいい成績をおさめることができた。不思議なものである。

タロハナの犬種、スパニッシュ・ウォーター・ドッグは野生児的で頑固なところがあって、自分が納得するまでは他から何をされようとも聞き入れない面があると感じる。そういう犬と関係性をつくっていく上で、相手が聞く耳を持たない状態でいるのにアレコレ手を替え品を替えて何かをするのがいいとは決して思わないし、良かれと思ってマニュアル通りにしたことが必ずしも実を結ぶわけではない。しつこくおやつを使って何かをやらせようとすれば、そのことはできるようになるかもしれない。けれど、はたしてそこにいい関係性は生ずるものだろうか。

「何もしないでいること」というのは何もせずにひたすらボーッとしている状態ではないし、静かにしているからといって脅威であってもならない。そこには行動としてあらわれてこない心の中の静かな動きが無意識的であろうとも必ず伴っていて、無理なくお互いに響きあっていくものなのではないかと思う。共感でもなければ、感情伝染でもなく。感覚的なことではあるが、これはYさんとタロウから教えてもらったとても大切なことである。

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